虫の一匹すら殺せないような優しい殺し屋
一回戦目の試合にすらならなかった不毛な勝負。
二試合目と三試合目の変態による鬼畜イリュージョンショーというしょうもない勝負。
四試合目の魔女によるホラーチックな悍ましい勝負。
試合数は少ないものであったが、ここまで来るのに大分時間が掛かった気がする。
謎の窒息によって気絶した女騎士は、ワロスの手の者によって治療室に運ばれていった。
怪我はしていないので、何処ぞの魔女に他に何もされていなければ、いずれ目が覚めることだろう。
女騎士に勝利したルティーナは、続けて第五回戦に出場する権利を得たはずだったが、それは本人の意思によって無効となった。
「私が勝ったのは偶然ですし、動き回って疲れてしまいましたの。最後の見せ場は貴方様にお譲り致しますわ」と、また性懲りもなく屁理屈を立て並べていた。
息切れもせずに勝っていたくせに、何度俺達に嘘を吐けば気が済むのか。魔性の女とはまさにこの魔女のことよ。
ルティーナの辞退により、お互いに残るメンバーは大将一人のみ。
つまり、この第五回戦の大将戦で雌雄が決されることになるわけだ。
責任重大ではあるが、別にプレッシャーを感じたりはしていない。この程度のことで動揺していては、冒険者としてやっていけるはずもない。
「ついにこの時がやって来たようだな。待ち侘びたぞ貧困民」
最終決戦の大勝負ということで、決戦の場に赴く前にワロス達がちょっかいを掛けて来た。
と言っても、実際にちょっかい掛けに来たつもりなのはワロス一人だけなのだが。
「まさかこちらのチームが最後の一人になるまで削られることになるとは、僕も予想だにしていなかった。その点についてだけは貧困民である君達を褒めておこう。貴族たるこの僕に賛美されることを光栄に思うがいい」
「そッスね」
「たった一言で流してくる貧困民にテラワロス!」
聞く耳持たず、耳の穴を穿りながら欠伸を漏らす。
御託も与太話も求めてないから、とっとと最後の決闘をおっ始めて欲しいものだ。
「随分と余裕ではないか。さては、君が負けた後の条件のことを忘れているな?」
「お前の奴隷になるってやつだろ? そもそもこっちは負ける気無いんで。縁のない未来に目を向ける必要なんて無いし、考えても無駄だろ」
「自信過剰ではないか。たかが貧困民の君が面白いことを言う。しかし、これから君の身に起こることを思ってしまうと、流石の僕も同情せざるを得ないな。残酷な運命から逃れられない貧困民にテラワロス!」
「そういうノリはいいから、早く下に降りてくんない? こっちはもうお前に割く時間も勿体無いと思って来てるところなんで」
「それはそれは。しかし、僕が下に降りる必要はない。何故なら、戦うのは僕ではないのだからな」
……は? こいつが大将じゃないのかよ。エンターテイナーワロスの名は名ばかりの道化だとでも?
「ぷぷぷっ、今の聞いたビャクト? あいつこの期に及んでチキったんだぜきっと」
ルティーナの試合が終わった頃くらいに目を覚ましていたピノが、わざとらしい煽り笑いでワロスを挑発した。
「なんとでも言うがいい。僕が試合に出ては、万が一にも君達に勝ち目は無くなってしまうからな。この貴族たる僕が君達貧困民を気遣ってあげたのだよ」
「私達は一勝もできずに終わるとか言ってたのに、なんか今更な発言ですね」
「はははっ、言うねミルク。でもぶっちゃけそうだよね。取って付けたような言い分にしか聞こえなくてテラワロス! 的な?」
「……なんとでも言うがいい」
ミルクの的を得た発言に、更にピノのこれ以上にないくらいの煽り言葉が付け加えられ、流石のワロスも憤りを隠せずに静かに怒っていた。
いいぞ、もっと言ってやれポンコツ共。畳み掛けるは今ぞ。
「こういういかにも噛ませ犬っぽい坊ちゃん貴族って、大抵強そうなのは異名や噂だけだよね。実際に戦ったら一発でやられてそうな姿が見え見えでしょ」
「そういうものなんですか? でも見た感じ貴族さんは戦えそうな雰囲気じゃ無さそうですし、案外ピノさんの言う通りかもしれませんね」
「大体さぁ、異名が『疾風』って何? それと『エンターテイナーワロス』だっけ? どっちもインパクトが薄いっていうか、在り来たり過ぎて正直つまんないわ。地味と言ってもいいかもね。そんな異名付けられちゃって、私なら恥ずかしくてやっていけんわ~」
「いや、ピノさんはピノさんで結構平凡な異名だったと思うんですけど……」
「おっとっと、ミルクちゃんや。その話はここじゃNGだぜ? それと急に私にディスりの矛先向けてくるのも止めようね?」
もっと言ってやれと思ったが、やっぱウザいなこいつら(特に変態の方)。生理的に受け付けられないとでも言うべきか。
「ここまで侮辱されるのは初めてだ……。覚悟することだな貧困民! 君が戦う相手は、確実に君を地獄へ叩き落すことだろう! 今だけ感じていられるであろう生のありがたみに最後の感謝をしておくがいい!」
これまた怒りの矛先を俺に向けて来たところで、ワロスは踵を返して俺達の近くから去って行った。結局何がしたかったんだあいつ。
「悪いわね触角君。あの人って見た目通りプライドが高い人なのよ。最後に何が出て来るのかは私達も知らされてないけど、健闘を祈っておくわ」
「お、おぉ」
それだけ伝えて来ると、コレッタもワロスの後に続いて去っていく。何だかんだであいつも悪い奴では無いんだよな。
「あ、あの、ビャクトさん」
一人残ったシアンはモジモジしていると、顔を赤らめながら恥ずかしそうに手招きしてくる。耳を貸して欲しいということだろうか?
首を傾けて耳を貸してやると、シアンは俺の耳に手を添えてそっと耳打ちしてきた。
「今の私はワロス様の部下だから、本当はこういうこと言うの駄目なんだけど、私はビャクトさんのことを応援してるね」
「……媚び売りか?」
「いやそういうことじゃなくて!」
「ははっ、冗談だって。サンキューな、シアン」
「う、うん……。それじゃ頑張ってねビャクトさん」
ニッコリと純粋な笑顔を向けてきて、手を振りながらシアンも慌てて二人の後に続いて行った。
仮にリィアさんを女神と称するのならば、あの子はまるで天使のようだ。是非とも彼女のような女の子にパーティメンバーに入って欲しいものだ。
「ふーん……。随分と仲良くなってますね、ビャクト様」
「……ブッサ」
「誰がブサイクですか!」
後ろを振り向くと、不機嫌な顔になって醜くなっているミルクがいた。見るに堪えない汚い顔だ。
「なんで敵チームの方と仲良くなってるんですか! しかも最後の踊り子の人に至っては、非情にも私をボコボコにした外道なんですよ!? あんな鬼畜な人と仲良くなるのは許可できません!」
私怨を挟んだ発言にテンションが冷める。
許可も何も、お前に許可を取る必要性が何処にあるんだクソ女神め。
「ビャクトって実は女タラシなところがあったり? んだよ~、隅に置けないなぁ大将も~」
「誰が女タラシだ。生まれてこの方、彼女の一人すらいたこともない男だぞ。そんな奴がタラシを名乗れるわけねぇだろ」
……自分で言ってて悲しくなってきた。
「寂しい青春送ってたんだね。ドンマイ童貞」
「…………」
「おっといけねぇ、これ以上はマジでぶっ殺されそうだぁ。お口にチャックと……」
殺意を剥き出しにすると、ピノは顔色を悪くさせて大人しく引き下がった。流石にこの殺伐とした流れのパターンは学んでいるようだ。
「ピノさんは余計なことを言い過ぎなんですよ。ビャクト様は女の子のように繊細なお方なんですから、口を滑らせるのは危険ですよ」
「説得力の欠片も無しか!」
容赦なく頭をぶん殴り、ミルクは「あいたぁ!?」と間抜けな声を漏らす。
マジで学習能力のない猿知恵女神が。一度頭の中を覗いて中身を確認してやりたい。
「貴方様。観客達も待ち侘びているようですし、そろそろ最終戦を始めてはいかがでしょうか?」
「んなことお前に言われんでも分かってらい」
「ふふっ、そうですか。それは失礼致しましたわ」
魔女の正体が何なのかは気になるものの、謎の追求は一旦後回しだ。
まずはこの決闘で失った五十万ゴールドを取り戻さないと。そのためだけにこんな面倒ごとに首を突っ込んでいるのだから。
「さぁ、決戦の舞台に降り立つがいい貧困民! 決着を付けようではないか!」
実際に戦おうともしない奴が抜け抜けとほざきやがる。
とは言え、後悔するのは自分だし、好きなようにやらせてやろう。
奴に言われたからではなく、自らの意思を持って決戦の場に降り立つ。
まだ向こうの用意はできていないようで、俺と司会ピエロ以外に姿が見当たらない。
「おい、始めるなら早くしろや。俺の相手は誰なんだ?」
「フフフッ……ピエロよ!」
「はい! では、私は一度引き下がらせて頂きます!」
ワロスの合図で司会ピエロは観客席の方に上がって行き、舞台には俺一人だけが取り残される。
「よし……防壁を展開しろ!」
観客席に被害を及ぼさないようにするためか、これまたワロスの合図で観客席の前に透明の壁が出現した。
コンコンと叩いてみたところ、かなり頑丈な防壁だ。見たところ魔法のようだが、こんな便利な魔法まであるらしい。
最後になって防壁を用意してきたということは、周りに被害が及ぶ可能性があるような相手が出てくるということ。一体どんな実力者が出てくることやら。
「刮目し、恐れおののくがいい貧困民! これこそが、僕の最後の奥の手だ!」
例の如く、中央部分の地面に丸い穴が開いて、さっきの女騎士のように何かが上に上がってくる。
女騎士を超越した戦士か? それとも力で有無を合わせないパワーを持つ武闘家? もしくはコレッタ以上に規模が絶大な魔法を使う魔法使い?
仮にどんな強敵が現れようと、この手で即座に瞬殺して終わらせる。相手が同じ人間である限り、俺に敗北の二文字は無い。
「グォオオオオッ!!」
ようやく上に上がってきたワロスの奥の手。この場にいる者全員を圧巻させ、その存在感を存分に見せ付ける。
灰色の体毛に包まれた三メートル程の巨体。強靭なる爪とマンモスのような牙を携え、赤く光る鋭い眼光でギロリと睨み付けてくる。
馬鹿でかい雄叫びで鼓膜に直接痛みが響くような刺激に襲われ、思わず耳を塞いでしまう。
化け物みたいな人っていうか、化け物そのものが出てきたんですけど……。
「あ、あれって魔物ですよね!? しかもかなり大きいですよ! 見たところ熊のような魔物っぽいですが……」
「“グリズリーボア”だね。各地でも危険視されてるA級の危険種だったかな。ありゃ流石のビャクトもヤバいかもね」
「A級? 危険種? なんですかそれ?」
「魔物ってのはこの世に沢山存在してるけど、中でも飛び切りヤバい魔物が今も各地に潜んでいて、そういった魔物達を格付けした階級みたいなものがあるんだよ。一番高いのがSランクなんだけど、確かあの熊は一つ下のAランク。つまり十分ヤバい魔物ってことだよ。まず一対一で勝てるような相手じゃないし、ビャクト一人じゃほぼ高確率で死ぬかもね」
「ビャクト様ぁぁぁ!! 今すぐ棄権してくださぁぁぁい!!」
とんでもない真実を耳にしたミルクは、防壁の向こう側にいる俺に向かって思いの限り叫んでくる。
話の内容は全部聞こえていた。だが、俺の辞書に降参の文字は無い。
どうもこの世界の金の力ってのは、超危険な魔物を仕入れることができるくらいの権力と力を持っているようだ。
観客の盛り上がり様から見て察するに、恐らくこれがこの決戦のメインイベントだったんだろう。
貧困民である俺と凶暴な魔物を戦わせて、ズタボロになって朽ち果てていく俺の姿を見せ付けることで、観客からの好評価を買い占める。それがワロスの狙いだったわけだ。何とも貴族らしい悪質な遊戯だ。
「はっはっはっ! 魔物による殺戮ショーの始まりだ! ピエロ!」
「はい! 会場の皆様、長らくお待たせ致しました! 本日のメインイベント兼、最終戦へ参りたいと思います! 第五回戦! グリズリーボアvs冒険者(仮)ビャクト! 試合開始ぃ!!」
ゴングの音と共に、一気に会場内が大歓声に包まれる。
同時にボアがまた雄叫びを上げて、俺を食らうために四足歩行で突進してきた。
「やるしかねぇみたいだな……“メタルハンズ”!」
あんな凶暴な魔物に警棒を使えば、特殊合金仕様の警棒であってもへし折られる可能性が高い。
ここは冒険者らしく、この地味な魔法を駆使して立ち向かってやるとしよう。
「……っ!」
強靭な牙が生えた口を大きく開いて、猪なだけに勢いを殺さずに猪突猛進してくる。
「ほっ!」
食らわれる寸前のところで上に跳躍し、ボアの後頭部を叩いて受け流した。
ボアはそのまま魔防壁の方まで駆け抜けて行き、頭から思い切り突っ込んだ。
僅かに魔防壁が振動して、少し揺れ動くのが見えた。
「流石ビャクト様! 今のは闘牛を赤マントで往なす要領のやつですね!」
「ですが、あの程度でダメージを受けるような魔物じゃないようですわ」
「え? ……ひぃぃ!? まだピンピンしてるじゃないですか!」
かなりの勢いで突っ込んでいたはずだったが、ボアは何事も無かったかのように体勢を立て直している。
「グルルル……」と唸り声を上げていて、今度はむくりと身体を起こして二本足で立ち上がった。
「ガルァッ!」
両腕を横に大きく伸ばすと、合計十本の爪が謎の白い光を発する。
両腕をクロスさせるように薙ぎ払ってくると、数多の真空波のような斬撃が飛来してきた。
「おいおい嘘だろ!?」
“メタルハンズ”で受け止めるという思考よりも、避けることを直感で判断してしまった俺は、咄嗟に真横に飛んで転がり回る。
少し判断が遅れたか、膝の部分に真空波の一発が掠った。
斬られた部分が破けてしまい、僅かに切り傷が付いて微量の血が流れた。
俺としたことが、思わぬ攻撃に多少なりとも怖気付いてしまった。俺ならこの鋼鉄の手を使えば捌けるだろうに。
「気を付けな~ビャクト。魔物でも魔法使える奴は使えるからさ〜」
「そういう情報は事前に話しておけよ!」
「そもそも聞かれなかったんで、私が卑下されるのはおかしいかと」
ごもっともだが、その言い方めっちゃ腹立つ。こんな時くらい窮地を切り開けるかもしれないヒントの一つや二つ言っとけってんだ。
本当ならこんな大勢の場で殺し屋の手法をあまり駆使したくはないのだが、命が関わっているとなれば話は別だ。せめて極力悟られない技だけを使っていこう。
まずは、あの真空波を捌くのに目を慣らす!
「ガルァッ!」
さっきと同じ要領で再び真空波を飛ばしてくる。
“メタルハンズ”を解かぬまま両手の指を真っ直ぐにして、手刀の構えを取る。
真空波の一撃一撃に手刀を振るい、身体の一部に当たらないように横に逸らす。
一発しくじれば終わりという緊張感が働いて、ここぞという時の集中力が発揮される。
幾度となく乱れ撃たれる真空波。数をこなしている内に段々と目が慣れてきて、思惑通り真空波の速度が遅く見えるようになってきた。
「すっげぇ……。初撃以外全部受け流してるし」
「なんと言ってもビャクト様ですから! その調子ですよビャクト様~!」
完全に見切ったことでボアもこれ以上は無駄だと悟ったのか、飛ぶ斬撃でゴリ押しするのを諦めて、再び駆け出して突進してきた。
だがその動きはまるで人間のようで、両腕を後ろに伸ばして二足歩行で駆け抜けてくる。今度は容易に往なすことは無理そうだ。
案の定、ボアは俺のすぐ近くまで来たところでスピードを落とすと、今度は直接俺を切り裂こうと我武者羅に爪を振るってきた。
抉り取ってくるかのような爪の乱撃に、こちらも“メタルハンズ”で対抗する。
強靭な爪に鋼鉄の手を駆使して往なし、受け止め、飛び回る。
「……ねぇ、さっきからおかしくない?」
「おかしいって何がですか?」
「一向に反撃に転じようとしていない、ということですわね」
「そゆこと。付け入る隙を突くくらい、ビャクトならできるはずでしょ。でも何でか知らんけど、自分から攻撃しようとしてないんだよ」
長期戦になってきたからか、攻防一体のやり取りを続けている内にその違和感に気付かれてしまった。
ここまで一度も手を出していないんだし、悟られることは想定内ではあったのだが。
「ビャクト~! とっとと反撃しないとジリ貧だよ~!」
「ビャクト様……」
そんなこと言われなくても分かっている。
でも駄目だ。ピノの言う通り、付け入る隙はいくらでもあるが、それでも手を出そうと“思う”ことができない。
相手は魔物だ。ご覧の通り、俺を殺しに掛かって来ていることに何の躊躇いも抱いていない。ただただ獣の本能に従い、相手を食らうことしか頭の中にない。
文句を垂れてる場合じゃない。迷ってる場合でもない。奴を倒さない限り、この戦闘は永遠に続くだろう。それは即ち、俺かボアのどちらかの死を意味する。
でもだからこそ、相手が俺を殺しに掛かって来る魔物であっても、手を出すことがどうしてもできない。
よくよく考えれば、この状況は俺が冒険者として最も望んでいた展開だ。
屈強な魔物を相手に立ち回り、最後には勝利を掴む。そうして俺は冒険者としての生き甲斐を得る。今まで実際に体験していなかったせいでそう思い込んでしまっていた。
だが、違う。その勝利が意味するのは、俺が魔物の屍の上に立って生き甲斐を感じているということ。殺しが大嫌いな俺にとって、その生き甲斐は大きく矛盾してしまう。
俺は今まで様々な漫画や小説といった本を読み、冒険者が魔物と戦う仮想の姿を何度も見てきた。
しかしそれら全ての物語は、魔物を殺すことで世を平和に導いたり、民に安寧を与えていた。
そうして彼、彼女らは、勇者や英雄として称えられるのだ。
初めてそういう物語を見た時は、幼稚園児の頃だっただろうか。
幼心ながらに感じた気持ちは、決して憧れなどという単調なものではない。主人公や悪者といった全ての登場人物に抱く、悲哀や哀愁といった虚しい感情だった。
なんでこの人達は、悪者を殺して平気な顔をしていられるのか。
なんでこの人達は、人を殺して優越感に浸っていられるのか。
なんでこの人達は、殺しを屁理屈や綺麗事で正当化することができるのか。
正義面したヒーローも、悪人面した悪者も、俺からしたら狂人にしか見えなかった。
だから俺は、殺す以外で道を切り開く冒険物の物語を探し出すため、多くの漫画や小説を探し回った。
しかし、そんな冒険物語を探し出すことは結局叶わなかった。
途中までは平和的な物語だったり、コメディが中心で殺しが行われないような物語もあったが、そんな物語であっても一度は必ず何者かを殺す場面があった。
俺の考え方は甘いのだろうか。その気持ちを家族に伝えたところ、返って来たのは否定の嵐だった。
誰一人として俺の考え方に同調してくれるものはおらず、むしろその考え方は殺し屋としてあるまじき考え方だとまで言われた。
それでも、誰もが俺の考え方を否定したわけではなかった。
たった一人だけの唯一の友達が、このように言ってくれたのだ。
『もしもそんな物語があったら、私も読んでみたい』と。
言語力に自信がなかったため、自分の手でその物語を書こうとは思わなかった。
ただ、そう言ってくれた人の存在が心の支えとなり、いつしか俺は無殺の志を掲げるようになった。
これは俺だけの価値観だ。たとえ同意されなかったとしても、それならそれで構わない。
他人が他人を殺すというのなら勝手に殺していればいいし、生かしたいのなら勝手に生かしていればいい。
でも俺はこの先自分の身に何が起ころうとも、決して殺しには手を出さない。
甘ちゃんな考え方だと笑えばいい。
無理なことだと罵ればいい。
間違っていることだと否定すればいい。
好きなだけ、好きなように俺の理想を拒めばいい。
殺し屋の家系に生まれたからこそ知っている、命の尊さ。俺は、俺だけの生き様を最後の時まで貫き通してみせる。
それが“あいつ”と“俺自身”に誓った、誰にも譲れない俺の意地だ。
「っ……!」
立ち回りをミスってしまい、腕にいくつかの切り傷を刻まれる。傷は浅く、しかしまた無駄な血を流してしまう。
「な~にやってんだよビャクト~! さっきからもどかしいぞ~!」
ピノを含めた観客からブーイングが飛び交う。
しかし集中力をかき乱さずに、周りには目もくれないまま目の前のボアだけを一心に注視する。
「……どれだけ周りから卑下されようとも、きっとビャクト様はあの魔物に手を出すようなことはしないと思います」
「はぃ? いやいやそれはないでしょ。それじゃいずれ追い詰められることになるんだし、死ぬことになるなら当然――」
「殺しませんよ。虫の一匹すら殺せないような優しい人。それがビャクト様という人間なんです」
「ふーん……」
無能なくせに分かっていやがる。
どうしてそこまで俺を信じられるのかは分からないが、何も言わずに見届けてくれるというのならありがたい。今だけはその馬鹿正直さに感謝しといてやろう。
「が……頑張ってビャクトさん!」
「シ、シアン? 君は何を言っている?」
「オラァ! 根性見せなさいよ触角君!」
「コレッタもか? なんで君達は敵の応援をしているんだ?」
「理屈じゃないんですよワロス様!」
敵チームである二人が何故か声援を浴びせて来る。
この言い方じゃ皮肉に聞こえてしまいそうだが、傍観者は気が楽そうで羨ましいものだ。
「ガルァッ!」
「野郎っ!」
俺の身を切り裂こうとして来たところで両腕の手首を掴み取り、出せる限りの力を注ぎ込んで押し返す。
ボアも負けじと化け物らしく対抗してきて、何がなんでも殺してやると言ったような風貌で爪と牙を立ててくる。
お互い引けず劣らずの交戦一体。しかしほんの少しの時が流れ、僅かにボアの足が後ろにずり下がり、光明が見えた――かのように見えた。
「ぐぅっ!?」
突然だった。急激にボアの腕力が力強くなり、今度は逆に俺の方が押し返され始めたのだ。
まさかとは思うが、ひょっとしてこいつが使える魔法はさっきの真空波だけじゃなかったってことか?
でも仮にこいつが力を増幅させる魔法を扱えるのだとしたら、もっと早くに使って俺を制圧しに掛かってきていたはず。
となると、他に考えられる可能性があるとすれば……。
「このっ……うるぁあ゛ああっ!!」
自身の身体に喝を入れて火事場の馬鹿力を無理矢理引き出し、また逆にボアの身を後ろへとずり下がらせる。
筋力の限界を越えて雄叫びを上げ、両腕ごとボアの身体を勢いよく持ち上げた。
遠心力を利用してそのまま何度も横に回転し、腕の骨から軋む音が聞こえて来た瞬間に斜め上の方向に投げ飛ばした。
「おぉぉ!? ビャクトすっげぇ!?」
ボアは背中から魔防壁に衝突し、そのまま下にずり落ちる。
まだ気を失ってはいないようだが、俺と同じで疲労が著しくなっている。流石に今のは効いたようだ。
「……フフッ……フフフフフッ…………」
「えっと……ルティーナさん?」
「私達の大将様は素晴らしいですわね。あの絶体絶命の状況の中でも、絶望に挫かれることのない屈強な精神。A級である魔物を相手に、一人で対等に戦うことができる多彩な戦闘技術。そして何より、人類を超越しているかのような人並み外れた力強さ。まさにあの方は、人の形をした“化け物”ですわね」
「そ、そうですね。でもビャクト様は歴とした人間ですよ?」
「信じ難いですが、そうみたいですわね。でもだからこそ、私はこれほどまでに唆られている……。フフッ……フフフフフッ…………」
「どうしましょうピノさん。ルティーナさんがおかしくなってしまいました」
「ん~? そういう時は取り敢えずおっぱい揉んでやればいいんだよ」
「……放っておきますね」
いつものくだらないお粗末なコントの中に、一際不気味な笑い声が聞こえてくる。
もしこの“予感”が当たっているとすれば、やはりあの魔女は……。
「……っと、また来るか」
気を逸らしていたところで、何度目か分からない突進で立ち向かって来ていたボア。次また純粋な力勝負になれば、今度こそ俺はあいつの圧倒的怪力で捻じ伏せられることだろう。
これは……“賭け”だ。もし失敗すれば、俺は間違いなく食い殺される。しかしあいつを殺さずにこの場を収めるには、もうこの手しかない。
「…………ふぅ」
深く息を吸って目を瞑り、ゆっくりと右腕を前に伸ばす。
掌はまだ閉じたままで、何度も深呼吸を繰り返す。
「ビャクトさん!? 魔物が迫って来てるのに!」
「ついに諦めたか! 観念するがいい貧困民!」
目が閉じられた暗い世界の中で、俺は走馬燈を見る。
それは今まで生きて来た全体的な記憶ではなく、ある日クソ親父と一対一で対峙していた時の断片的な記憶の映像だった。
『いいか白兎。殺し屋とは、基本的に暗殺に特化した人材だ。こちらの姿を見せぬまま、死んだことに気付かせることもなく確実に仕留める。それが我ら殺し屋としての基礎だ』
なら見つかった時はどうするのかと、記憶の中の俺は問う。
『その時は無論、見つかった状態で相手を殺めるしかない。状況によっては撤退することも大切だが、中には逃れられない時もあることだろう。そうなれば、鍛え上げた実力で捻じ伏せてしまう以外に選択の道はない。そこで一番重要になってくるのが……“ここ”だ』
クソ親父は立ち膝になって、俺の心臓に掌をそっと押し当てる。
『心。それ即ち、気持ちの強さだ。ただそれは、負けないという心意気の問題ではない。どれだけ相手に自分の意思を“感じさせること”ができるのか、それが重要なのだ』
よく分からないと、記憶の中の俺は首を傾げる。
『まぁそうだろうな。なら、今から俺が手本を見せてやる。いいか? まずは、自分は今から相手を殺すというイメージを思い浮かべろ。もし上手く思い浮かばないというのであれば、そのキッカケになりそうな言葉を唱えるのが良いだろう。口に出すか、心で呟くかは自分で選べ。それから一心に強く念じろ。俺はお前を――』
―――――― 必ず殺す ――――――
「っ!!?」
今まで突進の速度を落とそうとしていなかったボアが、初めて自らの意思で足を止めた。
激しく動揺した様子で取り乱しながら足の爪でブレーキを掛けて、俺から三メートルほど離れたところで硬直した。
「なっ……!?」
ワロスだけではない。会場内にいる全員が目を皿のように見開いて、俺達のやり取りを目撃していた。
ボアは、怯えていた。
ガクガクと全身を身震いさせて、奥歯をガタガタと震わせている。
奴は見てしまったのだ。自分がそのまま突進した後の近い未来を。
四肢を裂かれ、脳が破裂し、牙も爪も削ぎ落とされ、無残な姿に変わり果てた己の亡骸を。
ボアに掌を突き付けたまま、ゆっくりと歩み寄る。一歩、また一歩と、亀の歩みで奴を焦らすように。
近付いていくに連れて、ボアの身体の震えが大きくなっていく。
やがて目の前まで近付いたところで、ボアは「キュウッ……」と弱々しい泣き声を漏らした。
伸ばした右腕を、そっとボアの頭へ近付けていく。
そうして俺は、ボアの頭の上に手を置いて、自分の額をボアの額に重ね合わせた。
「もう大丈夫。俺は味方だから、怖がる必要はない。元の姿に戻っていいぞ」
「…………ガウッ」
優しく語り掛け、よしよしと頭を撫でる。
すると、三メートルの巨体を誇っていたボアの身体は見る見るうちに縮まっていき、小さな子熊のサイズに成り果てた。




