5.変態令嬢の本懐
変態回です。短いです。
嵐が去った後、まさしくそんな応接間に、ラッセルの溜息が溢れた。
「ようやく帰ったか」
「結局、挨拶は出来なかったですわね」
「なっ! 紹介はしただろう!」
「それに対して、私は返事を返しませんでしたから」
「あー⋯⋯」
確かにそうだと、ラッセルは項垂れた。
「それにしても、後片付けが大変そうですわね。かかった費用は、王家にきっちりと請求しなくてはいけませんよ」
部屋をぐるりと見渡し、尤もらしいことを口にしながら、アデラはラッセルへともう一度目を向けた。
ユリアーナの渾身の雷魔法を受けても、ピンピンとしているラッセルに、流石は騎士団長だと心の中で感心する。
だがここで、アデラの目がギラリと光った。
「まあまあ、ラッセル様! 見せつけてくださいますわね!」
身体は無傷だが、服は所々焦げて、破れていたり、穴があいたりもしている。
どういう理屈で服だけ雷の影響を受けたのかは謎だが、そこから覗く素肌に、アデラは歓喜の声を上げた。
一瞬、何を言われているのか分からなかったラッセルだったが、緩みきった表情を見せるアデラに、思わず自身の身体に目を向ける。
「いやお前、こんな状況なのに、本当にブレないな」
仮にも婚約者が雷魔法を思いっきり食らったのだ。少しは身体の心配をしろよと、ラッセルは呆れを通り越して脱力した。
「ぐふふ⋯⋯これぞ露出の美学、というやつですわね! 見えそうで見えない! それでも少し見えるところから覗く素肌に隆起した筋肉! 最高ですわ!」
手をワキワキさせながら、にじり寄ってくるアデラに、ラッセルはドン引きだ。
そしてアデラの侍女に目で訴えかける。
止めろと。
だが侍女はスッと視線を反らし、背を向けた。
ついで、侯爵家の執事に目を向ける。
先ほどまで王女が暴れていた為、侍女たちは部屋から退避し、執事だけが残っていた。
その執事はアデラの奇行に驚いている。そしてラッセルの視線に気づき、焦ったように背を向ける。
いや、そうじゃないと、変な気遣いをみせる執事に、愕然とした。
そんなラッセルに、アデラの容赦ない攻撃が繰り出される。
さわさわさわさわさわさわ⋯⋯。
「ぐふふ⋯⋯ぐふ⋯⋯」
「ちょ、待て、くすぐったい!」
荒れ果てた室内で、唯一無事な一人掛けソファーに押しやられながら、抗議の声を上げた。
早朝に押しかけてきたユリアーナのせいで、今は薄手のシャツを一枚着ているだけなのだが、破れた部分を避け、何故か服の上から身体を弄られる。
やに下がった目や鼻息の荒さを見れば、間違いなく変態なのだが、真っ赤な顔で遠慮がちに触るアデラに、複雑な感情がラッセルの中に湧き上がった。
「くそっ! 行為自体は酷いのに、なんでそこで羞恥とせめぎ合ってるんだよ!」
呆れたように口にして、ちょっと可愛いじゃないかと変な気分になったラッセルは、上を向いて前髪をかき上げた。
その仕草に、アデラがピタリと動きを止める。
急に静かになったことを不審に思い、上げていた顔をアデラへと向けると、首まで赤く染めあげてラッセルの二の腕を凝視していた。
「ん? どうした?」
「⋯⋯すごい⋯⋯」
向けられた視線を追うと、どうやら力瘤を見ているらしい。
ちょうど服が敗れて、肌が露出していた部分だった。
髪をかき上げることで腕が曲げられて出来た力瘤を、アデラは食い入るように見ていた。
深層の令嬢が、こんなにも近くで殿方の筋肉を目の当たりにすることはないのだろうと、ラッセルはそんなことを思う。
それほどまでに、驚いた表情をしていた。
「なんだ、触らないのか?」
「! さわっ!」
バッとラッセルの上から飛び退いたアデラは、体制を崩し、後ろに倒れそうになった。
一人掛けのソファにラッセルを押し倒している状態だったので無理もない。
そんなアデラの腕を素早く掴み、自身に引き寄せたラッセルが、抱きしめるように受け止めた。
逞しい胸に顔を埋めたアデラがまた変な笑いを始めるかと思いきや、先程と同様、静かになる。
訝しげに顔を覗き込んだラッセルは、思わず吹き出した。
たらり⋯⋯。
鼻血が伝う。
ぬるりとした何かが鼻から出て来たことに、アデラは最初はそれが鼻血だとは思っていなかった。
ムズムズする鼻に手をやれば、指に血が付く。
そこでようやく自身が鼻血を出しているのだと気づき、アデラは大いに狼狽えた。
「いや、お前⋯⋯流石にそれは駄目だろう⋯⋯」
『令嬢として』、その言葉は飲み込んだ。
「あばばばばば」
「いや、動揺しすぎだろう」
普段から血を見慣れているラッセルからしてみれば、鼻血など驚くことでもない。
だがアデラからしたら、一大事だ。
まさか自身が鼻血を出すなどと思っても見なかった淑女にあるまじき失態に、アデラは恥ずかしさでどうにかなりそうだった。
その羞恥を筋肉愛に向けられない変態ではあるが、淑女として由々しき事態である。
そのせいか、顔の横で手を上下に動かし、わたわたとしていた。
動きが激しくなったせいか、鼻血がポタリとラッセルの腹に落ちる。
ちょうど服が破けて見えていた腹筋に、コインと同じくらいの大きさの血が落ちて、流れていく。
腹筋の瘤と瘤の間の溝に、赤い血がゆっくりと伝っていく様に、アデラは益々興奮する。
そして、ゴブッと令嬢の口から出してはいけない声を発し、鼻を押さえた。
そして、ふつりと意識を失う。
「お、おい!」
急に倒れ込んだアデラに焦った声を上げたラッセルに、侍女のマーサが素早く駆け寄った。
「⋯⋯お嬢様⋯⋯興奮しすぎです⋯⋯」
意識のないアデラに言ったところで意味はないと思いながらも、マーサは口にせずにはいられなかった。
「お嬢様はこちらで回収いたします」
「いや、回収って⋯⋯」
荷物のような扱いに、思わずラッセルは侍女を見遣る。
スッと姿勢を正し、深く礼をし、「では失礼いたします」と言った瞬間、アデラとマーサの姿が忽然と消えた。
「っ! 転移魔法か」
人や物を瞬時に、任意の場所に移動させる高度な魔法だ。
呟いたラッセルに、執事が驚いたように声を上げた。
「あの侍女の方が、転移魔法を?」
「いや、伯爵が使役している魔獣の力だ。それを何らかの形で侍女が使えるようにしているのだろう」
どうやってそれを成しているのかは、公開されていない。
それもまた、伯爵家の強みの一つだった。
「さて、これで当分大人しくなるだろうな」
身体に触って鼻血を出すなど羞恥の極みだと、ラッセルは考えた。
貴族令嬢が人前で鼻血を出したのだ。
それはかなりの醜聞になる。
もう恥ずかしくて、合わせる顔もない筈だと高を括った。
翌日、何食わぬ顔で会いに来たアデラに、「いや、来るのかよ!」と突っ込んだラッセルだった。
お読み頂き、ありがとうございます。




