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第十一羽 介錯

 焼け跡を吹き抜ける風が、灰を静かに舞い上げる。


 キソは祖父の手をそっと地面へ戻すと、名残を惜しむようにその手を一度だけ撫でた。


『すぐ戻るから』


 キソはスッと立ち上がり、目的の場所へ向かって歩き出した。焼け落ちた薬房、崩れた倉庫、踏み荒らされた薬草畑。その奥にある小さな建物は煤に汚れていたが、扉だけは焼け落ちずに残っていた。


 禁毒房――。


 祖父が決して近付くことを許さなかった場所。 


 幼い頃、一度だけ理由を尋ねたことがある。


『じいちゃん、この部屋には何があるの?』


『ここか?』


 祖父は少し困ったように笑う。


『人を救う毒を知るには、人を滅する毒も知らねばならん』


 そう言うと、祖父は禁毒房の扉に背を向けた。


『じゃが、キソにはまだ早い』


『なんで?』


『いずれ分かる日が来る』


 祖父はそう言って、優しく頭を撫でた。







 その扉の前へ立つと、小さく息を吸い込み木戸へ触れた。


『待ってて、じいちゃん』


 固く閉ざされていた木戸が軋みを上げて開くと、薬草とも花とも違う甘く冷たい香りが鼻に付いた。


 部屋の中は薄暗く、壁一面に無数の木箱や薬壺が整然と並んでいた。一つひとつには祖父の癖のある文字で札が結ばれている。


『眠毒』


『腐毒』


『幻毒』


 見たことも聞いたこともない名が、静かな部屋の中で異様な存在感を放っていた。


 キソはゆっくりと部屋の奥へ歩いていく。


 祖父はいつも言っていた。「毒は名を知るだけで、人の心を惑わせる」と。だから、キソだけじゃなく村人全員、この部屋へ入ることだけは決して許されなかった。


 部屋の最奥には、一つだけ黒い木箱が置かれていた。他の箱とは違い、幾重にも巻かれた封紙には祖父の筆跡でたった一字だけ記されている。


『無』


 ――――キソの足が止まった。




 静かに祖父のもとへ戻ると、その呼吸はもうほとんど聞こえなかった。


『ただいま』


 返事はない。


 ただ苦しげに喉を震わせ、その身体は小刻みに痙攣を繰り返している。キソは小瓶の栓を抜くと、祖父の頭をそっと抱き起こした。


『じいちゃん、先に・・・行ってて』


 震える唇へ透明な雫をゆっくりと流し込むと、祖父は僅かに喉を鳴らした。


 その瞬間だった。


 苦しげに歪んでいた眉がふっとほどけ、浅く乱れていた呼吸は静かに整い、まるで深い眠りへ落ちていくように、その身体から力が抜けていった。


『・・・』


 次の呼吸は訪れなかった。それはまるで長い一日を終えて眠っただけのような、穏やかな最期だった。


 キソはしばらく祖父の顔を見つめ、ふっと小さな小瓶へ視線を落とした。


『じいちゃん・・・これ、すごいね』


 これほど静かな毒が、この世にあったのか。


 人を滅ぼす毒を知り尽くした末に辿り着いた答えが、この毒だったのだ。国すら滅ぼせるほどの力を持ちながら、祖父はそれを生涯振るうことはなかった。


 そんな祖父が眠りについた今、この里に自分だけが残る理由はなかった。


『これなら・・・』


 小さく呟き残った雫を自らの口へ含むと、冷たい液体が喉を通りキソの身体の奥へ落ちていく。


 キソは静かに目を閉じて祖父の腕の中で横になった。祖父と一緒に眠れると思った。苦しみも悲しみも、何もかも終わるのだと思った。


 だが――。


 どれだけ待っても、何も起こらない。


 鼓動も、呼吸も、指先の感覚さえ失われなかった。


『・・・なぜ?』


 その時、不意に洞窟で男達が倒れていく光景が脳裏をよぎる。


 あいつらが村から奪った食材の中には、加熱することで毒へ変わる薬草が混じっていた。遅行性だから、毒見をさせられても見抜かれることはない。そう考えて鍋に仕込んだ毒だった。


 毒見を命じられれば自分も死ぬ。


 それでも構わなかった。いや、それでよかったのだ。それなのに、自分だけは最後まで立っていた。そして今も・・・。


『じいちゃん・・・わたし、どうしたらいいの・・・』


 キソは眠る祖父の手を、いつまでも握り続けていた。その温もりが少しずつ指先から消えていく頃、一粒の涙がそっと少女の頬を伝った。

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