記憶と現実の交差
ミラは、控室で目を覚ました。
自分はとんでもなく失礼なことをしてしまったのではないか、と思って勢いよく上半身を起こした。
その時、誰かとおでこをぶつけてしまった。
自分のことを見ていたのだろうか。
おでこをぶつけた衝撃でまたベッドに体を横たえたまま、その人の顔を見た。
そこには、自分と同年代の男の子の顔が見えた。
「痛っあ…気がついたのか?」
ぶつかった部分を手で押さえながら、その男の子はミラに話しかけた。
「は、はい」
相手が誰かわからないので、とりあえず無難な返事を返す。
「お前のいた場所から見るに、ロベリア王国の臣民だな?」
「はい、私はアルヴェイン侯爵家の娘、ミラです」
「アルヴェイン侯爵……カシウスか」
自分の父を呼び捨てにされてムッとしたが、(前世も含めて)苦労人のミラは、素直に「はい」と答えた。
「体調が悪かったのか?それとも飽きて眠くなったか?」
問いかけが唐突過ぎて、ミラには理解ができなかった。
ただ、体調はかなり良かったのでそれを伝える。
「いえ、体調は悪くありません。自分でもよくわからないのですが、突然動悸がして……」
そう言った時、その男子は少し胸を張って言葉を発した。
「お前が倒れたのは、ラディアート王国筆頭公爵のダモン・タッカーが話していた時だ。あいつは我が国の宿敵であり、嫌な奴だ。その挨拶の途中に騒動を起こしたことは褒めてやろう」
ダモン・タッカー……。隣国の筆頭公爵が、なぜ自分の記憶の中では父になっているのだろう。
私を戦場に連れ出し、人を殺させた。そして今でも嫌な気を感じさせる……。
「はい、私もあの人を見ていると、何となく嫌な気持ちになります……」
それを聞いた途端、その男子は勢い込んで話し始めた。
「だろ!?本当にあいつは嫌な奴でさ、前の戦争でもあいつのせいで負けたみたいなところがあるらしい。あいつがいなかったら俺たちが戦勝国側だったかもしれないのに。それに交渉の時も嫌味ったらしくて……。まあ、俺が生まれる前の話だけど、俺が生まれていればギッタギタのボッタボタにしてやるのに!」
「ギッタギタのボッタボタ」って普通の言葉なのかしら、などと思っていると、扉の向こうが騒がしくなった。その騒ぎを聞いて、男の子は踵を返す。
「俺はレオニスだ。誰かが探しに来たら、もう式典に戻ったと言っておけ」
そう言って、その少年は窓から出て行った。
その数秒後に、数人の男女がどやどやと部屋に入ってきた。
「あ、これは失礼!ここにレオニス王子は来られませんでしたか?」
9歳とはいえレディがいる部屋にノックもなしに入ってきたことを謝りながら、その人たちはミラに尋ねてきた。
「すぐに式典に戻られました」
そう答えながら、ミラは今まで話していたのが王子だと知って驚いた。
それなら自分の父を呼び捨てにするのも合点がいく。
ただ、「うちの王子様はもう少しお上品さを身につけたほうが良いかも」とも思った。
***
記念式典の席次は、戦勝国と敗戦国ではっきり分かれている。上座が戦勝国のラディアート王国側で、下座が敗戦国のロベリア王国側だ。
前の戦争で大功を挙げたことで筆頭公爵の地位を得ていたダモン・タッカー公爵は、ロベリア王国側で起こった騒ぎを冷笑しながら見ていた。
「負け犬どもが、式典もまともに出来んのか。使えん連中だ」
そう思いながらも、動じない姿勢で式典のあいさつを続ける。
何者かが体調を崩したらしいと聞かされた時は、器の大きい筆頭公爵としてその体調を気遣う言葉も発した。
これに関して、カシウス・アルヴェイン侯爵は平身低頭するしかなかった。
決してミラが悪いわけではない。
前日にはしゃぎ過ぎて眠らなかったとか、序盤の立食パーティーでがっついて気分が悪くなったというわけではないのだ。ミラに落ち度はない。
それでも、式典の空気を乱したのは確かだ。
そこでは、言い訳をするべきではない。
そこで言い訳をすることは、ロベリア王国の恥をさらすことにもなる。
だが、平身低頭して謝りながらもカシウス侯爵の心はミラにしか向いていなかった。
突然娘が倒れたのだ、娘を愛する父親としては当然のことだった。
そうして式典が終わるとカシウス侯爵は早足でミラのいる控室を目指したのだが、それを追い抜いて走って行く者がいる。
「ローズちゃん、走ってはいけないよ!」
優雅であるべき貴族たるものが、あんなに必死に走るのははしたない。
それに、転んでけがをしてしまうかもしれない。
だが、ローズの耳にはそんなカシウス侯爵の声も耳に入っていない。
そこら中にいる大人にミラのいる控室の場所を聞きながら、一目散に走った。
そうしてミラがいる控室の扉を開けると、ローズは意外と元気そうに体を起こしているミラを見て、安堵の涙を流しつつ抱きつきながら言った。
「ミーちゃん!何があったの?本当に体調が悪いだけ?もう……心配したんだからあ……」
その後に、もどかしそうに早歩きでカシウス侯爵や母、兄、従者が入ってくる。
「ミラ、大丈夫かい?」
「今は気分は?」
「ミラ様、何かして欲しいことはありますか?」
ミラは自分が迷惑をかけてしまったことを謝ろうと思っていたのに、そんな隙もなくお見舞いの言葉を浴びせかけられてしまった。
特に涙と鼻水まみれのローズには、熱い友情とハンカチを持ち歩くことの重要性を感じた。
これだけ心配してもらって嬉しくないはずがない。
きっと式典が終わってすぐに駆けつけてくれたのだろう。
頭の中にある寂しく欺瞞に満ちた記憶とはまったく重ならない目の前の状況に、ミラは混乱と喜びを感じた。
記憶の中の父は、自分に嘘を教えた。それは、ダモン・タッカー公爵。
あれこそが、自分を苦しめる記憶の中の存在。
記憶と現実が結びついた今、ミラは自分がやるべきことを考え始めた。
あの男はいったい何者なのか。自分にとってどういう存在なのか。
目の前にいる自分を愛してくれる人たち。そして、それとは正反対の記憶の中にいる人たち。それが具現化したダモン・タッカー公爵。
ミラは、少しずつ何かが繋がっていくのを感じた。
***
ちなみに、式典が終わってすぐに駆け付けたローズやカシウス侯爵より先にミラのいる部屋に訪れたレオニス王子は、式典を抜け出してきたのだった。
「我が臣下の者が倒れたのだ、見舞いに行くのは当然だろう」と慈悲深い王子を演じつつ退屈な式典、さらには嫌いなダモン・タッカーの演説を中座できるとほくそ笑みながら。
そしてミラを見舞った後、もちろんこの王子は式典をサボってそこら辺をぶらついていた。
ミラが思ったとおり、この王子様にはもう少し上品さが必要なようだった。




