第七羽 隠匿の里
そんなルカ達の死闘が繰り広げられていた断崖。その麓には、深い森に隠匿された名も無い小さな集落があった。
切り立った山々に囲まれたその土地へ辿り着くには、獣道のような細い山道を何日も歩かなければならない。王都の地図にも記されていないその集落には十数軒ほどの家が肩を寄せ合うように建ち並び、そこで暮らす者達は代々、山の恵みを頼りに生きてきた。
その名も無き村に、祖父と暮らす一人の少女がいた。
『キソ、この根は何だ?』
山道を歩いていた祖父が立ち止まり、掘り起こした植物を少女へ差し出した。キソは受け取った根をじっと見つめる。葉の形を確かめ、茎を指先でなぞりながら少し考えた後、口を開いた。
『少しなら薬。かじったら毒』
『ふむ・・・正解じゃ』
祖父が満足そうに頷く。
少女――キソは得意げに胸を張った。
老人は集落一番の薬師であり、キソの祖父でもある。
両親の顔は知らない。物心ついた頃には既に祖父と二人暮らしだった。そのためキソにとって祖父は父親であり、師匠であり、生きる場所そのものだった。
『じゃあこれは?』
今度は赤い花が差し出される。
キソは一目見ただけで答えた。
『彼岸花』
『うむ』
『球根は毒』
『うむ』
『でも乾燥させて毒抜きすれば食べられる』
そこまで聞いた祖父は目尻に皺を寄せながら笑った。
その顔を見ると、キソも自然と笑顔になる。
祖父の笑顔が好きだった。
暖かくて優しくて、見ているだけで安心できるからだ。
山を下りながら、キソは籠いっぱいに詰まった毒草を眺め、祖父の言葉を思い出していた。
『薬と毒は裏と表のようなものじゃ』
草によっては生で食べれば毒となり、逆に手を加える事で薬になるものもある。量を間違えれば薬も毒になるし、毒もまた使い方次第で人を救う。
だから大切なのは恐れる事ではなく知る事なのだと、祖父はいつも言っていた。
キソはその教えを疑った事がない。だからこそ、外の人間が毒という言葉だけで顔をしかめる理由も理解できなかった。
以前、疲れ果てた木こりが村へ迷い込んできた事がある。村人達は食事を振る舞い、怪我の手当てをし、一晩泊めてやった。木こりは涙を流して感謝していた。
それなのに翌朝になると態度が一変した。
家々の軒先に干された毒草。籠の中で蠢く毒虫。薬の材料として飼われている毒蛇。それらを目にした木こりは、まるで怪物でも見るような顔で村を飛び出していったのだ。
あの時の怯えた顔が、キソには今でも理解できなかった。
集落へ戻ると、いつもの光景が広がっていた。
家の前では婆さん達が乾燥させた毒草を仕分けし、広場では男達が紫色の苗を畑へ植えている。蛇毒から薬を作る者もいれば、毒虫を育てる者もいる。それはこの集落ではごく当たり前の日常だった。
『よぉ、じいさん。キソ。おかえり』
『ただいまー』
すれ違うたびに声を掛け合う。
小さな集落だった。
長い年月を支え合って生きてきた者達ばかりで、皆が家族のような存在だった。
キソはそんな日常がずっと続くものだと思っていた。
明日も祖父と山へ入り、薬草を摘み、毒の知識を教わる。集落の者達もいつも通り畑を耕し、薬を作り、静かな夜を迎える。
そんな当たり前の日々が、これからも続いていくのだと信じていた。
だから誰も知らない。
山の外では、自分達が怪物のように語られている事を。
「毒を操る邪教の一族」
「呪いを振り撒く魔族」
「子供を攫い、人を毒殺する危険な集団」
そんな根も葉もない噂が、人から人へ伝わるうちに真実のように語られている事を。そして今、その噂を信じた者達が山へ入り始めている事も。
パチパチッ・・・
夜の森を、いくつもの松明が揺れていた。
乾いた枝を踏み砕く音と共に、一団が獣道を登っていく。
革鎧は擦り切れ、腰に吊るした剣には幾つもの欠けが見える。傭兵崩れか戦士崩れか。少なくとも騎士には見えなかった。
『本当にいるんだろうな』
髭面の男が苛立ったように吐き捨てる。
『さぁな』
先頭を歩く男が肩を竦めた。
『だが木こりはそう言ってた』
『毒使いの里か』
『そうだ。毒を使う邪教共だとよ』
その言葉に後ろを歩いていた男が鼻で笑う。
『だったら遠慮はいらねぇな』
誰かがそう言うと、一団のあちこちから下卑た笑い声が漏れた。
彼らは噂が本当かどうかなど興味がない。毒を扱う危険な村を排除し、それで褒美が出れば儲けもの。もし財産があれば奪えばいいし、女がいれば好きにすればいい。
その程度の連中だった。
『急ぐぞ』
先頭の男が剣を小さく掲げると、月明かりを受けた刃が鈍く光った。
その頃キソは、何も知らず祖父の隣で眠っていた。
その夜が、自分の人生を根こそぎ変えてしまう最後の夜になるとも知らずに。




