出会い
今日も、夢の世界にいた。ここに来たあの日から、二週間は経っていた。線路を歩くと、迷う心配もないし、遠くに行ける気がした。そして、俺はどこまでも行きたいと思う。
晴れ渡る空に、雲など存在しなかった。レールの上を歩き続けて、どこまで来たのか分からない。
風景は、都会の街並みへと変わっていった。少し胸が騒めくのは、俺が田舎者だという証明なのかもしれない。恥ずかしくなって、少し笑う。
吹くことがないはずの風が、頬を撫でた気がした。心が高鳴る音とともに。
俺の孤独な一人旅に、何かしらの変化をもたらしてくれそうな大都会が、急に姿を現した。言葉の如く、気づいたら、目の前に大きなプラットホームがあった。その巨大さに圧倒される。
ホームがいくつも並び、その上空にはガラスの天井が覆いかぶさっていた。
気づけば、プラットホームに登り、改札まで降りていた。幾つもの停留所らしきものがあり、来ることのないバスを待っていた。
高層ビルの数々に、見上げる首も痛くなってくる。都会から見た青空も、澄み渡っていた。
駅前のロータリ―までも、規格外の大きさだった。
人生で初めてこんな大きなまちを見た。地方に住んでいる俺にとっては、得られる情報量が多すぎた。
人がたくさんいる匂いがする。しかし、それが空虚であることを俺は知っていた。
駅から延びるメインストリートを、我が物顔で闊歩してみる。この世界でしか出来ない事に、心が弾む音がした。
鼻歌を奏でながら、奥へ奥へと進む。
突然、何かが倒れる音がした。反射的に、音がした方向に首を振る。
確かに音がした。この世界で聞いた初めての音だった。
「そこにいるのは誰?」
少し怯えた声が、飛んでくる。心臓が飛び出しそうになった。
「お前こそ誰だ?」
足ががくがくと震えるのを抑え、精一杯の虚勢を張る。ガサガサと物音が、近づいてきた。
目の前には、女の子が立っていた。
その時から、俺の周りで流れる時間は、少しだけゆっくりになったと思う。
少女は、敵意があるようには、見えない。パーカーのフードを頭に被り、不安そうな顔をしている。前の俺自身を見ているようだった。
「君と俺は、敵ではないと思うよ。多分」
変なことを言ってしまったことに、口に出してから気づいた。
「えーっと、、、」
取り繕うとするが、言葉が出てこない。そうこうしているうちに、目の前の少女の表情は、曇っていく。
「もしかして、私と同じような人ですか?」
彼女が、ようやく口を開いた。
「うん。そうそう」
自分の首を、高速で二度三度縦に振った。
「寝て起きたら、まちのひととか全員いなくなって、携帯も見つからないし、今どうなっているんですか?」
支離滅裂な彼女の言葉は、それほど現状に混乱しているのだと教えてくれた。自分よりも取り乱している人をみると、冷静になっていく。
「わかったから。一回落ち着こうか」
次々と繰り出してきた声が、一旦止まった。
「ごめんなさない」
「ううん。大丈夫だよ。一回深呼吸をしよう」
友香が落ち着いたのを確認して、俺は話し始めた。
「僕の予想では、ここは夢の中の世界だと思うよ」
「夢の中の世界?」
彼女は、俺の言葉を繰り返した。俺を訝しげに見ながら。
「僕のこと怪しい人だと思ってるでしょ?」
俺の頬が、少し緩んできた。
「いいえ。そんなことは・・」
「いいよいいよ。最初は僕も混乱してたし、仕方ないことだと思うよ。でも、人が一人もいないこの状況を、夢だということにしたら、辻褄は会うと思わない?」
「それは・・確かにそうかも」
彼女は、俺の言葉を多少無理に飲み込んだように見えた。
「ところで君の名前は?」
「友香です。お兄さんのお名前は?」
「僕は真司だよ」
「真司君、よろしくね」
「こちらこそよろしく」
女性の免疫を持ち合わせていないことを思い出した俺は、咄嗟に友香から目を逸らす。
「真司君は何歳?」
「19」
「先輩だ!私は17歳」
友香の明るさが、俺の固さをほぐしてくれる。
「真司君は、ここは何だと思う?」
「夢の世界かなって願ってる」
「良かった。私も同じだよ」
淀みのない瞳に、俺は希望を見た。
「ここは、君が住んでいるまち?」
「そうだよ。人が居ないことを除いたら、いつもと変わらない私が育ってきたまち」
俺が見慣れなくその規模に圧倒されたこのまちも、ここに住む友香にとっては、いつもの日常を送っているまちなんだ。
「こんな大きなまち初めてきたかも」
「そう?何か嬉しい」
「え?嬉しいの?」
「私が生まれ育ったこの町を褒めてくれて、私まで誇らしいのかも」
友香の素直で、健気なその言葉が微笑ましい。
「それなら、このまちを案内してあげようか」
愛らしい二重をパッチリと開け、えくぼを見せて笑う彼女の顔は、夢であることを忘れさせてくれるような美しさだった。
友香のまち案内で、無人のまちを探索した。大きなスクリーン、友香が通っていた小学校。友香の思い出の足跡とともに。
夕日が地平の彼方に消えていき、この巨大なまちはオレンジ色に染まっていく。
まちの所々で、電気が付き始めた。
「何で誰もいないのに、電気は付くんだろう?」
「分からないけど、ここが『夢』だから、じゃないかな」
友香の疑問に対しての俺の答えは、正解ではないと思う。しかし、夢であるこの世界に正解が存在するとも限らない。
「それなら、真司君は私の夢の中だけに存在している人かもね」
「その逆もあるかもね」
「う~ん、確かに。でも、それって少し寂しくない?」
「大丈夫。友香も俺もちゃんと存在しているよ」
友香よりも俺自身に言い聞かせるように言った。友香は、寂しいと言ったが、俺はたまらなく怖い。自分の存在が希薄になったように感じてしまうから。
「ねえねえ、真司君はいつからこの世界に来るようになったの?」
「一か月くらいかな。友香は?」
「えー長いね。私は昨日初めて来たんだけど、怖いし、寂しすぎていっぱい泣いちゃった」
友香は、恥ずかしそうに頬を少し赤く染めていた。
「俺も初めてこの世界に来た時、心細くなって泣いてたよ」
半発狂しながら走り回っていたことは、流石に言わないことにした。引かれる未来しか見えない。
「そうだよね。夢なはずなのに、いつまで経っても目が覚めないし、夜になったら人が居ないのに電気が付き始めるから、本当に怖かった」
俺は、何度も頷く。体の芯まで味わったあの底知れない恐怖を、ようやく共有することが出来た。
「この世界で会えたのが、真司君で良かった」
友香に言われた言葉は、少しむず痒く、どこか懐かしかった。
眠らない街とは、よく言ったものだと思う。
二人だけの世界で、煌びやかなネオンが踊っていた。燦然と輝くまちは、人間たちが眠ることを許さないようだ。
「こんなにいつも明るいの?」
「うん。でも、現実では人がいっぱい居て、色んな音がするから、静かな夜は初めて見た」
雑居ビルの屋上から見下ろすまちには、誰もいない。しかし、このまちは生きていると思った。こんなにも綺麗な夜景を作り出しているのだから。
「ところでここは?」
「昔通ってた塾が入ってた建物で、卒塾祝いの時にここで記念撮影したんだよね。ここからの景色が綺麗だったの思い出して、来てみたかったんだ」
友香の長く儚いまつ毛が下に向き、幻影の喧騒を捉えていた。
長い長い夜は、彼女と肩を並べて更けていった。真上では欠けることのない満月が、地上の何倍も光っていた。
西の空が、明るくなり始める。
雑居ビルの地べたで寝転がって一晩語り明かした俺たちは、喋り疲れて無言になっていた。
「真司君は凄いなぁー、一人で旅をしてて」
「そうかな?」
「私、この世界で旅をしてみたい。真司君が良かったら、私も連れてって」
「奇遇だね。俺も同じこと考えてた」
会ってからあまり時を共にしていないのに、友香とは凄く気が合うようだ。彼女とは、仲良くなれるような気がする。




