15 聖女と呼ばれた彼女の話
ロレーヌがダンドール男爵領の貧民を治療するのには、実に一月半もの時間を要した。
全員が全員過剰に呪いに掛かっているわけではなかったし、掛かっていてもレイナ程酷くはない。やはりレイナが特別酷すぎた。治療方法はレイナよりもよほど分かりやすく、一人に掛かる時間もそう長いものではない。と言っても、それはレイナを治療した経験があるからで、普通の医者には対応できないもの。
ロレーヌの主観では負担が軽かったとしても、やはり見渡す限り黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒の空気はロレーヌの精神を参らせるのに十分なものだった。
そんな中一番の癒しはアルバートとの語らいと触れ合い。そして着実に進む結婚式の準備であった。
王都に戻るまで待っていられないと言ったアルバートは、ダンドールに頼んで腕のいい針子と豪華な宝石を用意した。ダンドールとしても自領と養女を救ってくれたロレーヌのため、自身の抱える商会を最大限利用して二人の満足のいくものを用意することは当たり前であった。
他にも様々な準備を内々で進めており、もはや帰ればすぐに――といっても会場の都合で一ヶ月後だが――結婚式を挙げられる程であった。
ちなみに、ダンドールはレイナをどうするわけでもなく、ただ穏やかに「おかえり」と迎え入れた。貴族に対しての偏見が取り払われたレイナは、「ただいま戻りました。お養父様」と明るい声と笑顔で返した。
そこには後悔はなく、ただ望む人を救えたのだという誇りが垣間見えた。
男爵領の患者とレイナの経過を観察しながら更に半月程過ごしていると、第一王子の結婚式が開かれると文が届く。
それは男爵領の治療が終わるのを見計らっていたかのようで、さらにアルバートとの結婚式の一週間前という日程であった。
「さては色々と画策しましたね」
「当然だ。兄上が結婚しないと私たちが結婚出来ないからね」
第一王子の結婚式に参列すると、その場で第一王子が正式に次期国王となることが発表された。
その後の一週間は余りにも目まぐるしく……いや? 何故かロレーヌのすることは殆どなく、周囲がただただ慌ただしくしているのを、ほげ~っと眺めていたら経過していた。
花嫁がこのような事で良いのだろうかと考えるが、それもこれもアルバートの計らいである。
外国での治療。約二ヶ月にも及ぶ長期の治療。息つく間もなく行われた第一王子の挙式。さらに本人とアルバートの式まで忙しいようではロレーヌが倒れてしまうと考えたのだろう。
全てつつがなく準備され、ロレーヌは身体を休めつつ、さりとて腹回りに肉がつかないように注意しながら当日を迎えた。
「いよいよだね」
「そうですね」
「あぁ、長かった」
結婚式当日。ロレーヌとアルバートは適度な緊張を維持したまま、会場の控室にて身体を寄せ合わせる
既に二人とも新郎新婦に相応しく儀式服を纏っている。式の開始にはまだ少し時間がある。
使用人の気遣いにより二人きりとなった二人は、お互いの姿を一瞥した。
ロレーヌは白を基調としたドレス。最初はアルバートの希望で銀色になりそうになったのだが、流石に聖女の色を纏うのはいかがなものかと何度も舌戦が繰り広げられ、純白のドレスに落ち着いた。
腰から下は何度も布が折り返され、下に行くにつれて広がりを持っている。足首すら隠す程長めに作られており、ともすれば引き摺ってしまいそうだが、そうならない程度の絶妙な作りだ。
化粧もばっちり。顔全体が僅かに煌めくよう、王族特注の下地を塗られ、頬は自然に見える程度の赤を入れる。口紅は真っ赤なものではなく、橙に近い優しい赤色に。
王族らしく豪華に、さりとてロレーヌらしさを損なう事なく施された一世一代の勝負の化粧。
わずかばかり光を反射し、その姿は純白のドレスを含め、とても神々しく見える。
対するアルバートも白を基調とした儀式服。王家の紋章を左胸に金色の刺繍で刻み、裾は朱の刺繍で彩られている。マントも温かみのある朱で染められているが、その色のなんと鮮やかな事か。
刺繍はそれだけではなく、首元の襟にも施されている。左側にはエヌマリシュ家の紋章が。右側にはアルバート独自のものであるヴェルティの紋章が。王家、エヌマリシュ、ヴェルティ、実に三つの紋章を身に着けていることになる。
流石にロレーヌほどの化粧っ気はないが、アルバートもしっかりと化粧を施していた。
普段流している髪型がオールバックにされ、その麗しい顔が余すことなく晒されている。ワンポイントなのか、オールバックに固められた中、中央のひと塊だけ顔に垂れている。
ロレーヌはアルバートを見てはホゥ――っと熱の灯った息を吐き、アルバートはロレーヌを見ては「んぐぅ」と何かに耐えるような声を漏らす。
アルバートがロレーヌの方に手を伸ばすが、ロレーヌはそれを注意した。
「ダメですよ。セットが崩れてしまいます」
アルバートは空中で行き場をなくした腕を降ろし、ハァ――と溜息を一つ。
「式の直前はちょっと困るね。ロレーヌに触りたくても触れないなんて」
代わりに……と顔を上げ、まるで目に焼き付けるようにロレーヌを凝視。
対するロレーヌはアルバートの余りの煌びやかさにクラクラしてしまいそうな気分。
頭から足先に至るまでビシッと決めたアルバートは普段の魅力の数倍は素敵に思える。不思議でも何でもない。
直視してしまえば神々しさで目がやられてしまいそうだ。
それでも見ないと言う選択肢はない。あまりにも勿体なさすぎる。
チラチラとアルバートを見てはすぐに目線を逸らし、顔を赤くしながらパタパタと手で顔を仰ぐロレーヌ。
ヨシ! と気合を入れてアルバートを目に焼き付けようと視線を戻すと、目を細めて笑うアルバートの姿が。
それはそれでとても雰囲気が柔らかく、先程のキリリとしたアルバートとは違って魅力に溢れていた。
「あぁ……僕の奥さんが可愛すぎる。綺麗すぎる。最高に幸せだ」
「……私の旦那様がとても綺麗すぎて目が潰れそうです」
「なんと、それは大変だ。それでは目が潰れないように魔法をかけてあげよう」
アルバートの顔がズイと近付き、おでこに柔らかい感触が触れる。
「――ッ!」
「……大好き」
「我慢、出来なかったんですか」
「出来るわけないよね」
おでこに軽く触れるだけのキス。それくらいならセットは崩れない。
「お返ししてあげたいのに、私からは出来ないっ! なんて理不尽な……!」
今ロレーヌが返せばアルバートに紅がついてしまう。ふき取ればいいだけなのだが、拭った紅が伸びてしまう可能性もある。
「今日、やっと夫婦になれるんだね」
アルバートがしんみりと呟いた。
聖霊に誓って夫婦の契りを交わし、立場と名が変わる。
アルバート・ド・レクリプス・ヴェルティ第二王子からアルバート・ド・ヴェルティ公爵に。
ロレーヌ・レ・エヌマリシュ伯爵令嬢からロレーヌ・レ・ヴェルティ公爵夫人に。
「そうですね」
感慨を籠めて、返す。
アルバートが立ち上がり、ロレーヌへ左手を差し出す。
時間だ。
「行こうか」
ロレーヌが手を取り、立ち上がる。
「はい」
アルバートが右に、ロレーヌが左に並び、手の握りを変えた。
腕を交差し、手の甲を相手に向け、小指から畳まれ、交互に重なる。
「ふぅっ」
気合を入れる息を一つ。
(あぁ、とても、気分がいいわ)
身体の中がぽかぽかする。この幸せを他の人にもわけたいくらいだと彼女は思った。
一歩、一歩、また一歩。ゆっくりと進み、やがて扉は開かれる。
質量すら感じさせる万雷の拍手。
褒め称える言葉が途切れることなく浴びせられる。言葉を尽くした称賛の数々を耳に、思わず口元が緩む令嬢が居た。
こうして、彼女は幸せを掴みました。
史上最も聖女に近いと謳われた彼女は、最後までやっぱり、「いいえ、聖女ではありません」と笑ったのでした。
これにておしまいです。読了ありがとうございました。




