第十四話 マーサの回想
「全く、旦那様は何を考えてらっしゃるのかしら。人がいいのも大概にしないと……」
マーサは、庭に咲く山アジサイの剪定をしていた。剪定した青紫のアジサイは、玄関先にでも飾ろうかと、腰を上げたところに男が声をかけてきた。
「よう!マーサ。元気してるかい?」
(相変わらず、馴れ馴れしい男だこと)
マーサは苦虫を潰したような顔をした。
この男はいつも、酒の匂いを漂わせて、ふらりとやって来る。遠慮なしに人の家に上がり込み、取り留めのない会話をしては時間を潰し、レイアお嬢様のおやつに手をつける無作法な男だった。
この村の人達がこの男を野放しにするのは、この男が水道課に所属し、この村に常駐しているからだ。
こ見た目アホみたいな男だが、この村に供給する水を守っており、水トラブルも迅速に処理してくれる。腕は良いのだけど、素行の悪い男だった。
深い溜息を飲み込んで、マーサは声をかけた。
「おはよう、ジムナム。今日はどのような御用向きで?」
「いや、ダグラスが連れてきたあの坊主は家にいるかい?」
「いいえ、図書館へ行きましたけど、それが何か?」
「ふ〜ん。そう言えば、ダグラスがなんか言ってなかったか?」
「何かって何をです?」
「ほら〜、あの坊主がこの家に来た経緯とかさ」
「……旦那様が何かおっしゃったとして、どうしてあなたに話す必要があるのです?」
マーサは、露骨にジムナムを蔑視した。
「……なんだ、ダグラスはまだ何も言ってないのか。俺は、ダグラスがアンジェリカの不倫の子を連れてきたことをお前たちにも話したのかと……」
「まさか!!」
「だってよ、あの子の髪の色はアンジェリカそっくりじゃねーか」
「でっ、でも――」
「それに、あの宝石商の男は青い目だったぜ?マーサなら近くで見ていたんだ。覚えているだろ?」
(確かに……でも……)
「……でしたら、わたくし共に一声かけるはず。それがないということは――」
「なんだよ。長年従っていたわりには、意外と信頼関係が薄いんだな?」
「なんですって!?」
マーサは烈火のごとく、剪定ばさみを振りかざした。
「おいおい、それ危ないだろ!?マーサ」
「下らないこと言ってないで上流の清掃でもしてきたらどうなの?」
「それは先月に――」
「いいえ、今月もやりなさいよ!!」
「え〜〜っ!!!」
マーサは、怒りの勢いでジムナムを追い返した。
「全く、なんて失礼な男なの!?」
マーサはざわついた胸を押さえた。ジムナムのせいで、動悸が落ち着かない。マーサはよろよろと庭のベンチで座り込んだ。
森の影がマーサの頭上でざわついた。マーサは天を仰いだ。湿った風が深い森を駆け抜ける。
(あの日のことは、忘れない……)
マーサは瞼を固く閉じる。
あれは、5年前――
あの頃レイアお嬢様はまだ5歳。アンジェリカ様は、いつものようにレイアお嬢様をわたくしに預けて、頻繁にやって来る宝石商の男と仲睦まじく、ティータイムを楽しんでいた。
ダグラス様にいくら苦言を呈しても「好きなようにさせてやれ」と言って、私の話を聞き入れてもらえなかった。
あの二人の笑い声を聞きたくなくて、レイア様を連れてよく散歩へ連れて行った。
寄り合い所は行けなかった。何故なら、噂好きの主婦たちがこぞって、アンジェリカ様の陰口をさも楽しそうにおしゃべりするからだ。
元々アンジェリカ様は自由奔放な性格で社交的なお方だった。わたくしが彼女と初めて出会ったのは、ダグラス様がお屋敷へ彼女を連れてきた時だった。
ダグラス様19歳、アンジェリカ様はまだ16歳。当時、社交界の華と呼ばれたアンジェリカはその瑞々しい美しさに、ダグラス様が一目惚れをしたのだった。
アンジェリカは、カルロス様の従兄妹ということもあり、カルロス様のつてで、ダグラス様は彼女に熱烈なアプローチを仕掛けていた。
アンジェリカは、情熱的なダグラス様に惹かれ、王都で派手な逢瀬を過ごした。財産を派手に使い込んで、オペラや高級レストラン、ブティック、宝石店など、派手な逢瀬を重ねて、二人は愛を深めた。
旦那様と奥方様は、一抹の不安があったようだが、当の本人達はどこ吹く風のようだった。
1年後、結婚式を挙げた二人。
やがてダグラス様は今の魔法城の特殊任務部隊に配属されると同時に、この森へやってきた。
ダグラス様は、小さな頃から自然が好きで、ツリーハウスに住むことが長年の夢だった。でも、アンジェリカ様は違っていた。二人の価値観のズレがここで出てきたのだ。しかしその頃には既にレイア様を身ごもっていた。
里帰りがしたいとダグラス様に申し出ても、ダグラスは首を縦に振らなかった。夫婦は離れ離れになってはいけないとアンジェリカ様に強く言い聞かせていたからだ。
この森で出産し、1年が過ぎると奥様の様子が徐々に変化した。この村には娯楽がほとんどない。ただの静かな森の奥地。華やかな物がお好きだったアンジェリカ様にとってここは、あまりにも退屈な場所だった。
次第に元気がなくなり、アンジェリカ様は、可愛い盛りのレイア様をわたくしに任せっきりにして部屋で一人引きこもることが多くなっていった。
ようやく事態の深刻さに気がついたダグラス様は、カルロス様に紹介された宝石商の男をこの森に呼び寄せた。彼の名はジュリアス・ウォーレントという新興貴族の伯爵だった。
その男は月に2回、この家に来ると流行りのドレスや、宝石などを持ち寄り、アンジェリカを着飾った。そして、オペラを鑑賞するための映写機なるものをこの家に持ち込み、アンジェリカと永遠と雑談するのだった。
気を伏せっていたアンジェリカ様も、徐々に元気になっていき、4年を過ぎた頃には、ジュリアス様と共に笑い声をあげて過ごす日々が多くなっていった。
やがて引きこもりだったアンジェリカ様は、ジュリアス様と一緒に街へ外出することが増えていった。それでも旦那様は何も仰らなかった。
その仲睦まじい現場を見た村の人達は、アンジェリカ様のことを浮気女だと揶揄しはじめた。特に暇人のジムナムがそうだった。独身男のつまらない僻みだろう。
――だけど、懸念していた事態が起きてしまった。
それは、レイアお嬢様が5歳の誕生日を終えた翌朝……。
アンジェリカ様は書き置きを置いて、この森から出て行ってしまったのだ。
『私の居場所はここじゃない。もっと輝ける場所へ向かって歩きます。愛しのレイアをよろしく頼みます』
その数カ月後、ダグラス様とアンジェリカ様の離婚が成立した。
幼いレイア様を残して……。
マーサはポケットからハンカチを取り出し涙を拭った。
すると、庭の裏手からトーマスがやってきた。
「マーサ、一体どうしたんだ?」
「……トーマス。私たちは旦那様に仕えて何年になるかしら……」
「一体何があった?」
「旦那様は、長年連れ添った私たちを本当に信用してくれているのかしら……ううっ……」
マーサはジムナムの話をトーマスにも話をした。
「……この噂の話をレイアお嬢様の耳に入らないようにしなければならないよ。アンジェリカ様のことを思い出して心を痛めては大変だからな……」
「そうですね……。旦那様にも声をかけてみますわ」
「……旦那様は、急な任務で今夜は帰らないよ。今さっき連絡があった。今度は長くなるらしい」
マーサは肩を落とした。
「こんな大変な時に旦那様が不在だなんて!」
「ジェイドのことをよろしくと言っていたよ」
「!!!」
マーサはシワだらけの握り拳をギュッと握りしめた。
「旦那様は、一体何を考えてらっしゃるのかしら……。こうなったら、私達でレイアお嬢様を守らなくては!!」
「マーサ?」
マーサは決意したように立ち上がると、家の中へと入っていった。
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15話は、18時20分に投稿します。




