第四十一話 歌劇『ロザリオの奇跡』(一)
静まり返った演劇場に奏者たちの一音が突如響いた。
弦楽器の旋律が徐々に高音へ、繊細かつダイナミックに駆け上がる。打楽器の響きと共に、緋色の幕がゆっくりと左右に開いた。
そこは王宮の大広場。美しく着飾った紳士淑女たち。
優雅な調べに合わせ、紳士淑女たちは軽やかに身を翻しワルツを踊る。
弦楽器の奏者の弓が流れるように上下をし、フルート、クラリネット、オーボエの奏者たちは揺れながらリズムを取る。
初めて聞いたオーケストラの生演奏と、貴族たちのワルツ。
知らない世界の扉が開き、レイアはたちまち夢中になった。
「……凄い!」
ワルツが終わると、ある美しい女性にスポットが当たる。その女性は男性に上品なカーテシーをすると、一人ベランダへとやってきた。
雪の王女のような麗美なドレスに身を包んだ彼女は、なぜか物悲しげに手すりに身を寄せる。
「はっ!!あれが、お母様!?」
曲がワルツからバイオリンとピアノのみの伴奏になり、ロマンチックで悲しげな短調の曲に変わる。
♪もしもヒバリのように、空を飛べたなら
このテラスから今すぐ飛んでいきたい――。
会場に広がるハリのある声の響き。澄み切った高音のアリアが波紋のように劇場を満たし、胸の奥へと染み渡っていく。
♪薔薇の園を眺めながら、優雅に舞い上がり、
血で滲んだ城壁を軽く飛び越え、
金の展望台よりも空高く、
銀の綿雲に夢を見て、
満天の星空に包まれながら、
あの月の裏側へ、永遠に……永遠に……。
隠れてしまいたい―――。
レイアの目頭が急に熱くなり、鼻の奥がツンと痛くなった。
(嘘でしょ……。なんて綺麗な声なの!?)
「……レイアちゃん。大丈夫?」
「……うん。けど、びっくりしちゃって」
カルロスがレイアにハンカチを渡し、背中を優しく擦る。
「想像していたのと、全然違う……」
レイアは食い入るように舞台の上の母親を見つめた。
❇❇❇❇
時代背景は戦乱の世。
主人公であるエリザベート・フォン・ユーズベルト伯爵令嬢は、国王の誕生祭である舞踏会に訪れていた。
父親から第二王子である、オーランド・ジ・ロベルニアとの婚約を言い渡されて、悲しみに暮れていた。
楽しかった我が家に帰れず、これから王宮で暮らさなければならない。
第二王子のオーランドは、強欲で、働きもせず道楽ばかりで、女遊びの多いとの噂が絶えない人物だ。
『王命だから』と逃げることもできず、ただ黙って過酷な運命を受け入れるしかないのかと、エリザベートは半ば諦めていた。
すると、全身黒色に覆われた鎧の騎士がバルコニーに現れた。鉄仮面をしており、顔は分からない。
♪あら、貴方様は?
♪俺は、ラルストニア王国の外交官の護衛です。物悲しげな美しい蝶を見て、声をかけずにはいられませんでした。
我が国であるユーラシス王国と隣国ラルストニア王国は、表向き友好関係を築いているが、裏では敵対視をしていた。
酒が回っていたせいか、エリザベートは己の胸の内をこの黒騎士に全部明かしてしまう。
黒騎士は何を思ったのか、エリザベートに小さなメモを手渡した。
♪俺が貴方様をお穢れた金の檻からお救い致します。
♪なぜ、見知らぬわたくしを助けてくださるのですか?
♪さぁ?なぜでしょうか。貴方が悲しむとなぜかこの胸が痛むのです。きっと貴方を助けることで私の心は軽くなるのでしょう。しばらくは仕事で会えませんが、再び会えたときには、あなたのことをもっと教えてほしい――。
そう言い残すと、颯爽とその場を立ち去る。エリザベートはその背中を見送るのだった。
一旦、緋色の幕が閉じ、舞台背景がグリーンハウスに変わる。
ゆっくりとしたバイオリンとマリンバの音色が夜の静けさを演出している。
♪彼の言うとおりにここへ来てみたわ。手が震えるけれど、オーランド王子から逃れたいわたくしは、こうするしかないのです。お父様、お母様、悪い娘でごめんなさい――。
エリザベートはメモを握りしめ、黒騎士の言うとおりに物置へと隠れる。
しばらくして、王宮からけたたましい爆発音が聞こえた。近衛騎士たちの怒号と、従者や侍女たちの阿鼻叫喚の騒ぎ声。何か良からぬことが王宮で起きている。
オーケストラの演奏も不安を煽るような不調和音を奏でる。
舞台背景がオレンジや赤い光に点滅し、けたたましく鐘が鳴り響く。思わず、エリザベートはロザリオを握りしめて物置で身を屈める。
♪怖いわ!!あの方は何があっても出てきてはいけないって仰っていたのが気になる。一体、外では何が起こっているの?
しばらくして、3人の兵士がグリーンハウスにやってきた。
温室を乱暴に物色する3人。1人が物置を見つけ、扉を開けてしまう。
『きゃあ!!』
兵士A ♪女だ!女が隠れているぞ。
兵士B♪これは上物だぞ!
兵士C♪これはいい!ちょうどここには誰も来ない。そう、助けは来ない。君は逃げられない。ふふふ。
エリザベートは乱暴に引っ張られ、男たちに取り囲まれる。
♪お願いします。どうか、おやめください。あなた方に慈悲があるのなら――。
男たちに無理やり乱暴されそうなところで、黒騎士が剣を持って現れる。
オーケストラのドラムが雷のように鳴り響く。
『この人に手を出すな!!』
3人の男たちは驚愕し、たちまち膝をつく。
『アルベルト団長!!なぜここに!?』
♪よりによってか弱き女性を襲うなど、言語道断。騎士道を忘れたか、恥を知れ!!今すぐ、第三騎士団を辞めて、国へ帰るんだ!!さもなくば、その首、斬り落とすぞぉーーー!!!
オーケストラは最高潮に盛り上がると、シンバルが鳴り響き、兵士たちは転がるように逃げ出した。
『ひっ!!すっ、すいませんでした!!』
3人の兵士が逃げ、黒騎士がエリザベートに近寄る。
『こっ、来ないで!!』
腰を抜かし、後退りするエリザベート。
♪恐れることはない。
この剣はあなたへ向けるための物ではない。
あなたとの約束を果たすため、ここまで駆けてきた。
鉄仮面を外し、膝を曲げ手を差し伸べる。黒髪の絶世の美男子に会場からは、大きなため息が漏れる。
「「うわぁ〜お!!」」
オペラグラスを手にして、ため息をつくレイア。隣りにいたカルロスが、肩を突っつく。
「ねぇ、僕と彼、どっちがイケメン?」
「ふぅ〜。おじ様ったら、野暮なことを聞くのね」
「えへへっ」
エリザベートは胸に手を当て、戸惑いを見せながらも、差し伸べた手に触れる。
情熱的なオーケストラの演奏が一斉に流れ出すと、2人は見つめ合ったまま、緋色の幕が閉じた。
――第一幕終了
会場に明かりが灯り、観覧席が騒がしくなる。
「ねぇ、今から15分の休憩時間だよ。レイアちゃん、喉渇いていない?」
カルロスは首を回しながら、軽くストレッチを始めた。
「いいえ。おじ様、大丈夫よ。マーサ。私、お花を摘みに行きたいんだけど」
「では、わたくしもご一緒致します」
レイアとマーサは、パウダールームへと向かった。
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