2.残念尽くしの夜会
「お嬢様、そろそろ参りましょう」
「⋯⋯ええ」
あの日以来、笑顔を見せなくなったアデラに、侍女バーサは居た堪れない想いでいっぱいだった。
もっと早くに進言していれば、違った未来があったのかもしれないと思うと、涙さえも浮かんできてしまう。
あの後、アデラはバーサにも確認を取った。
自身の騎士を見る目は、そんなに酷かったのかと。正直に話してほしいと言われ、躊躇いながらも、バーサは答えた。
そうれはもう、包み隠さず、思っていることを全て。
「はい。正直申しまして、変態の域まで達していたように思います。視姦という言葉がぴったりな程、それはそれは舐め回すような卑猥な目で、殿方の半裸を隅々まで凝視しておりました。何なら、涎も垂れていたかと」
「⋯⋯そ、そう」
「それに言葉も、よろしくなかったと思います」
「言葉?」
「はい、それはもう、どの筋肉が素晴らしいとか、撫で回したいとか、噛みつきたいとか、このまま連れ帰りたいとか。一歩間違えれば犯罪です」
「⋯⋯そ、そう」
アデラを極限まで追い詰めたのは、侍女の言葉だったのかもしれない。
そんな折、どうしても断れない夜会の招待状がオルコット家に届き、家族全員が出席することになった。
その夜会には、第一騎士団の面々も参加する。もちろんそこには、苦言を呈した騎士団長も参加予定だ。
「はあ、気が重いわ」
「今回は随分と大規模な夜会だと伺っております。恐らく、そうそう顔を合わせることもないかと」
「ええ、そうだといいのだけれど」
重い足取りで玄関ホールへと向かえば、アデラの兄イーサンが、エスコートのために待っていてくれた。
両親は早々に会場へと向かってしまい、その後を追う形で兄妹二人で入場の予定だ。
「お兄様、お待たせいたしました」
「ああ、キレイだよ、アデラ」
ほぼ条件反射のように告げられた言葉に、アデラは特に気にした様子もなく、同じように言葉を返した。
「お兄様も素敵ですわ」
「ありがとう。では行こうか」
義務的に言葉を交わし、馬車へと乗り込んだ二人は、向かい合わせに座る。
馬車が走り出してすぐ、イーサンが神妙な面持ちでアデラを見据えた。
「アデラ。噂が流れているが、どこまでが真実なのか、確認したい」
「噂ですか?」
徐にそう話し出したイーサンに、アデラは訝しげな表情をした。
「アデラが騎士たちを追い回して、再起不能にしたという噂だが、本当だろうか?」
追い回した覚えはないが、言い寄った覚えはあるアデラは苦い表情をした。だが再起不能とは穏やかではない。
「ええと、どなたが再起不能になったのでしょうか?」
「子爵家の子息たちだと聞いている」
第一騎士団内の子爵家の子息は全員、婚約が整ったと、アデラは記憶していた。だが、再起不能になるほどの何かを自分がしてしまったのだろうかと、思い当たらず思わず唸る。
「おかしいですわね。子爵家の方はみなさん婚約して、それはそれは幸せそうでしたけれど」
あの日以来、三月ほど外出していないアデラは、当然のことながらそんな噂が出回っていることなど全く知らなかった。
だが先日、騎士団長から言い渡された事柄を思い出し、恐らくそれが原因であろうと、アデラはおずおずと口を開く。
「ええと、その⋯⋯第一騎士団の鍛錬場への出入りは、禁止になりました」
アデラの言葉に、イーサンが首を傾げた。既に王宮へ出仕しているイーサンだったが、特にそんな通達があった覚えもなく、アデラの言葉に首を傾げた。
「それは、鍛錬場への見学自体が禁止になったのか? それとも、騎士団の家族や関係者以外の立ち入りが禁止になったのか?」
「私だけが、出入り禁止になりました」
アデラの言葉にイーサンが目を瞠る。次いで、何をやらかしたのだという表情で、アデラを見遣った。
その表情を受け、アデラは居た堪れなくなる。
「どういった経緯で?」
その説明を身内にしなければならないのかと、流石のアデラでも羞恥が勝った。
自身の筋肉愛をここで声高に叫ぶのは躊躇われ、口籠る。
「その⋯⋯団員の皆様から、苦情が出ているようでして」
「苦情?」
「はい。少々行き過ぎた行動を、私が取ってしまったようです」
「⋯⋯そうか」
思いっきりぼかして説明をしたが、イーサンは追及することなく頷いた。
アデラとしてはありがたいが、後々調べられるのだろうと思うと、顔に熱が集まってしまう。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「いや、別に。実際に子爵家や騎士団から抗議を受けたわけではないから、実害はないしね。騎士団の方でも、除団した騎士はいないようだし」
兄の言葉にホッと胸を撫でおろしたのも束の間、これから行く夜会でもその噂が飛び交っているのではないかと思い至り、益々アデラは気が重くなった。
夜会会場に着き入場すると、早速ヒソヒソとしたご婦人方の話し声がアデラの耳に飛び込んでくる。
それを丸っと無視して、隅の方へと寄ると、イーサンが深い溜息を吐き出した。その様子に、堪らずアデラが言葉を零す。
「居心地が悪いですわね」
「まあ、気にするな。噂など、すぐに消える」
兄に余計な気を遣わせてしまっていることを心苦しく思いながら、アデラは周囲を見回した。
そこでふと、一人の令嬢と目が合ってしまう。
労しげに見られ、アデラが軽く黙礼すると、こちらへ歩いて来ようとした。
何度か鍛錬場での見学で会ったことのある令嬢だったが、アデラはその行動に慌てた。だがそれよりも早く、違う人物に声をかけられてしまう。
「オルコット嬢、少し話がしたい。大丈夫だろうか?」
真横からかけられた声に、アデラはぎょっとする。
今一番会いたくない人物に声をかけられ、アデラの眉間に皺が寄った。
スッと兄であるイーサンがアデラの前に立つと、愛想笑いを貼り付けて対応する。
「これはこれは、第一騎士団長、テレンス・ブリストル様。ご無沙汰しております」
「ああ、イーサン。久しいな。すまないが、オルコット嬢と話がしたいのだが」
「どのようなお話で?」
「ここでは少し、話し辛い」
チラリと周りに目を遣ったテレンスは、興味深げに見てくる視線に気遣いをみせる。
「確かにそうですね」
イーサンが仕方がないかと、場所を移動することに同意しようとした矢先、甲高い声が響いた。
「私はアデラ様の味方です!」
急に意味の分からない言葉を発したその人物は、アデラの方へと歩いてきていた令嬢だ。
元々注目を集めていたアデラの周りでは、ヒソヒソ話がピタリと止む。ことの成り行きを見守る野次馬が静かにアデラとの距離を詰めていく中で、再び令嬢が声を荒らげた。
「私たちの婚約は、アデラ様の献身により結ばれたものです! それなのに!」
「そうですわ! アデラ様が間に入ってくださったからこそ、想い人と婚約できたのです!」
囲んでいた輪の中から、一人の令嬢が一歩を踏み出す。彼女もまた、鍛錬場に見学に来ていた令嬢のひとりだった。
二人とも子爵家の子息との婚約が決まったはずだと、アデラは記憶を辿る。
だとしたら、相手は騎士団長で侯爵家の子息なのだが、そんなに強気に言い張って大丈夫なのかと、アデラは不安になった。
だがここで、スッと二人の令嬢の後ろに公爵家の令嬢が歩み寄る。
その公爵令嬢もまた、アデラが伯爵家の騎士との縁を繋いだのだと思い至り、納得した。
「ああ、ああ、もちろん分かっている。今回はオルコット嬢に謝罪をと思い、声をかけたんだ」
慌てて騎士団長テレンスが、弁解した。
だが頭に血が登っているのか、二人の令嬢は尚も言い募る。
「アデラ様のあの視線は、計算されたものだと何故分かりませんの?」
「全くその通りですわ! 普通、貴族の令嬢があのような視線を、殿方に向けるはずはないでしょう?」
二人の言う視線とは、先日、侍女バーサに打ちのめされた視姦的で卑猥な視線のことだろうかと、アデラは遠い目をする。
計算などしていないし、本能のままの視線なのだが、保身の為、そこはあえて否定はしなかった。
「もちろんだ。私もオルコット嬢には、言い過ぎたと反省している」
「ええ、ええ、深く反省してください。アデラ様はあえてそういう視線を振りまいて、私たちの引き立て役になってくださっていたのですから!」
アデラは、二人の令嬢の言い分について考えた。
『アデラの視線は本当に酷いもので、あんな令嬢に狙われ、婚約させられるくらいならば、恥じらいのある控え目な女性であれば御の字ではないかと、そう隊員たちに思わせた』
という作戦であったと、言いたいのだろうか、と。
まさか、そんなはずはないかと思ったアデラだったが、次の騎士団長の言葉に絶句した。
「ああ、分かっている。だが、オルコット嬢。もう少しやりようはあっただろう? あんな変態じみたことをしなくても⋯⋯」
苦り切った表情で、テレンスが言う。
アデラの隣では、何をしたんだと言う目で、兄イーサンが見ていた。
恐らくは、こうした衆目を避けるために、テレンスは場所を移動して、謝罪をと考えていたのだろう。
だがここで、アデラを口撃しようとしているのではないかと勘ぐった令嬢二人によって阻止された。しかも焚き付けたのは後ろに控えている公爵令嬢だろう。
その結果、第一騎士団の団長であるテレンスが、大勢の目の前で謝罪をする羽目になったわけだが。
何故だろう、侯爵家の子息として謝罪をするという屈辱よりも、伯爵家の令嬢として、とても大切な何かを失ってしまったアデラの方が、傷が深い気がしてならない。
「まあ、それで⋯⋯お詫びと言っては何だが、実は紹介したい人物がいる」
「紹介したい人物?」
応えたのはイーサンだ。かなり低めの声ではあったが。
「ああ、第二騎士団の団長、ラッセル・バチェラーだ」
「確か、侯爵家の嫡男でしたね」
侯爵家と聞き、アデラの眉間に皺が寄る。
詫びと言うならば、こちらの好みをしっかりと調べてから紹介してほしいものだと、アデラは思った。
完全なる向こうの勘違いで、謝罪までしてくれているのだが、そこは丸っと無視するアデラだった。
「その、出来れば子爵家か男爵家の方が良いのですが」
眉を下げ、しおらしくしてアデラが言う。
「すまない。実はオルコット嬢の話が思いの外広まってしまってね。紹介しろとせっつかれてしまったのだよ」
折角なので、要望を口にするも、そう単純な話でもないようだと、アデラは目を伏せた。しかも、詫びでもない話になってきている。
というか、酷い噂が広まっているのに、なぜ紹介しろと言う流れになっているのか、疑問でしかないイーサンとアデラだった。
「でしたら、お断りいたします。別にお詫びなどして頂かなくても結構ですので」
「いや、しかし⋯⋯」
「こちらにはその気はないということです。他を当たってください」
素っ気なく言ったアデラとイーサンに、テレンスは慌てた。
だが、聞く耳を持たない二人はその場から立ち去ろうとする。
それに待ったをかけたのは、当の第二騎士団長、ラッセル本人だった。
「随分とあっさり、引き下がるじゃないか。騎士団の見学に足繁く通ってたんだ、騎士が好きなんだろう?」
「⋯⋯ラッセル」
眉を下げ、困ったような情けない顔をするテレンスに、ラッセルは肩を竦める。
テレンスよりも体格が良く、背も高いラッセルは、アデラにとっては理想の相手そのものだった。
侯爵家の嫡男だからと騎士団長に任命されたわけではなく、努力してその地位を手に入れたことは周知の事実だが、それは彼の肉体にも説得力を持たせていた。
服の上からでも判るほどに盛り上がった筋肉は、アデラの目を釘付けにする。
それをしっかりと認識したラッセルは、ニヤリと口角を上げた。だが腐っても貴族令嬢であるアデラは、何とか理性を掻き集め、目を逸らす。
そして非常に残念だと、落胆した。
ただただ、爵位が邪魔をする。
「ええ、騎士様と結ばれたいとは思っておりますが、それは下位貴族の方限定です」
「理由を聞かせて頂いても?」
質問をしたのはテレンスだ。
「我が家は余り、高位貴族の方との婚姻は、推奨されておりませんの」
アデラの隣で、イーサンが頷く。
そしてそのアデラの言葉に、驚愕しきりの令嬢たちがいた。
先日のドーラとの会話は既に仲間内では周知されており、下位貴族を求めていたのがあの理由(筋肉お触りし放題)以外にあったことに、驚きを隠せなかったのだ。
「ああ、まあ、そのような話を聞いたことはあります」
テレンスも、オルコット家がとても裕福で、これ以上の権力を持つことを良しとしない動きがあることは知っていた。
だが、友人でもあるラッセルの事情も理解しているだけに、何とか縁談を纏めたいと追い縋る。
「確かにそうかもしれませんが、そちらにとっても良縁だと思いますが」
「私は、そうは思いませんわ」
高位貴族の子息など、自尊心の塊で、従わせる立場の人間なのだ。実際、騎士団長という役職にも就いているので尚更だ。
そんな相手に、筋肉を見せろなどと言える筈もない。ましてや触らせろなどと言った日には、離縁待ったなしだろう。
だからといって、愛人でもこさえれば、これまた非難轟々だ。
せっかく騎士と婚姻しても、筋肉を愛でられないのであれば意味はない。
そう考えて、アデラは冷めた目をテレンスに向けた。
そしてその隣にいるラッセルにも目を向ける。
如何にも俺様な性格をしていそうなラッセルに、期待するだけ無駄だろうと、息を吐き出した。
「アデラ様、私の婚約者が、是非紹介したい騎士がいると言っておりました」
「私の婚約者もです。もちろん、下位貴族の殿方で、騎士様ですわ」
「まあ、本当! 嬉しいわ!」
先程の令嬢二人がアデラへとにこやかにそう告げれば、アデラは本当に嬉しそうに顔を綻ばせた。
それを苦々しい気持ちで見つめていたラッセルは、強硬手段に出ることにした。
後日、オルコット家が断わることの出来ない『王命』での婚約の書状を、ラッセル本人が持って来たことに、アデラの気持ちはますます冷める。
そしてその『王命』が、ラッセル自身の首を絞める結果になることは、予想だにしなかった。
お読み頂き、ありがとうございます。




