誇らしい魔法
式典が終わり、カシウス侯爵らは領地に戻ることになった。
急に倒れたミラを医者に診せたが悪い所は見つからず、カシウス侯爵は「何か難しい病気ではないか」などと不安に思いながらの帰路だった。
だが、ミラは薄々原因が分かっている。
ダモン・タッカー公爵。領地に着いたらその人について調べようと思った。
とは言え、10年前までは戦争をしていた国の筆頭公爵のことである。
子供がそんなに簡単に調べられることではない。
父に聞いてみても、戦上手でやや狡猾な人、としか知らなかった。
だが、それを知ることで自分を縛っているものがわかる気がしていた。
***
以前のカシウス侯爵は武辺一辺倒で、そこら辺の貴族と同じ考え方を持っていた。
貴族は特別で、領民は税を納めるだけの存在。
もちろん領主の義務として守る必要はあるが、自分たちと同じ存在だとは思っていなかった。
だが、命を落とす寸前で見知らぬ少女に命を救ってもらった時、この男の価値観は変わった。
本来なら自分も虫けらのように散る命だった……周りにいる兵士たちと同じように。
それなのに、なぜか自分は生かされた。
命の尊さを教えてもらった気がした。
そうして戦から帰ってきたカシウス侯爵は、別人のように領民思いな領主になった。
それから10年も経っている。
カシウス侯爵が式典から帰ってくる時には、自主的に領民が出迎えるほどに慕われているのだ。
カシウス侯爵はそれをありがたいことだと思いつつ、迷惑ではないかと何度も尋ねている。
だが、少しばかり領主さまにお目通りする程度でへそを曲げる作物はありませんよ、と領民の多くを占める農民に言い返される。
商人は各地を回っているため、あまりこういう場に出てこない。
10年領主をやっているカシウス侯爵は、顔見知りの領民たちに親しく声をかけていた。
その中に、いつも失礼なまでに明るく朗らかなロイという農民がいたが、その様子がおかしかった。
「ロイ、今日はいつもと違うじゃないか。何か心配事でもあるのか?」
侯爵は、気安くそんなことを話しかけた。
すると、ロイはいつもとは別人のようにしおらしい態度で答えた。
「私の娘が……」
詳しく話を聞くと、ロイの娘が医者も匙を投げるほどの状態だと言う。
そんな時に明るく振る舞えるはずもない。
「そうか……私の方からも優秀な医者の手配を考えておく。気を落とすでないぞ」
「ありがとうございます……」
そう言いながら、ロイはもう諦めているかのようだった。
それを見ていたミラは、居ても立っても居られなくなった。
「パパ、私に出来ることはないのですか!?」
カシウス侯爵は、その言葉を思いもかけないといった表情で聞いた。
この時代の貴族が平民を気づかうことなどほとんどない。
カシウス侯爵自身も、医者を遣わすことが自分に出来る最大限の思いやりだと思っている。
しかし、ミラは自分が直接領民を助けることを提案した。
多少のことならカシウス侯爵も自分が領民のために何かをすることは厭わない。
だが、領民のために娘の力を使うことを思いつかなかった。
カシウスが面食らっている間に、ミラは直接ロイの前に膝をついて言った。
「私を信じてくださるならば、あなたのお子さまに会わせてください」
ロイは何が起こっているのか理解できないまま、貴族様の命令通りに自分の家にミラを案内する。
扉を開ける段になって、初めて「このようなむさくるしい家に領主さまのご令嬢をお迎えすることは……」と正気に戻った。
だが、ミラは毅然として言う。
「私はもてなしてもらいに来たのではありません。大事な領民の命を救いたいと思って来たのです」
その言葉を聞いたカシウス侯爵は、自分の中にまだ差別意識があったことを思い知った。
もしノエルがそんな病気になっていたら、すぐにミラに頼んでいただろう。
それなのに、ロイの娘に対してそのような発想が出なかった。
ミラはロイの家に入り、その娘を見た。
少女の呼吸は浅く、胸がかすかに上下するだけだった。
額は熱い。しかし苦しげに身をよじる力すら残っていないようだ。
青白い唇から漏れる息は細く、耳を近づけなければ聞こえないほどだった。
ロイが娘の名をいくら呼んでも、瞼はぴくりとも動かない。
今にも息が止まってしまいそうな弱々しさだった。
ミラは、意識を集中してロイの娘アンナに手をかざした。
そして、厳かに「レストア」と言う呪文を唱える。
ミラの両手が緑色に光り、アンナの身体に吸い込まれていく。
少しずつアンナの肩が上下に動き始める。
苦しそうに呼吸をしているが、さっきまでよりずっと生命活動を感じられる。
それに反比例するように、ミラの表情が険しくなっていく。
辛そうなミラを見て、カシウス侯爵はそれをやめさせたくなった。
だが、そんなことをしたらミラに軽蔑されるだろう。
やがてアンナの肩の動きが治まり、呼吸が整っていく。
そうしてアンナは、小さく瞳を開いた。
そこに映っているのはミラだったが、アンナは「……天使様?」と呟いた。
アンナ自身も死を覚悟していたので、少女のミラを天使だと思ったのだろう。
もう少し年老いた人間が視界に入っていたら天女様だったり神様だったり閻魔様だったりしたかもしれない。
ミラはそこでまた目を閉じそうになるアンナの手を軽く揺すり、これが現実だと感じさせようとする。
そうして再び目を薄く開いた時、少し呼吸を乱しながら「アンナさん!」と大きな声で呼びかける。
さらにロイにも声をかけるように促し、野太い「アンナ!」という声によって、アンナは目を覚ました。
「え?お父さん?えっと、こちらの方は……?というか、私は助かったの?」
さっきまで三途の川の渡し守と談笑していたところだ。
それがいきなり現世に戻ってきたのだから、混乱するのも仕方のないことだろう。
そして、そんな病人を無理矢理現世に引き戻したミラの消耗も激しかった。
ちょっとした怪我を治すくらいなら大したことはない。
だが、命に関わる人を治癒するのには大きな負担がかかる。
……前世でカシウス侯爵を救った時には、それまでのダメージもあったとはいえ命を落としてしまったのだ。今のミラはそれを知らないけれど。
自分に寄りかかっている少女——ミラを怪訝に思いながら、アンナは父からの返答を待つ。
すると
「馬鹿もん……それは、領主さまのご令嬢のミラ様だ……」
娘の無礼を怒鳴るべきだと思いながら、涙が止まらない。
体を起こすこともできないほど消耗しながら、ミラはロイに笑顔を向けた。
人に命じられるのではなく、自分でその力を使った。
以前ローズにも自主的にその力を使ったが、領民を救ったことで父の教えを守れたような気がした。
この時ミラは、初めて魔法の力を誇らしく思えた。
記憶の中で他者を殺すために使われていた魔法……それを使う自分を、ミラは申し訳なく思っていた。
だが、これからは人を守るために魔法を使いたい、とミラは思った。




