第三話:豊穣の女神になったみたい~
「う……熱っ!」
目覚めは最悪だった。
ドロドロとした水に包まれているような言い表しがたい感覚。
そして何よりも強烈な熱気。
「ここは……ん?」
目を開くと、眩い橙色が視界の大部分を埋めた。
青年は少しして、下を向いていることに気がつき、顔を上げて辺りを見回す。
その際、何か腐ったものに酸味を加え、焦がしたような妙な臭いが鼻を掠めたが、そんなことが気にならないほどのものを青年は見た。
辺り一面を埋め尽くしている眩い橙色の液体。汚く濁った黒色の空。
そして降り注ぐ巨大な塊。
「うわー!」
巨大な塊が轟音と共に次々と橙色の海に着弾し、橙色の液体が高く飛沫を上げる。
それが津波のように青年に押し寄せてきた。
液体は熱く、ドロドロとしている。
『聴こえますか、豊穣の女神よ』
「んぁ?」
津波に流されている最中、どこかで聴いた声が彼の耳、いや脳内に届いた。
『あなたは豊穣の女神となりました』
どこまでも和やかな声、その顔はずっと微笑んでいそうだ。
そこで青年は声の主が誰なのか気がついた。
「……おまえかー!」
『そうです、創造の女神です』
創造の女神の声は初めてあった時よりも声に抑揚がある。
心なしか、気分が良さそうだ。
「ねぇ、これってなに~!?」
押し寄せる津波に降り注ぐ塊、終末世界のような状況に、胸の鼓動が速くなる。
焦ったのはいつぶりだろうか。
『ここは私が新しく作った世界にできた惑星の一つです。この惑星は誕生したばかりなので今は隕石やらマグマやらが多いですけど、頑張ってくださいね』
「いや、え……なに?」
隕石? マグマ? これら巨大な塊と橙色の液体がそうなのか? なぜこんな世界に?
青年は理解に苦しむ。
『あなたは豊穣の女神となりました、ですのでその力を使ってどうぞスローライフを、そしてあなたと世界の行く末を私に見せてください』
『では私はこれで』
「あっ、ちょっと……おーい、お~い……」
青年の声虚しく、言いたいことだけ言って、創造の女神の声はどこかへ行ってしまった。
「うわー!」
再び巨大な塊、隕石が着弾し、橙色の液体、マグマの津波が発生する。
青年はまたもや津波に飲み込まれた。
「ぷは……あれそういえば、なんで生きてる……の?」
しばらくしてマグマの海から顔を出した青年は、マグマに飲まれて"熱い"だけで済んでいることに疑問を覚えた。
「……そういえば、豊穣の女神になったとか、その力を使え。とか言ってたっけ」
とはいえ、どう使えと言うのだ。
青年は神になったことに驚くことはなかった。というかそれどころじゃないのだ。
『豊穣の女神であることを自覚すれば、自ずと力の扱い方が分かるはずです』
「っ!……おまえいるのかよー」
実はまだ創造の女神は居たらしい。
『力の使い方は教えておこうかなと思いまして、ささやってみるのです』
「……はいはい」
青年は彼女の言葉を受け、よく分からないし面倒くさいなー、などと思いながらとりあえず自身へと意識を向けた。
(豊穣の女神であることを自覚?)
試しに自分は"豊穣の女神"と心の中で念仏のように唱え、意識する。
「……ん~?」
すると少しして微かに何かの感覚を感じ取れた。
それは今までで経験したことがない感覚。
青年はさらに深く自分へ意識を向けてみる。
その時、轟音。彼はまたもや津波に飲まれた。
しかし彼はそれを意に介さず、さらに自身へ意識を向ける。
「ん……おぉ~?」
すると徐々に現在の自分の状態が彼の脳内に可視化されてきた。
(不思議な力だな~)
呑気なことを思いながら力のヒントを得るべく、可視化を更に強めてみる。
青年は仰向きに寝ており、津波に流されている。
体は前よりも小さい。小学生低学年ぐらいだろうか?
そして頭に異物、まるで猫の耳のようなものが生えており。
「ん?」
髪の毛は腰辺りまでと長く、腰の真ん中お尻の上辺りにも、まるで猫の尻尾のようなものがあり。
「???」
顔立ちは神が丹念に造り上げたかのように恐ろしく整っており、可愛らしい少女のようなもの。
「……」
下半身にあった、一本の棒と二つの玉を入れた玉袋は消え失せており、代わりに——。
「すとーっぷ」
気の抜けるような声は生前から変わらないが、声も幼くより可愛らしいものになっている。
青年はそこで自身の体が、性別が女になっていることに気がついた。
(……そういえば、女神って女性だ)
神になったことは受け入れていたが、性別が変わったのは少し違う。
前は女性っぽかっただけだったのに、本当に女性になってしまった。
「それはそうと……ふにゅ」
青年は頭に付いている猫耳と尻尾を触った。触ると少しムズムズする。
そして先程からチラチラと視界の隅で白色の線が揺れている、マグマによって顔に引っ付いたことからもこれは髪なのだろう、白髪というわけだ。
白と言えば、服も白く、ワンピースに似た形状のものだった。
なにこれ。
『一応猫を助けて死んだと言うことで、猫要素を入れてみました、あとは私の趣味です』
「僕は……龍介を助けるのが一番の目的だったんだけどね、あの猫知らないし。あとサラッと僕を女の子にしないで」
『元々女みたいなものでしょう?』
「違うから……!」
あれでも男の子だったんだよ? と頬を膨らませて抗議する青年の姿はすっかり少女である。
『それよりも、もうそろそろ力を自覚できるのではないのでしょうか?』
本題はそこではないと、創造の女神に話を切り替えられる。
「む……はぁ、もうちょっと、やってみる」
結局まだ創造の女神と、この状況がよく分からないため、青年は仕方なく彼女の話に合わせることにした。
青年は、(なんか創造の女神と普通に喋ってるな~)なんて思いながら更に自己理解を深めていく。
『自身が豊穣の女神であることを自覚するのです』
少ししつこい創造の女神。
(豊穣の女神……)
なんで女神になったんだろ~、と彼、もとい彼女はそんなことを考えつつ、とりあえず脳内の自分の姿を眺めながら自身が豊穣の女神であるということをもう一度反芻する。
「ん……」
次の瞬間、明らかに変わった。新たな感覚を明瞭に感じられる。
間髪を入れずに創造の女神は称賛の言葉を放つ。
『おめでとうございます、自身が豊穣の女神であることを自覚し、受け入れることができましたね』
その声色は上機嫌そうだ。
「……とりあえず」
色々と彼女に聞きたいことがある青年だが、一先ずこの状況をなんとかしようと思い、今できるであろう範囲で豊穣の女神の力を使う。
豊穣の力は主に草木を操ることができる力。
その力は長年使ってきたかのように青年の手に馴染んでいた。
青年は、自身の周囲、半径五メートルほどの範囲を草木で囲うことにした。
空中や、地中、青年の手から様々な種子が生まれ、各々が成長して壁を作っていく。
周囲を囲みきるのに、そう時間はかからなかった。
しかし外からマグマが押し寄せた影響か、壁となっている草木が次々と軋み始める、そのため青年は力を更に使い草木の強度を上げていった。ついでに天井も軽く塞いでおく。
「はぁ……疲れたー」
少しして、マグマの津波に流されず、燃えもしないドーム状の植物建物が完成した。
「なんか温泉みたーい」
周囲を囲っただけであるため、足元にはマグマがまだポコポコと音を立てて存在している。
そこで、不思議とマグマの熱さにも慣れてきた青年は、試しにマグマの中で座り込んでみた。
「ん……おぉ」
すると肩付近まで浸かることができ、思いのほか心地が良い。
「……んで」
心身そして、状況共に落ち着いてきた青年は、女神に問いかける。
「この世界はなんなの? なんで最後、あんな気持ち悪い顔してたの? ちゃんと説明して」
『ふふっ、良いでしょう、ですがあなたの問いにお答えする前にまずこちらから一つ。あなたの神としての名前を教えてください』
「神としての、名前?」
また突然よく分からないことを言い出したと、青年は心の中でうんざりする。
創造の女神は続けて言った。
『あなたはこの世界での唯一の神となりました、よってこれから信仰される際に名があったほうが便利なのです。あと私も名で呼ぶので』
「……んぁ~」
青年は目を細め、あくびする。
創造の女神と会話するのが面倒くさくなってきたのだ。よく分からないし。
(創造の女神の癖に、僕に色々求めすぎじゃないかぁ)
もう適当に返す、そう心を固めた。
今まで睡眠ばかりであった青年には、創造の女神との会話は重労働相当のようだ。いや、体は神のものに変わったというのに、一体なぜ。
とりあえず話を進める為に返答する。
「『ネヨウ』……それが名前ね」
『ネヨウ……なるほど、前世でのネット上の名ですね。本名とかは使わないんですか?』
「うーん……正直本名は好きじゃないし、捨てたようなものだからさ~……はぁ、ねむー」
思いのほかマグマ温泉が心地よくて意識を飛ばしかけている青年、もといネヨウ。
おっと、そろそろ夢の中に入りそうだ。瞼が重い。
『そうなんですか~、それじゃあこの世界についての説明を——』
あぁ、マグマ温泉最高、お風呂で寝るのは駄目だけど、もう無理だ。
「……」
結局眠気には耐えられず、ネヨウは瞼を下ろした。
呑気で体力のない睡眠大好きな豊穣の女神であるネヨウは、マグマの中でも寝ることができる。おやすみ。
◇ ◇ ◇
「それじゃあこの世界についての説明を——」
『( ˘ω˘)スヤァ……』
「……って寝てますね」
ログハウスのような丸太の壁面に囲まれた部屋。
清潔感があり、ソファや少し大きめのモニターがある内装は、簡素だが裕福な誰かの別荘を思わせるだろう。
そんな部屋でそのソファに座りながらコーヒーを飲み、モニターを眺めるのは長い銀髪に蒼眼の女性、創造の女神である。
そのモニターにはいかにも熱そうなマグマに、体を沈めて眠る白髪の獣少女、ネヨウが映っていた。
「マグマの中で寝る人間、いや神も珍しいですね……やはりこの人間を選んで正解でした」
熱さに慣れてきたとはいえ、マグマ睡眠をかます者など初めて見た。と、これには創造の女神でさえ少々困惑したものだ。
「次に起きたときに説明しますか」
自身の娯楽のため彼女は、ある程度の説明をネヨウへ行うつもりだったが、寝てしまったのなら致し方ない、とネヨウとの通信を停止する。
そうしてようやくネヨウの脳内に静寂が訪れた。
隕石の降り落ちる爆音は今も彼女の周辺で鳴り響いているが……。
「どれぐらい寝るのでしょうかねぇ……ふふふ」
創造の女神はこれからが楽しみで仕方がないといった様子でネヨウの目覚めを待つ。




