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山に足を踏み入れた老人は、若者の予想に反し、急な勾配や足場の悪い場所も、全く苦にする様子もなく、片手で旅行鞄を肩から背中にぶら下げながら、平地を行く様に軽々と歩いて行った。
「元気だな、じいさん。でも無理すんなよ。もう二十分位かかるが、休憩入れなくて大丈夫か?」
先導する若者が、足を止めて振りかえる。
老人は、全く疲れた様子を見せず、笑顔で、
「大丈夫じゃ、このまま行ってくれ」
木漏れ日さす木々の間をぬって、川のせせらぎや鳥のさえずりを聞きながら、時に見晴らしの良い所に出て、遠くの山々を眺めつつ、三人は山道を行く。
「いいのう、山は。都会の喧騒から離れて、こうして大自然の中を歩いていると、心が澄み渡る様じゃ」
老人は、満足げな様子でそんな感想を漏らした。
と、不意に大自然に似つかわしくない場所に出る。
そこには、青いビニールシートを木々の間に張って作ったテントの様なものが、あちこちに散乱していた。
「何かこういうの、都会の公園とか川岸で良く見かけるんじゃが。この山にはホームレスが集団生活しとるのか?」
「違う。ここは、一部の門下生達が寝泊まりしてる場所だ。村には宿屋が無いからな。俺は下宿してるけど」
老人の問いに若者が答える。
「なんとも風情が無い光景じゃのう」
さっきまで大自然を満喫していた老人の顔に、少し落胆の色が浮かぶ。
さらに三人が進むと、遠くから人の声が聞こえて来た。
「セイッ!」
「ハッ!」
「オリャ!」
「グエッ!」
「ヤァァァァ!」
「うん、分かっとる。あの風情もへったくれも無い奇声も門下生じゃな」
老人が、何かを諦めた様な表情で言った。
「ああ、皆で稽古してるとこだよ」
やがて、門下生達の姿も見え始めた。統一性の無い、多種多様な稽古着を身に纏った男達が、思い思いに好き勝手な事をしている。
荒縄を巻いた大木に拳を打ち続ける者、木の枝からぶら下がって腹筋を鍛える者、大きな岩を持ち上げて首の回りでぐるぐる回す者、その他得体の知れない方法でトレーニングに励んでいる者が多数。
「一般人が見たら、無言で逃げ出す光景じゃな。何かの怪しい儀式にしか見えん」
そう言って、老人はため息をついた。