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月牙の剣【本編完結済】  作者: イヲ
二の月蝕
112/112

 無事、沢瀉倫之助は短大を卒業した。

 まだすこし硬いつぼみの桜を見上げて、沢瀉の家の無駄にりっぱな門扉を見る。

 卒業式はもうすんだ。今日の午前中に。式には沢瀉の家の人間はだれもこなかった。

 それがふつうなのか違うのかはわからないが。

 ただ、急に家によばれたので来ただけだ。家に帰ったのは正月以来のような気がする。

 

 ちょうどいた庭師の老年の男性が、あ、と驚いたような表情で倫之助を見た。


「倫之助の坊ちゃん。その格好。今日卒業式だったんで?」

「はい。まあ、一応……」

「そうですか。それはおめでとうございます。旦那様もお喜びになりますよ」


 豪快にわらった声できづいたのか、玄関から慌てたようすで向かってくる女性がいる。

 リクルートスーツに身をつつんだ倫之助を三人の女性が迎えた。

 おかえりなさいませ、といってはいるが、その目はどこかひややかだった。

 そのまま峰次がいる部屋にとおされ、三人は逃げるように去っていく。


「父さん。無事、卒業できました。約束どおり、機構に入りますがよろしいですか」

「ああ」


 ひじ掛けに肘をついたまま、白髪交じりの頭が軽くうなずいた。

 短い返事だったが、それでよかったし、峰次には求めてもいない。

 鋭い目がじっと倫之助を見ている。


「なにか?」

「お前、そろそろ結婚の話はないのか」

「はあ。結婚、ですか。残念ながら」

「将来沢瀉家を継ぐ人間(・・)が必要だろう」


 人間。

 人間でなくてはいけない。沢瀉の家を継ぐものは。

 峰次は倫之助を跡継ぎとは考えていないのだろう。

 まあ、わかる。

 こんな得体の知れない存在を沢瀉のトップにしておくことはできないということは十分に。

 

「それは、まあ、そうでしょうが。養子という手もあるのでは」

「ならん」

「……そうですか。ですが父さんは俺が人間ではないとご存じのはず」

「子どもを作れないということか」


 峰次の鋭い目が、倫之助を責めるようににらみつけている。

 子どもを作れるか否か。それは分からない。

 けれど化け物の子どもは純粋な人間ともいえないはずだ。片方が人間であったとしても。

 正座している足に置いた手が、ほんのわずかに力む。

 おそらく峰次は焦っているのだろう。


「それは分かりません。ただ期待はしないほうがいいかと」

「まあいい。近々見合いをさせたい相手がいる。結婚を考える人間がいないのなら、見合いをしろ。はなしはそれからだ」

「……。では」

 

 畳に手を置いてから深く頭をさげて、部屋から出た。

 ネクタイをゆるめながらため息をつく。

 陰鬼はもういない。

 それでも峰次がそのポストに居続けているということは、それなりの権力があるということだ。

 権力は血と力で受け継がなければいけないと考えている峰次に、なにをいってもきっと無駄だろう。

 なかば諦めながら、自室にむかった。


 倫之助の部屋はがらんしたままだった。

 きれいに掃除はされているが、それだけだ。ベッドに腰かけて、見合い、ということばを繰り返す。

 あのひとはどう思うだろうか。

 見合いをしたとして。

 傷つくのかもしれない、と思う。倫之助がしる一彦ならきっと。

 一彦と出会う前の倫之助ならば、峰次のいうとおりに見合いでもなんでもしただろう。

 けれど、


「……」

 

 ここにいても仕方がない。

 無意識に自室にもどってしまったが、なにもない場所で無為に時間をすごすこともないだろう。

 ベッドから立ち上がって、ゆるめてもなお苦しいネクタイをほどいてからポケットにつっこんだ。

 庭にでても、もう庭師の男性はいない。

 ここから倫之助がすむマンションまで、歩いておおよそ30分かかる。

 タクシーをつかまえるまでもない。


「……?」


 手にわずかな違和感を感じた。右手を軽く開いて、閉じてみる。

 しびれるような、感覚がにぶっているような――。


「楊貴妃?」

 

 陰鬼が消え、風彼此も消えたはず。

 もちろん、倫之助もそうだった。ほかの風彼此使いとおなじ、風彼此も消えて能力も使えなくなった。

 だが倫之助が「楊貴妃」とよぶ風彼此の気配がする。

 ――ふふっ。

 彼女(・・)のちいさな、幼い少女のような笑い声が耳もとで聞こえてきた。

 通り過ぎる風のようにすぐに消えたが。

 わずかに眉をひそめる。

 陰鬼。

 陰鬼がいなければ風彼此も存在しない、という決定的な証拠はない。

 そのふたつを結びつける因果関係もない。

 もしも陰鬼がいたから風彼此があったのだと証明できなければ、風彼此使いは人類の脅威となりえてしまう。


「人間の……」


 風彼此使いが人間の敵になりうることはあってはならないことだ。

 彼らが日本に存在したときから陰鬼はいたし、人間の盾となって戦ってきた。

 ほかの人間が彼らを認識していない時代から。


「だめだ」


 それだけはだめだ。

 風彼此使いも人間なのだから、全員が全員善人というわけではない。

 自分のためにしか力を使わない雛田馨のような風彼此使いもいるのだから。

 目を伏せてから、なにかを決意したように足を一歩、踏み出す。


 まだ早い桜の花びらが一枚、地面に落ちた。


 街中を歩いていると見知った姿が横切った、気がする。

 ――造龍寺(ぞうりゅうじ)鈴衛(すずえ)

 一彦の妹だ。

 彼女は4年前はじめて出会ってから、変わらずに倫之助と接してくれている。

 人間ではないと知っていても、ずっと。


「鈴衛さん?」


 ひとりごとのように呟いた声にも彼女は気づいて、倫之助に笑いかけた。


「ああ、倫之助くんじゃん。どしたの。スーツなんてきて」

「短大の卒業式だったので」


 明るいシルバーかかった短い髪をゆらして、「おめでとう」と両手を胸の前であわせる。

 最近会うたびに髪色が違っているような気がしたが、彼女なりのルーティンなのだろう。


「そうだ。お祝いしなきゃ。どっか入ろうよ。私がおごってあげる!」

「いえ、そういうわけには」

「いーのいーの! このあと暇なんでしょ? 暇そうにしてたもんね」

 

 彼女のきらきらと光る虹彩がまぶしい。

 倫之助は観念して、うなずいてしまった。

 

「鈴衛さんのほうこそ、なにか予定あったんじゃないんですか」

「私? 私は今日休みだしぶらぶらしてただけ。あ、ここ! おいしそー。焼肉食べよ!」

「……はい」


 鈴衛につれてこられた焼き肉屋は昼過ぎになっていても、客がたくさんいる。

 肉の焼く音とにおいと、客が大笑いする声で店内はにぎわっていた。

 居心地のいい場所だ。


「で、どうしたの」


 席にすわった直後、鈴衛は薄いブルーのカーディガンを脱ぎながら、倫之助を見つめた。

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