魔法の先生
次の日、カシウス・アルヴェイン侯爵一家はエドガー家を後にした。
ミラは朝のうちに竹馬を借りて乗ってみたが、まったく進めなかった(ローズも教えるほどうまくはない)。
でも、アンナとの話のタネができたと嬉しく思った。
アンナに教わって、次会う時はローちゃんに自慢してやろうとも思った。
だが、竹馬を練習する暇もなく出発の準備に忙殺された。
式典のドレスとは違い、今度は公務なので服装は質素だ。
もちろんミラもノエルもまだそんな服は持っていなかったから作らなくてはいけないのだが、目を楽しませない服を作るのはミラでさえ退屈に思えた。
さらに往復二か月に及ぶ旅程の準備は、それなりに時間がかかった。
それらが終わり、カシウス一家は王宮に向かう。
そこで皆が集結し、合同でラディアート王国に向かうのだ。
カシウス一家が控室で待機している時、突然部屋の扉が開いた。
ノックもせずに扉を開くことは、大変失礼なことだ。
その瞬間、アンナが反射的にミラの前に立った。
「何ですか、あなたは!?」
侯爵も何事かと身構えたが、そこにいたのは一人の少年だった。
そして、その姿を見たカシウス侯爵とその妻クラリスは深々と頭を下げた。
「レオニス王子、ご機嫌うるわしゅう」
それを見たノエルとミラも、両親にならって頭を下げる。
もちろんそこにいたカシウス家の使用人たちも、同じように頭を下げる。
「よう、ミラ。久しぶりだな」
親し気というよりも馴れ馴れしく、その少年はミラに近づく。
アンナは自体が飲み込めずにいるが、まずいことをしたらしいことを感じた。
ミラやその家族もフォローを入れようとしたが、それよりも早くレオニス王子が口を開く。
「お前は私を知らぬのか。アルヴェイン侯爵家は、使用人の教育がなっておらんな。お前の親の爵位は何だ?」
レオニス王子は、冷淡な瞳をアンナに向ける。
この時代、貴族の次女や三女が他家の使用人になることは珍しくなかった。
「爵位などありません。私の父は、農民でございます」
アンナは、相手の目を見つめながら答える。
その瞬間、レオニス王子の目はさらに冷たくなった。
「農民の娘が、王族の私の前に立ったのか……」
薄く唇を歪めながら、王子は言った。
「差し出せ」
位が違うとはいえ、他人の持ち物を勝手に他人が処分するわけにはいかない。
だから、アンナの身柄を差し出せと言っているのだ。
この場合、身柄を受け取った王家はアンナを処刑することができる。
もちろん、そのことはミラも知っている。
そのうえでミラは言った。
「申し訳ございません!この者の身柄はその父から預かっているもの。私の一存で差し出すわけには参りません!」
「何だと?」
レオニス王子は瞳を細めてアンナを見た。そして、ミラの瞳を見て言った。
「その者は、お前にとって大事な存在なのか。平民なのに」
「はい、殿下。私の分身と言ってもいい存在です」
ずっとポカンとしていたアンナだったが、その言葉に胸が震えた。
今にも泣きだしそうになっているアンナに、レオニス王子が言った。
「良い主人に拾われたな。真面目に仕えよ」
そして、ミラにも言った。
「お前に話がある。後で俺の部屋に来い。くれぐれもその使用人は連れてくるなよ。お前一人でだ」
そう言って、王子は去って行った。
それからアンナは「差し出せ」の意味を聞かされて青くなった。
自分は、あと少しで死ぬところだったのだと。
ローズは、このことを忠告してくれていたのだ。
そして、王子に逆らってまで自分を守ってくれたミラに対する忠誠心をさらに高めるのだった。
「ミラ様、申し訳ございません……」
しょんぼりしながら謝るアンナに、ミラは
「大丈夫よ。私もあなたに助けられてるんだから」
と言った。アンナはそれをミラの心遣いだと受け取ったが、ミラの本心に違いなかった。
***
ミラは、言われたとおり一人でレオニス王子の部屋に行った。
両親も兄もアンナも心配したが、ミラはそれほど悲観していなかった。
去年私のお見舞いに来てくれた悪戯好きの王子、という印象が強かったのだ。
ミラは、扉をノックしてから名を名乗った。
「入れ」という言葉を聞いてから、扉を開ける。
そこには、瞳を輝かせているレオニス王子の姿があった。
「一年ぶりだな。ずっとお前と話したいと思っていた。それにしても、あの平民の娘がお前にとってそんなに大事なのか?」
「はい。あの子は私の大事な友人です。さっきは、お戯れであんなことを?」
「いや、あそこまでお前が拒絶しなかったら首を討つつもりでいた」
眉一つ動かさずそんなことを言うレオニス王子に、ミラは恐怖を感じた。
「平民にも命があるのですよ!」
「我々が食べている牛や豚や鶏にも命はあるが?」
「……!」
ミラは、言葉に詰まってしまった。
「食べるならいいのか?」
「人間を……ですか?」
「兵糧攻めが長引けば、そういうこともあるんだぞ」
ミラには、何を言われているのか理解できなかった。
この少年は何を言っているんだろう。
「すまんすまん、そんなことを言いたかったんじゃないんだ。もっと近くに来い」
突然、レオニス王子は子供っぽい口調でミラを呼び寄せた。
そして小声で言った。
「ダモン・タッカーの悪口を言える相手が欲しかったんだ。でも王宮ではどこにスパイがいるかわからないってんで、全然誰も話に乗ってくれなくってさあ。さすがにお前はスパイじゃないだろ?」
自分がスパイだとしても「そうだ」と言うわけがない、と思いながら、ミラはこの王子の愚痴を聞くことにした。
敗戦国の王族は、何かと自由がないのかもしれない。
ただ、その前に一つだけ言っておきたかった。
「平民の命は、そんなに軽いものなのでしょうか」
そこに、意外な言葉が返ってきた。
「いや、俺にも平民出身の大事な人がいるんだ。実は俺、魔法が使えるんだぜ。それで、俺に魔法を教えてくれているのがアルベルトっていう平民出身の魔法使い様だ。その人を他の王族が処刑しようとしたら、俺もさっきのお前みたいに庇うだろうな」
「アル……ベルト……先生……」
それは、前世で自分の魔法の力を見出してくれた人の名前だった。
アルベルト先生、1~3話で出て以来のご登場です。




