第二十三話 マッドウルフの襲撃
ジェイドはすぐさま、手の平の明かりを消して、奥の方へと逃げ込んだ。しかし、マッドウルフは穴を掘ってこちらに入ってこようとしている。突然の出来事に戦慄が走る。
「まさか、焼き魚の匂いで!?」
(目が合った以上、俺は奴らの獲物だ。どうすれば逃げられる?)
マッドウルフとは、通常の狼よりも二倍近く体が大きくて凶暴な性質を持っている。だいたい、10頭前後で群れを成していて、軍師のように知略的に獲物を囲い込み、持久戦でしつこいぐらいに追い詰めていくという。獲物がいないときは、時折仲間を食い殺すこともあると言われている。
《ガルルルゥゥ……》
真っ暗闇の中、マッドウルフの鋭い眼光は確実にジェイドを捕えていた。
「まずはこれで顔を洗え!!【ウォーターボール、固定】」
ジェイドの手のひらに大きめの水球を作ると、入り口で穴を掘っていた狼の顔にウォーターボールを思い切りぶつけてみた。
《ゴボゴボゴボ……!!》
突然の水攻撃に苦しむ狼は、顔を振ってたまらず外へ飛び出していった。
(一頭は何とかなったけど……一体何頭いるんだ?)
考え事をしていると、上から鋭い何かが飛び出し、ジェイドの耳を掠めた。暗闇の中で突然牙を向く。
「うわっ!!びっくりした。くそっ、全く見えない!!」
焦ったジェイドは卵ぐらいの大きさの水玉を指先に作り出すと、回転数を上げる。じっと攻撃が来るのを耳を澄まして待ち構えた。
(――来る!!)
ジェイドは水玉を投げつける。
――ザッシュ!!!
衝撃音と共に生ぬるい何かが顔にかかった。鋭い鳴き声が聞こえる。
《キャイィィィーーーン!!!》
生ぬるい何かとはマッドウルフの血だった。
(しまった!!これじゃあ隠れても、血の匂いで追いかけてくるかもしれない)
そう焦っていた矢先、思いがけないことが起こった。
《ガゴン!!!ゴドン、ゴゴゴォォン!!!》
大岩が何かに当たり振動が走る。上から砂がパラパラと降ってきた。
まさか、マッドウルフの奴、岩場を利用して、ここを潰しにかかっているのか?
《ガラガラガラ……ゴゴゴォォォーーン》
「ぐっ、考えている暇はない。水流の如く走れ!!【ストリーム・ランナー】」
ジェイドは、覚悟を決めて大岩の隙間から飛び出す。
それと当時にマッドウルフが両側から攻めてきた。
姿勢を低くして、足がちぎれそうなぐらいに加速する。マッドウルフの爪の先が腕を掠めたが、何とか逃げ切る。
(ぐっ!!森は目の前だが、遠い!!)
月夜の草原を流れるように全力で逃走する。ジェイドは、息を切らせながら後ろを振り返る。
タタッ、タタッ、タタッ、タタッ、タタッ………
薄闇の中、6頭が金色の目をギラつかせながら追ってくる。
だが、人間の俊足程度では野生動物には敵わないのか、じりじりとその差を詰めてきた。
(くそっ、早すぎる!!)
一頭のマッドウルフが飛びかかってきた。ジェイドは、後ろに向かって叫んだ。
「物理防御!!【フィジカル・シールド】」
ジェイドは後ろに向けて手を差し出した。青白く輝くと、丸い半透明なシールドが浮かぶ。
――ドスン!!
マッドウルフがわざとぶつかり、シールドを壊そうとしている。
代わる代わるそれに体当たりし、転がってはまた追いかけてくるマッドウルフ達。
「はぁ、はぁ、はぁ、森に着いたら、木の上に――!!」
小さな体は熱を帯びて、心臓が燃え尽きそうだ。後約50メートル近くまで来たところで石に躓いて派手に転んでしまった。
――ザザザザザッ。
見上げると、半透明なシールドの上に狡猾なやつらが軽々と飛び乗った。マッドウルフの体重でシールドに押し潰されそうになるジェイド。
(一か八か!!)
「我が身をかの地へ!!【テレポーテーション】」
地面に金色の魔法陣が浮かび上がると、ジェイドの姿が一瞬で消えた。
ジェイドはいろんな魔法陣を知識として知ってはいるが、なんせ下級魔法使い程度の魔力しかない。もしも魔力量の最大値が10として、上級魔法使いが8~10、下級魔法使いは3~5未満の魔力量しか持ち合わせていない。なのでテレポーテーションも、遠くへ飛ばす魔力を持っておらず、せいぜい60メートルの範囲でしか飛ばせない。
ジェイドは森の入り口付近にワープすると、すぐさま目の前あった木によじ登ろうとした。だが、手が震えて力が入らない。
「くっそ、なんで!!」
ジェイドが幹にしがみついて焦っていると、向こうからマッドウルフが走ってくる姿が見えた。
「だめだ、間に合わない!!」
ジェイドは木に登るのを諦め、暗い森の中を川の方角へ走り続けた。走りながらも、魔法陣で水玉を作り出し、遠心力で回転させては宙に浮かせた。
不意をつくように真横からマッドウルフが飛び出した。
「うわぁっ!!!」
驚きざまにジェイドは水玉を投げつけた。
《ギャイン!!!》
回転のかかった水玉がマッドウルフのマズルに当たり、マッドウルフが顔から血を噴き出して転がった。
(三頭目!!)
一生懸命走るジェイドだが、ウォーターボールも出せなくなり、足が重くなってきた。
「身体強化!!【フィジカル・ブースト】」
ジェイドの体に青白い光の粒がほのかに纏い、体の中心から気が溢れだす。
(これが最後の魔法。もう後はない!!)
ジェイドはできる限り走った。しかし、先回りをしたのか、目の前に1頭のマッドウルフが立ちはだかった。そして、後ろからも1頭のマッドウルフ。左側にもマッドウルフがいる。
「はぁ、はぁ、はぁ。囲まれた!!」
ジェイドは、必然的に右側へ走っていく。なりふり構わず闇の中を一目散に逃げるしかない。
《ガルル……ガァーッ!!!》
ジェイドの左腕に激痛が走った瞬間、反射的に眼球めがけ【身体強化】のかかった重いパンチを繰り出した。
《ギャイィィーーン!!!》
マッドウルフの右目が血に塗れ、木の幹に激しくぶつかった。
(4頭目…あっ!!!)
すると、今度は右足のふくらはぎに激痛が走り、前のめりに転んだ。噛んだまま地面を引きずられる。後ろにいたマッドウルフだ。
《ガルルルルーー!!!》
「いってぇぇえーーー!!!」
左足で鼻の方を蹴飛ばそうとしたが、勘が良いのか噛んだ右足を離し、後方へジャンプした。
すると、示し合わせたかのように右からマッドウルフが飛び込んできた。
(もう、無理だ!!)
その時、調整者の言葉が脳裏に浮かんできた。
『魂を取られたジェイドの体は、森に捨てられ、一日もしないうちに狼に食べられた』
(これじゃあ、回帰前と同じじゃないか!!)
《ピーールルルル〜!!》
すると、黒い弾丸のような無数の影がマッドウルフ達を攻撃し始めた。
《おそくなってごめん!!なかまをよんできた》
「ピギー!!」
すると、次々と集まってきたシルヴァンイーグルが森の中を滑空して、2頭のマッドウルフに向かって一斉に襲いかかる。
《いまのうちに、とおくににげて!!》
「はぁ、はぁ、ありがとう。ピギー、気をつけろよ!!」
ジェイドは左腕を庇いながら、右足を引きずってその場から前へ進む。治癒魔法をかける余裕すら残されていない。下手なテレポーテーションのせいで魔力を大幅に使ったせいだ。
はぁ、はぁ、……確か、この森で倒したのが2頭。ピギーが相手しているのが2頭だから……残りの2頭はどこ行った!?」
そのときジェイドはピンときた。
(奴らはさっき、俺が右へ逃げるようにわざと誘導した。まさか、奴がこの先で待ち構えているのか?)
ジェイドは逆に左へ曲がり、瀬音がする方へと急いで向かった。
《ガルルル……》
川辺へ出ると、待ち構えていたのは1頭のマッドウルフだった。
ゆっくりとこちらに向かって唸り声をあげる。
「くっそ、ここに居たのか!!最悪だ!!」
(あと一撃で【身体強化】魔法も解ける。魔力もなくなれば、俺は死ぬ!!)
右の拳に力を込めながら、睨み合いが続く。
奴に首を取られないように、じりじりと間を縮める。
《ガルル……ガァァーーオォォーー!!!》
一気に距離を詰めてきて飛び掛かってきた。
ジェイドは低い体勢で目を見張り、ジャンプしてきたマッドウルフのわずかなタイミングを逃さず、闘牛士のように俊敏に反らすと、同時に左の脇腹に一発ストレートパンチを放った。
《キャイン!!!》
マッドウルフは二メートル後ろへ横転し、ジェイドは反動で玉砂利に体を打ちつけた。
――ザザザザァーーー。
「ぐうっ、ううっ……おっ、終わったか?」
だが、神はさらなる試練を与えた。
森の奥から1頭のマッドウルフがやってきたのだ。倒れている仲間にかけよると、鼻と鼻を擦り合わせている。しばらくしてジェイドに顔を向けると、激しく唸り始めた。
《ガルルルル……》
「もう、無理だ。魔力切れでなにもできない!!」
ジェイドは、月が映る紺碧の川をちらりと見つめた。カーブかかった場所は深く流れも速い。それでも川を渡って逃げるしかない。
「水の精霊よ、俺を守ってくれ!!!」
ジェイドはよろけながらもなんとか起き上がると、意を決して夜の冷たい川へ足を踏み入れた。浅いところでは膝上の高さしかないが、進むにつれどんどん深くなっていった。
(早く、逃げないと!!!)
足と腕を庇いながら、ざぶざぶと渡っていく。
なぜだか分からないが、マッドウルフは走ってこようとせずに、ゆっくりこちらに向かって歩き始めた。そのことに違和感を感じたジェイドだが、考える暇などない。
「あっ!!!」
水位がへそを越えた辺りで、川底で片足を滑らせてしまった。浮力で踏ん張りが効かない。強い水流で体勢は崩れ、ジェイドは川へと倒れ込んだ。
すぐに立ち上がろうともがいたが、足をすくわれたままどんどん深みへ体が流されていく。
水の泡立つ轟音しか聞こえない。
何度も水を吐き出しては、暴れる水面からわずかな空気を吸い込む。
夜の川は思っているよりも恐ろしく、真っ暗で何も見えない。しかも水面と川底の流れが違うので、川のなかで変な回転がかかる。不規則に回る川のなかで、川の真ん中に大岩が迫っていた。
ぶつかると思い、ジェイドは固く瞼を閉じたが、何故か岩を避けて流されていく。
(ブッハァ!!水の精霊が守ってくれているのか!?)
心の中で何度も精霊に助けてくれと頼みながら、なにか掴むものがないかと辺りを見回した。
すると、ちょうど反対岸に流木が岩に引っかかっているのが見えた。しかも流木は半分川に飛び出している。
ぐるぐると流されながら、なんとか手足をばたつかせては流木の方へ体を寄せていく。
(ブハッ、もう……少し!!)
するとわずかながら、身体が流木の方へと進み、流木の端に濡れた手をかけることに成功した。
(やった!!)
喜んだのも束の間、ジェイドの重みで簡単にぐらついた流木は、バシャンとジェイドと一緒に川へ流されてしまった。
ジェイドは、必死になってその流木にしがみついていた。流木のおかげで空気が吸えたのは良かったが、どんどん川の流れが速くなっているのに嫌な予感がした。
岸の方を見れば、月明かりの下でマッドウルフが立ち止まっている。
《ゴゴゴゴゴゴゴ………》
(まずい、まずい、まずい、滝の音だ!!!)
ジェイドは、川岸の方へ寄ろうと右腕をバタつかせた。しかし、ウルフに噛まれた左腕は限界にきていて、激しい痛みに襲われた。
「うわぁぁぁあああぁぁーーーーー!!!」
ジェイドの叫びは滝の音にかき消され、流木と一緒に深い闇の底へと消えていった。




