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俺の枷共(パーティー)は煩わしい  作者: 湯気狐
三章 〜ドMメイドとメイ活騒動〜
25/45

ドMと言う名の天災

 一時的に新たな旅仲間、シフォントリアを加えた俺達は、ゴーレムを利用して馬車ごと向こう岸まで運んでもらい、事無きを得た。


 ただ、それからが地獄の始まりだった。


 幸い魔物とは殆どエンカウントすることが無かったのだが、それ以上に厄介なのがパーティーメンバーであることを、今一度思い知らされる羽目になったのだ。


 しつこく、くどくどと、粘り取り付いて来るかのよつに纏わり付いて来る魔性の女に止めろ止めろと何度言えども、奴は己の欲望を自制することは無かった。


 落とし穴、毒殺、寝込みの奇襲といった様々な手段で俺を殺そうとして来て、ついでに貞操をも奪おうとまでして来たのだ。


 度重なる迷惑の嵐に、俺の心労は溜まっていく一方であった。


 だが、厄介事を起こすのはルティーナだけではなかった。


 自称・正当化された変質者、シフォントリアも例外ではなかった。


 この変態が何をしていたのかは、実際にその一部始終を振り返ってみようと思う。




〜※〜




「抜けた〜!」


 睡眠時間を大幅に削って移動し続けること数時間。出口があるのか疑わしく思っていた森であったが、ようやく抜けることができた。


 何処までも広がる広大な大地。その先には、やたらとでかい城が見える。きっとあそこがサーヴァントに違いない。


 まだまだ道のりは長いにせよ、この調子なら一日もあれば辿り着けそうだ。


 こいつらがトラブルを起こさなければ、の話だが……。


「壮観な景色ですねぇ。ウンターガングの景色とはまた違うものがありますね」


「私にとっては見慣れた光景の一部でしかないわね。でもこういう景色は見ていて飽きないわ」


 と言いながら、俺のお尻を至近距離で見つめて来るルティーナ。風情も何もあったものじゃない。


「途中途中でうたた寝していたとはいえ、熟睡できないとやっぱキツいな」


「まだ朝方ですし、お昼の中頃まで眠ってはどうですか? 見張りなら私がお引き受け致しますが」


「そうしたいのは山々だが、お前一人じゃ手に余る。街に着くまでは熟睡しないつもりだ」


「どうしてでしょうか? この辺りに危険な魔物は生息していませんし、襲われる危険性は薄いと思いますよ?」


「お前は今まで何を見てたんだよ! 魔物よりもタチの悪い女がここにいるだろうが!」


 そう言いながら何度もルティーナを指差す。


 ここまで来るに辺り、シフォンはルティーナが俺に色々していた姿を目にしていたはず。


 それでこの反応なのだから、こいつの目が節穴なのではないかと疑ってしまう。


「ビャクトさんは鈍いですね。ルティーナさんが今までしていたことは全て、ビャクトさんへの愛情表現ですよ」


「ほぅ……つまりお前は、毒殺して来るような行為すら愛情表現と言うんだな?」


「えぇ勿論です! むしろそれはご褒美だと受け取るべきではないかと! 民衆に囲まれた場で毒にもがき苦しむ姿を想像するだけでも私は……ね?」


「ね? じゃねぇよ! お前の歪んだ価値観で物事を決め付けてんじゃねぇ!」


「この良さが分からないだなんて、ビャクトさんは人生の半分は損していますよ」


「損の塊みたいな奴に言われたかねぇわ!」


 シフォンがパーティーに加わってからそう時間は経過していないはずだが、この短時間でこいつの本質が大分見極められた。


 ただ、見極めると言っても大したことではない。


 洞察力が鋭い俺で無くとも、シフォンの人間性はシンプルで分かりやすいからだ。


 精神的、肉体的に痛ぶられたい。ただそれだけのために生き、他には何も望まない。莫大な財産も、偉大なる名声も、シフォンはそれらをゴミと同価値だと吐き捨てるだろう。


 究極という肩書きを加えても大袈裟ではない異端者。それがシフォントリアという人間だ。


 稀にも見ない最凶の似非メイド。虐げられるためにメイドとして雇ってもらうような発言をしていたが、こんな奴を雇いたいと思う狂人(ものずき)が果たしているのやら……。


「ダーリン。森を抜けたことだし、私はそろそろ寝るわ。目的地に着きそうになったら起こしてくれると嬉しいわ」


「知るか。そのまま永久的に死に腐ってろ」


 一番辛いであろう道を抜けたことで興が削がれたのか、欠伸を漏らすルティーナは大人しく馬車の中へと引っ込んだ。最強の魔族と言えども、眠気には抗えないらしい。


 危険地帯を抜けたことだし、この辺で数時間休むのもありかもしれない。


 ルティーナもスイッチが切れて疲れているだろうし、奇襲を仕掛けて来ることも多分ないだろう。


「よし……。ここらで一旦本格的に休憩するぞ。お前も眠かったら今のうちに寝ておけよ」


「良いんですか? ならお言葉に甘えさせていただきますね」


 ここまでずっとはしゃいでいたシフォンのことだ。顔には出ていないが、きっとルティーナ以上に疲れが溜まっているに違いない。ならば時間のある内に休ませておくのが吉だろう。


 そうでもしないとずっとこいつの与太話に付き合わされることになるし、というのが本音だが。


 何にせよ、ここまで俺も神経が削られっぱなしだ。


 熟睡はできなくとも、小一時間くらい仮眠しておかないと身体が壊れてしまいそうだ。


 馬車から少し離れて、芝生と言う名の布団の上で横になる。


 幸い天気は快晴で、燦々と煌めく太陽が毛布の役目を担ってくれていた。


 緑をそっと撫でる風の音。


 のどかな空間の中、もさもさと草を捕食する草食の魔物。


 群れを成し、青空の下を羽ばたいていく鳥の魔物達。


 あぁ……こんなに静かなのはいつ以来だろうか。


 この世界に来てからと言うものの、騒がしくない日など一日足りとも有りはしなかった。まるでこんな時間が夢幻であるかのように。


 ここにはあの疫病女神がいなければ、エロとセクハラの化身もいない。


 ビッチ魔族のルティーナも、快楽の奴隷のシフォンも、今は大人しく馬車の中で眠っている。


 仮初めの幸せであることは重々承知している。だが、たまにはこのぬるま湯に浸かってもバチは当たらないはずだ。


 何せ俺は、それだけの苦行、困難、非日常を、今日という日まで送り続けて来たのだから。


 細やかな褒美も無しにこんなことをずっと続けていられるはずもない。


 まだ就職も完了していないのに、その前からブラック企業のような労働を強いられるなんて御免被る。


 少しだけでも良いから、せめて俺に僅かな安らぎを分け与えてください神様。


 ……なんて、祈ったところで聞き入れられるはずもなし。


 何せ神様は今、天界にてニートゲーマーの日常を過ごしているのだから。


「眠っ……」


 あれこれ考えている内に、眠気がピークに達して来た。


 次第に瞼が重くなっていき、視界がシャットダウンする。


 そのまま俺は浅い眠りに――


「ごふぁっ!?」


 落ち掛けたところ、突如謎の物理的襲撃の被害に遭い、腹部を抱えながら数メートル先まですっ飛ばされた。


「次から次へと何なんだ……。誰だか知らねぇが良い度胸してやがらぁ……」


 よろりと弱々しく立ち上がると、さっきまで俺が寝ていたところに何かが見えた。


 全体的に丸みを帯びた鼠色の身体に、ボクシンググローブを装備した長い腕。


 イメージするのであれば、二足歩行で歩くモグラと言ったところだろうか。


 さっきの刺激から推測するに、あの妙な魔物が寝ている俺を蹴り飛ばしたんだろう。


 見た目はマスコットキャラのような風貌のくせに、やることはまるで鬼か悪魔だ。


「シッ! シシシッ! シュッ!」


 俺と戦えと言わんばかりに、シャドーボクシングで挑発を仕掛けて来る。


 人間の子供のような背丈のチビのくせに、威勢だけは一人前だ。


「フフッ、フフフフフッ……」


 無意識にルティーナのような笑みが溢れてしまった。


 折角人が癒しを味わっていたというのに、あのモグラ星人のせいでとんだ台無しだ。


 この底知れぬ苛立ち、一体どうしてくれようか?


 丁度良い機会だ。間違っても殺めてしまわないようにではあるが、これまでずっと蓄積していた鬱憤を晴らさせてもらおうじゃないか。


 拳と拳を握り締め、ぶつけ合わせて自分自身に喝を入れる。


 魔法を使うまでもない。あの程度の魔物、素手(ステゴロ)で事足りる。


 いや、違う。むしろあいつは素手で倒さないと俺の気が収まらない。


 芝生が抉れる力強さで地を蹴り、電光石火の如く眼前の敵へと真正面から突っ込む。


 右の突きを構える俺に対し、モグラモドキはガードの構えを取る。カウンターでも狙っているのか。


 多少なりの殺意を見せ付け、本気で相手の腕の骨を折るつもりで一撃を放つ。


 岩をも穿つ拳が炸裂。カウンターをさせる隙も見せず、その一撃はすんなり通った。


 ……シフォンの腹に。


「どっから出て来たお前!?」


「おぐぉ……これは素晴らしいです……。正拳突きという基本の型に収まらず、相手の急所を正確に狙っている殺人的な一撃……。何かしらの力を極めた玄人の技術であると、私の身体が訴え掛けて来ています……」


「冷静に考察してる場合か!」


 ルティーナと共に馬車の中で眠り腐っていたはずだったのに、こいつの本能的な何かが魔物の襲来に警告の鐘を鳴らしていたとでもいうのか。人の形をした獣かこいつは。


 腕を引き抜くと、シフォンの腹はべっこりと凹んでしまっていた。


 貫通はしていなくとも、肋骨(あばらぼね)が何本かイッているのは間違い無い。


「なんで魔物の盾になってんだよ! そもそも大丈夫なのかそれ!?」


「いいえ、全然大丈夫じゃありません。こんな痛みを知ってしまったら、並大抵の物理的刺激じゃ満足できなくなってしまいますから!」


「そういうことを聞いてるんじゃなくて――ほら避けろって!」


 魔物が空気を読んでくれるわけもなく、眼前に立ちはだかるシフォンを殴り飛ばそうと右腕を振り被る。


 シフォンの腰を砕かんとする右フックが放たれるが、咄嗟のところでシフォンの頭を鷲掴み、無理矢理身体を下に引っ込ませた。


 魔物が空振るところを見逃さず、胸の辺りに狙いを定めて左掌を開いて構える。


 横綱の突きに匹敵するであろう掌底を放つと、鞭で叩くような弾き音が鳴り響き、確かな手応えを感じた。


 掌底は、シフォンの顔面に収まっていた。


「あぁもう邪魔お前ぇ!!」


 埒があかないと判断し、シフォンの顔に掌底を埋め込んだまま、魔物目掛けてシフォンごと突き出した。


 シフォンの後頭部が魔物の顔面にジャストミートし、顔を真っ赤にした魔物は、先程の俺のように背中から吹っ飛んで行った。


「意地でも刺激を味わいたいと!? 無駄なことに労力使ってんじゃねぇよ!」


「〜〜〜〜〜!」


「顔凹んでて何言ってるか分かんねぇし!」


 尻の穴のような顔面を自ら指で摘んで引っ張り出すが、修復された顔はモザイクを掛けるべきエグい有様になっていた。とてもお子様には見せられない。


「エクセレント! ドツボにハマりましたよこの痛み! 止められない、止まらない、止まる気もない!」


 何故その重症で平気な顔ができているのか。いや、顔自体は全然平気じゃなくなってるんだけども。


「致命傷残るぞお前。女としてそれはまずいんじゃねぇのか」


「いえいえ、この程度の傷でしたら問題ありません。唾でも付けておけば治りますよ」


「メイドらしかぬ雑な処置だな!? そんなことで治ったら苦労しないわ!」


「治りますよ。ほら、見ていてください」


 シフォンは自分の人差し指に唾液を塗りたくると、怪我した部分を唾液付きの指で撫で始めた。


 すると奇想天外なことに、見るからに重傷である傷が見る見る内に塞がっていき、瞬く間に完治してしまった。


「何だその魔法、最早チートじゃねぇか……」


「いえ、これは魔法ではありません。強いて言うのであれば、私の特異体質と言ったところでしょうか」


「特異体質って……。まさかお前も魔族とかいうオチなんじゃ?」


「いえ、私は歴とした純度百パーセントの人間ですよ。尻尾も生えていなければ、鋭い牙や爪も生えていません」


「だったらそれはどういう理屈で?」


 質問してみると否や、シフォンは自信ありげに目を瞑りながら不敵に笑った。


「私の特異体質、その正体とはズバリ――Mであることです」


「…………」


 ロクな理屈ではないと、俺の本能が前以て伝えてくれた。


 しかし一度聞いてしまったがために、シフォンは話を区切ることなく語り始めた。


「まず最初に問いますが、ビャクトさんが想像するMとはどういうお方のことを言い表しますか?」


「……受けを好む人、とか」


「そう、その通りです! 他者からの罵詈雑言や、悪逆非道なる肉体への拷問といったように、この世のありとあらゆる受けを求め、快感に溺れることを生き甲斐とした方のことを示します」


 その説明は少々語弊があると思うのは俺だけだろうか? あまりにも極端過ぎる。


「しかしですねビャクトさん。この世には愚かしいことに、自分はMであると勘違いした有象無象の馬鹿が蔓延(はびこ)っているんです。例えば、自称Mを語る人の中に、こんな言葉を語る人がいました。『その責められ方は何か違う』と……」


「……で?」


「先程説明した通り、Mとは様々な受けに快楽を感じる者。故に、どのような責められ方であろうとも、Mは歓喜し、諸手を挙げ、発狂するんです。それなのにも関わらず、私が例題に挙げていた方は責められ方を選んでいたんです。それがM失格の刻印となることも知らずに!」


「へー」


 気付くと、吹っ飛ばされていた魔物がむくりと身を起こして、再び俺達の元へ迫り来ていた。案外タフであったらしい。


「その責められ方は何か違う? 笑止! 責められ方を選ぶ権利など、Mである者にあるはずがありません! 更に言えば、千差万別の受けに心躍らせるのがMというもの! 一度でも羞恥や苦を感じてしまえば、その時点でその者はMの称号を剥奪されるんです! それがMの深層心理なんです!」


 奴の狙いは当然俺。一撃入れられたことでムキになったのか、腕が多重に分身しているかのように見えるラッシュを仕掛けて来た。


 一発一発が全力の拳であり、ビリビリと肌に闘気が伝わってくる。


 だが、まだ遅い。雨霰(あめあられ)のような乱打を正確に見切り、右へ左へと受け流す。


「しかし、Mの理を心と脳裏に刻み込んでいる私は、まるでくすくすと育つ植物のように成長し続け、やがて友人から『正真正銘のキチガイ』という名誉を授かりました。ようやく私は“ドM”になれたのだと、感動の涙を流したのは良き思い出です。あの日の星空はそれはもう綺麗に輝いていて、まるで私を祝福してくれているかのような演出でした……」


 次第に目も慣れて来て、隙あらばカウンターを打ち込んでいく。


 それでも尚、モグラファイターは責める姿勢を変えず、闘志を燃やし続ける。


「しかしそれからが長い長い苦行の道の始まりでした。あらゆる痛みに快楽を感じていた私でしたが、それはあくまで私の意志だけの話。当時の私の身体は、私の意志に反するが如く、日々衰弱していきました」


 魔物の体力の低下が著しくなっていき、隙が大きくなっていく。


 この仕掛け時を逃すなどという愚行を犯す前に、一歩前へと前進した。


 身体のあらゆる部分へ掌底を放つと、打った部分が痙攣を引き起こし、魔物は麻痺したかのように動きが極端に鈍くなった。


「日に日に身体は衰えて行き、やがて私は一人で立てなくなるまでに至りました。ドMともあろう私が、複雑骨折と高熱程度で倒れてしまうだなんて終わっている。しかしそれでも私は諦めることはありませんでした。どんなに強力な刺激にも耐えられる身体が欲しいと、切実に願い続けたのです」


 やる気があっても身体が動かなければ意味は無し。遠慮や容赦とは遠く掛け離れた威力の突きを、今度こそ魔物の腹に命中させた。


 背中から地を擦って吹き飛んで行き、魔物はベロンと舌を出しながらぐったりと動かなくなった。


「そして、ある日のことでした。ボロボロに朽ち果てていたはずだった身体が、知らず内に完治されていたんです。誰かが私を治療してくれたわけではなく、私の中で眠っていた自然治癒能力の核が目覚めたんです。願いは信じ続ければ叶うものだと、この時私は実感しました。そうして今の私があるわけです」


 不意打ちの一発には驚かされたが、所詮は小物程度の魔物。多少ムキになってしまった感があるにせよ、俺の敵じゃなかったようだ。


「どうですかビャクトさん? この世に奇跡は実在するんですよ。つまり、Mとは奇跡と同義であり、名誉ある称号なんです。希少価値の高い人類の国宝なんです。分かりますか?」


「悪い、話聞いてなかった」


「はぅっ!」


 雑な対応を取ると、シフォンは自分の肩を抱き締めながら頬を赤らめ、息遣いを荒くさせていた。


「これだけ私に語らせておきながら一つも話を聞いていないだなんて……。まさに鬼畜外道たる器ですね!」


「誰が鬼畜外道だ! 俺じゃなくとも大抵の奴なら聞き流してるわ! 与太話ってレベルじゃねぇんだよお前の語りは!」


「何を言いますかビャクトさん。いいですか、これだけはよく聞いてください。この世界に存在する人間と魔族の人数は合計約二億人です。そしてその二億人の誰しもが、S属性かM属性に分けられます。私が仕入れた情報によれば、S属性とM属性の比率は3:7と出ているんです。つまり、一億四千万人もの方々がMの素質を備えているんです。ということはですよビャクトさん。私の話は――」


 一時的に聴覚を遮断し、倒れている魔物に目を向ける。


「……ん?」


 気は確かに失っていたはず。だがどういうことなのか、倒れていた魔物が目を覚まし、独りでに起き上がっていた。


「聞いてるフリをしても無駄ですよビャクトさん! 貴方は今、聴覚の機能をオフにしていますね? 今すぐ電源を入れてください! さぁさぁさぁ!」


「鬱陶しいわ! 暑苦しい顔で寄って来んな!」


 ぐいぐい距離を縮めて来る度に頰を押し付けてやるが、意外に力強くて対等に張り合って来る。


「その程度の押し付けじゃ怯みもしませんよ! もっと強く! もっと激しく! もっとバイオレンスに!」


「しつっこい! 今それどころじゃねぇって! ほら見ろ、魔物がまた起き上がって――」


「ギィイイイ!!」


 耳を劈く悲鳴のような声を上げる魔物。


 目に涙を溜め込むと否や、ボクシンググローブを捨てて地面の中に潜って行った。


「負け犬の遠吠えにしちゃぁ刺激が強いな。くそっ、耳がキンキンする……」


「フッフッフッ……。待っていましたよこの時を。お疲れ様ですビャクトさん。そしてありがとうございます」


 今度は急に笑い出すドM。ウザいというか怖い。


「お前の言っていることは何一つ理解できん。お礼を言われるようなことをした覚えはないんですが」


「いいえ、そんなことはありません。何故ならビャクトさんは“トリガー”を引いてくれました」


「トリガーって何だよ。俺に分かる言葉で教えろ」


「私が言わずともすぐに分かりますよ。ほら、聞こえてきましたよ。胸の高ぶる足音が」


「……?」


 シフォンの口煩さを除けば静かだった周りに、突如地鳴り音が鳴り響く。


 震源地は真下であると、実際その場に立っているからこそ理解できた。


 地鳴りは一向に止むことはなく、むしろ秒感覚で激しさが増していき、立っていられない程の地震に自然と片膝を付いてしまう。


 地鳴り音の中に、獣の呻き声のような遠吠えが混じる。


 同時に、俺の顔色は真っ青に染まった。


 刹那、すぐ背後の地面がヒビ割れて、禍々しい龍のような顔が生えてきた。


 見たもの全てを凍てつかせるような鋭い目に、鉄をも容易に噛み砕きそうな何本もの牙。悍ましいったらありゃしない。


 後に腕や足も生えてきて、全長二十メートルはあるであろう茶色の龍が姿を現した。


 剥製でもレプリカでもない、モノホンの龍だ。


「これが噂に聞くナックルドラゴン……。まさかこの目で拝める日がやって来るだなんて! もしやビャクト様は災いを引きつける何かを持っていたりするんですか!?」


 シフォンがなんか喚いているが、生憎今の俺にはツッコミを入れる余裕が残されていない。むしろ何故こいつがこんな余裕でいるのか理解できない。


 ドラゴンはギョロリと眼球を動かし、自分の足元付近に棒立ちしている俺を見つめて来る。


「私の獲物はお前だな」と、その瞳が物語っていた。


「下がっていてくださいビャクトさん! ここは私が!」


 分かっている。逃げるという選択肢が、今の最善の回答であることくらい。


 だが、獣という生き物は、相手が背を向けた瞬間に襲い掛かってくる可能性が極めて高い。


 しかも相手はドラゴンだ。一度のミスが死に直結するだろう。


 この前の熊程度の大きさの獣であれば、俺でも相対することはできた。


 しかし相手は、住宅マンション六階建てレベルの化け物だ。


 一矢報いることすら難しい、なんて話にすらならない。


 俺がドラゴンを前に萎縮している隙に、シフォンは手に持っているブラシを棍棒のように振り回し、ブラシの部分を思い切り地に叩き付けた。


「古を掌握せし古代の巨兵よ。未曾有(みぞう)の理を断ち切り、悠久の時を経て、現世へと君臨せよ。開け、地陸の大釜よ!」


 急に痛々しいワードを呟き始めたと思いきや、魔法発現のための詠唱だったようで、シフォンの足元に紫色の幾何学模様の魔法陣が出現した。


 陣は徐々に膨張していき、やがてその中から巨大な石の腕が生えて来た。


 そうして、見覚えのある石の巨兵が召喚された。


 ドラゴンとほぼ同等の体格。ありとあらゆる角っこが丸みを帯びていて、妙にファンシーな見た目のゴーレムではあるが、その頑丈さは認識済みだ。


 絶体絶命だと思ってしまっていたが、これなら何とかなるかもしれない。


「いいぞドM! これならドラゴン相手でも対抗できる!」


「えぇ、ですからここは任せてください! ドラゴンさんもご自由にかかって来ていいですよ! ありとあらゆる猛攻であろうとも、全て私が受け止めてみせましょう!」


 自分と同じ体格の相手が突如目の前に現れたことで、ドラゴンの注目が俺達からゴーレムの方へと移り変わる。


 警戒しているのか、ジッとゴーレムを見つめて様子を伺い、攻撃するタイミングを見計らっている。


 そしてすぐに身体が動き、何を思ってか両手を思い切り大地に突き刺した。


「今の内ですね。こちらもやるべきことはやっておきましょう」


 まだ何か秘策があるのか、シフォンはブラシの尾の部分をゴーレムに向けた。


「“フィーリングコネクト”!」


 尾の部分から白い糸のようなものが発現し、うねうねとミミズのように気色悪く動いていくそれは、ゴーレムの背中に当たって消滅した。


「これで準備は整いました。今の私に敵はいません」


「何だ今の弱々しい魔法。そんな重要そうな魔法には見えなかったぞ」


「何を言いますかビャクトさん。今の魔法を使わなければ、ゴーレムを起動させることができないんですよ」


「あぁ、そういうこと……」


 要は、物体を操作するための魔法ってことか。


 動かないゴーレムなんてただのでかい壁と何ら変わらんし、見た目とは裏腹に超重要な魔法だったらしい。


 兎にも角にも、これでこちらの迎撃準備は整った。後は向こうの出方を待つだけだが……。


「むむ? 見てくださいビャクトさん! あれはまさか……」


 既にドラゴンは両手を引き抜いていた。向こうも戦闘準備は整ったってところだ。


 赤いボクシンググローブを装備して、シャドーボクシングでイメトレか。うんうん、まるで幾千もの修羅場を超えて来た歴戦の覇者のようで――


「俺が想像してるドラゴンと違う!!」


 さっきの魔物の親かこいつ? ボクシンググローブ身に付けたドラゴンって何? 最近の魔物はシュールさに特化しているんですよ、という主張をしてきているとでも?


 しかし何にせよ、パンチに特化したドラゴンだと言うのであれば、このゴーレムでも十分に対抗できるはず。硬度ならこっちの方が上だ。


「グオゥッ!」


 イメトレを終え、先手必勝の右ストレートを放って来た。


 対するシフォンゴーレムは――


「あ゛ぁい!」


 腕を駆使してガードの構えすら取らず、モロにボディで受け止めた。


 ゴーレムの身体は一撃で木っ端微塵。跡形も無く崩れ散った。


「うぉおい!? 自慢の硬度は何処いった!?」


「あばばばば……」


 寝ながらゴロゴロと転がって七転八倒するシフォン。


 自分の身体を腕で抱きしめながらもがき苦しんで――もとい喜びに満ち溢れている。


「遊んでる場合か! 状況を考えろよ!」


「遊んでいるわけではありません。今私は、ドラゴンさんの火力を身を以て味わっているんです。これは洒落にな……ごほん、美味なる刺激ですよ」


「洒落にならないって言おうとしたろ今! そもそもなんでお前がダメージ受けてんだよ!」


「先程私が使った“フィーリングコネクト”は、物質の操作の権利を得ると共に、その物質と感覚が繋がるようになるんです。つまり、コネクトした物質が粉微塵にされれば、私の骨にも三割くらいの影響が及びます」


「……今の一撃でどれくらい影響出てんだ?」


「肋骨が四本くらい折れてますね。とても動ける状態じゃありません」


「このポンコツメイドがぁぁ!」


 ドMの変質者に期待していた俺が馬鹿だった。


 この様子からして、自慢の自然治癒能力でも復活には時間が掛かりそうだ。


 ゴーレム消滅により、ドラゴンの注目対象が再び俺達に定められる。


 全身に悪寒が迸り、脳裏に流れる走馬灯。


 聞こえるはずのない死神の足音が、カツンカツンと背後から近付いて来ている気がした。


 咄嗟にシフォンを担いで逃げ出すと、さっきまで俺が立っていた場所にドラゴンパンチが放たれた。


 ぼっこりと綺麗な穴が開いていて、一点に威力が絞られている無駄の無い見事な突きであると感心してしまった。


「ルティーナァァァ!! お前のご主人が絶賛大ピンチですよ! 俺にアピールできるまたと無い機会ですよ! さぁ今すぐ目を覚まそうか!」


 反応は無い。本当に熟睡しているのか、わざと聞こえないフリをして俺が必死こいてる姿を眺めて笑っているのか。


 どちらにせよ、あいつに期待するのは愚かしき選択であった。


「誰か助けてくれぇぇぇ……」


 俺の悲鳴は虚しくも、青空へと響いていくのみ。


 救いの手が差し伸べられることはなく、自力で逃げ切るまでドラゴンに追いかけ回される羽目となった。

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