想いを向ける相手
「そんなに簡単なことじゃねえっての」
ダモンから命令を下された密偵は、そうぼやいた。
ダモンよりやや年上、50絡みの密偵は今までに数々の功を立ててきた。
先代のイヴン・タッカー公爵からの古参だ。
だからこそダモンはこの男——ジルに大役を命じた。
だが、ダモンはジルを道具としか見ていない。。
「イヴン公爵がもっと長生きしてくれていたらなあ」
ジルはそう思わずにいられない。
ダモンの父、先代タッカー公爵のイヴンは、生まれながらの公爵とは思えないほど他人の立場に立って考えることのできる人間だった。
今回のような命令を下す時も、ロベリア王宮の地図を持ってきて「ここは警戒が厳しい、ここに手紙があったら不自然だ、うん、ここだな。ここに乱雑に置き捨ててきてくれ」といった指示をくれただろう。
「あの方は、我々のような者も人間として扱ってくれた」
ジルは、しみじみと思い出していた。
難しい命令を成功させた時は、一緒に酒を酌み交わして褒めてくれた。
多くの褒美も頂いたが、肩を組んで褒めてくれる笑顔のほうが嬉しかった。
この人のためなら命を落としても悔いはない、そう思える主だった。
それなのに40歳にもならないうちに病で亡くなった。
家中の者全員が、涙を流してその死を悼んだ。
そして、ダモンがタッカー公爵家の後を継いだ。
若いとはいえ、20歳を超えている。
この男は、まさに生まれながらの公爵だった。
人の痛みなど想像することもない。
いや、我々を人間だと思っているかどうかも怪しい。
平民の娘を身ごもらせたと聞いたが、それも「平民には何をしてもいい」と思ってのことだろう。
奥方に怒られたようで、それ以降は慎んでいるようだが、自分より下の身分の者を人間として見ていないのは相変わらずだ。
「鷹がトンビを生むこともあるんだな」とジルは吐き捨てた。
イヴン様への返し切れないほどの恩を、この男に返すべきなのだろうか。
簡単な任務ではない。
カシウス侯爵が謀反に加担しているという手紙を、その信ぴょう性を感じさせる場所に置かねばならないのだ。
真っ先にカシウス侯爵に見つかったら意味がないので、王宮に忍び込むしかない。
そのうえでカシウス侯爵が通った場所を探り、カシウス侯爵以外の人が見つけるように手紙を置く。
しかもカシウス侯爵の忠誠心は自分でも知っているほど有名だ。
そしてロベリア王国の国王、レオンハルト・ロベリアは暗愚な王ではない。
ならカシウス侯爵に嫌疑がかかることで得をする者に拾わせるのが有効だが、そんな者がいるのかどうかも自分で探るしかない。
それなのに、時間の猶予はない。ダモンがロベリア王都にいる間にやれ、との指示だ。
さすがに王宮の警戒は厳しい。
それでも、やるしかない。
条件に合う場所など、数えるほどしかない。
そこに降り立った瞬間、全身の毛が逆立つ感覚を味わう。
黒装束の男五人が、ジルを囲んでいた。
「王の読み通りだな」
「ダモンが何もしないはずはない」
「カシウス・アルヴェイン侯爵の謀反という話が出た時点で、ダモンの謀だろうと皆が言っていたぞ」
五人の男たちは、憐れむような眼でジルを見ていた。
ジルは両手を上げて降参の意を示し、偽造の手紙を相手に渡した。
「イヴン様、申し訳ございません。私はイヴン様にしか忠義を尽くせません。平民の私には、血筋に忠義を尽くすことはできませんでした」
こうして、ジルはロベリア王国の捕虜となった。
***
ダモンの妻マリアンヌは、ミラをさらうため10人の密偵に命令を下した。
たかが侯爵令嬢一人をさらうだけなのに多過ぎるか、とは思ったが、失敗するよりましだと思った。
自分は夫のような失敗はしない、とマリアンヌは思っていた。
ここでも、誘拐を命じられた密偵たちはろくな情報を与えられていなかった。
ジルは自分で情報を得なくてはいけないと考えることができたが、こちらの密偵は「誘拐する」ために体力重視の若者ばかりが選ばれていた。
アンナがさらわれたことによって、ミラは少数で行動することが減っていた。
常に護衛に囲まれているので、マリアンヌの命を受けた密偵は手を出せずにいた。
そんな時、ミラはレオニス王子とアルベルト先生の下に向かった。
アルベルト先生との時間は、ミラにとって大切で素敵な時間だ。
マリアンヌの命を受けた密偵は、「三人しかいない今がチャンス」だと思った。
実際、ミラのすぐ近くにまで行くことはできたのだ。
だが、レオニス王子が密偵の前に立ちはだかる。
王子が火球で服を燃やすと、密偵たちは狼狽した。
焼け死ぬ恐怖で、パニックになる。
レオニス王子が一人を戦闘不能にするのに10秒もかからなかった。
その間に、ミラは大きな火球を手の平に作り出している。
レオニス王子に目もくれずミラに向かって来た密偵に、ミラはその火球を振りかざして言った。
「この火を受けて死なない自信があるの?」
その言葉は、相手に恐怖を与えた。密偵は、そこから必死に逃げようとした。
その行く先に、ミラは火球を放った。
逃げ道を失った密偵は、全員捕縛された。
その後、レオニス王子がミラに駆け寄った。
「ごめん。ミラを危険にさらしてしまった」
火球を見せるだけで逃げたんだけど……、王子は私をか弱い女の子だと思ってるのかな?とミラは思ったが、それはそれで面白いかもと考えた。
「レオニス様、私怖かったー」
と言って抱きついてみると、王子は「え、あ、は……」と言いながら固まってしまう。
アルベルト先生は、ニヤニヤと下品な笑いを浮かべている。
ミラは「やり過ぎたかな?」と思いながら、王子と少し距離を取った。




