4 乗車
翌朝――
秦野警察庁長官の自宅は都心からやや離れた新興住宅地にあった。
秦野邸は豪邸とは言わないまでも、車四、五台ほど置ける庭を持つ四LDKの立派な家であった。
秦野は妻と娘の三人暮し。妻の名前を文子と言い、結婚前は婦人警官だった。娘の名は和美と言い、十六歳。結婚後十年近くたって生まれた子だけに秦野は甘やかして育てていたが、実際には明るく活発な娘に育っていた。
「お父さん、待ってよぉ」
秦野和美は鞄を片手に慌てて、家を飛び出すと玄関先に止まっていた黒いベンツになだれ込むように乗った。
「ねえ、学校まで乗せてって」
和美は少し息を弾ませながら、運転席の秦野に言った。秦野は八十神と連絡を取るようになってから、おつきの運転手を断って、自分で車を運転していた。
「学校と警察庁じゃ方向が違うからなぁ」
秦野は渋い顔をした。
「いいじゃない!かわいい娘が学校に遅刻してもいいの?」
「かわいいねぇ……」
秦野はため息をついて、「しかし、和美、まだ寝巻じゃないか。まさか、ここで着替えるんじゃ」
「もちろんよ。ちゃんと制服を持ってきたわ」
和美は鞄の中からセーラー服を取り出した。
「おい、みっともないから、やめろ」
「気にしないで、早く出発して。時間がないんだから」
和美は秦野をせかした。
「今日だけだぞ……」
秦野はぶつぶつと文句を言いながら、車を走らせた。
秦野は娘が後部座席で制服に着替えていると思うと、どうしても後ろが気になって運転に身が入らない。
「お父さん、見ないでよ」
和美が文句を言った。
「何言ってるんだ、見るわけないだろ」
と向きになって後ろを振り向くと、
「ほら、見てるじゃない」
と無理矢理、和美は秦野の首を前に向けさせた。
「全く最近の娘は……」
秦野は自分の教育を棚に上げて、心の中でぶつぶつ言った。
しばらくして、後ろからガサガサと服を着る物音が消えた。
ようやく着替えが終わったか。
秦野は内心、ほっとした。
「お父さん、人――!」
後ろで和美の声がした時、秦野は車の十数メートル手前に男が立っていることに気づいた。
しまった!
秦野は慌ててブレーキを踏んだ。
目の前の男のわずか五〇センチ手前で車が止まる。
「お父さん、危ないじゃない」
和美は驚いて言った。
「すまん――うっかりして」
「安全運転ですよ、長官」
車の前に立っていた男が言った。男はサングラスを取った。
「お久しぶりです」
「や、八十神……」
「この人、誰?」
和美が秦野に訊いた。
「知らんのか。和美が赤ん坊の頃、よく遊んでもらった忠士君だよ」
「覚えてないわ」
和美は大きな目で八十神をじっくりと見た。
「突然、どうしたんだ?携帯に連絡はなかったぞ」
「緊急事態でしてね」
「そうか」
と言って秦野は和美に視線を移し、「和美、ここからは歩いて学校へ行きなさい」
「ええっ!遅刻しちゃうよ」
「いいから。早く」
秦野が厳しい顔で言うと、
「わかったわよ。お父さんなんか、嫌いっ」
とふてくされたように言って、車から鞄を取るとその場から駆け出していった。
「悪いことをしたかな」
「構わんでくれ。それより、車の中で話を聞こう」
八十神を助手席に乗せると、秦野は車を発進させた。
「かわいい娘さんですね」
「そうかな、わがままで、お転婆で、ちっとも素直じゃない」
「素直じゃないのは親譲りでしょう」
「ふふ、そうかもしれんな」
「このまま警察庁へ向かって結構ですよ。話が済んだら、降りますから」
「話を聞こうか」
「香奈子が死にました」
「何だって?」
秦野が八十神の方を向いた。
「長官、前を見て運転して下さい」
「ああ」
秦野は視線を前に戻した。「一体、いつ?」
「数日前です。黒牙山の山道で爆発事件があったのを覚えてますか?」
「ああ。まだ、原因はつかんでいないようだが――」
「あの爆発はサイボーグが自爆したものです。香奈子の死体もその爆発で消えました」
「彼女は爆死したのか?」
「いいえ。その前に病気で。長官には迷惑かけました」
「いいや、私の方こそおまえの力になれなくて。私はおまえの父親代わりとして、本当におまえと香奈子さんの幸せな結婚式を見たかった」
「香奈子とはほんの少しでしたが、幸せな時を送れました。僕はそれで十分です」
「忠士……」
「それより、長官に会いに来たのはその話をするためじゃないんです。組織が計画を実行する日がわかりました」
「いつかね?」
「来週の月曜日です」
「三日後か」
「ええ。当日、国会、各省庁、TV局の厳重な警戒をお願いします」
「桜華高校に強制捜査を行った方がいいのではないか?」
「捜査令状を取る時間がありますか。仮に取れたとしても、あそこにはサイボーグはいないと思います。それに組織が警察の動きを知ったら、作戦を変えてくるかもしれません。いずれにしてもサイボーグをまとめて押さえるには、計画を実行させる以外にありません」
「それでは、学校の外に私服警官だけでも配備させよう」
「そうして下さい。長官にはいつも迷惑かけます」
「忠士」
「はい」
「私はおまえに謝らなければならないことがあるんだ」
「香奈子のことなら――」
「そうじゃない。私は黒須と通じていた」
「……」
秦野の言葉に八十神の表情が変わった。
「私はおまえを裏切っていたのだ。一年前、おまえの脱走を黒須に漏らしたのは私だ。そして、先日のホテルでの襲撃も私が事前に黒須に連絡していた」
「なぜ今になってそんなことを?」
「これ以上、おまえに嘘をつくことができなくなったからだ」
「長官……」
八十神は拳をぎゅっと固めながら、悲しげに秦野を見た。「いつから黒須と通じていたんです?」
「忠士、娘が幼い時、腎臓病であったのは知ってるな」
「ええ。でも、確か腎臓の提供者がいて、和美ちゃんは治ったんでしょう」
「その腎臓の提供者が黒須だとしたら――」
「まさか」
「そうだ。娘の腎臓は黒須の作り上げたクローン人間の腎臓だ」
「長官!」
「どうしようもなかったんだ。普通に腎臓の提供者を待っていたら、いつになるかわからん。私は娘の苦しむ姿を見たくなかった」
「それで黒須と取引したんですね」
「すまん……」
「許せませんね。あなたは僕ばかりか、自分の部下の相沢刑事まで裏切ったんだ。あなたのせいで何人の人間が死んだと思ってるんですか」
「黒須は告発する。私も自首するつもりだ」
「そんなことをすれば、長官や家族が狙われますよ」
「覚悟している」
「覚悟ですか……」
八十神は冷ややかに言った。「長官、ここで降ります」
「あ、ああ」
秦野は車を道路の脇につけた。
「もうあなたと会うことはないでしょう。さようなら」
八十神は車を降りた。
「忠士……すまない」
秦野は歩き去る八十神の後ろ姿を見つめながら、ぽつりと言った。




