16 駆け引き
午前四時、険しい山道を抜け、香奈子たちの車はアスファルトで舗装された車道に出た。
山道では真っ暗で道も悪く、いつ木にぶつかって事故を起こすか気が気でなかっただけに、車道に入ってからは幾分、香奈子は落ち着くことができた。
しかし、不安が解消されたわけではない。
いつ組織の追っ手が襲ってくるかもわからない。そして、後部座席の二人も……
国道は深夜のせいか、ほとんど対向車にすれ違うことはなかった。
「弘田さん、大丈夫?」
助手席の喜美子が言った。
「え?何」
香奈子がはっとして、喜美子を見る。
「何か具合悪そう。弘田さん、病気なんだし、少し休んだ方が……」
「そんな時間ないわ。早く町へ行かなきゃ」
「このまま逃げられると思ってるの?」
今まで黙っていた後部座席のあゆみが言った。
「逃げなければ、殺されるわ」
「殺す?組織は八十神さえ捕らえられれば、あなたたちに用はないわ」
「嘘よ。あたしをホームから突き落としたじゃない」
喜美子が後ろを向いて、言った。
「それはあなたが組織の邪魔をしたからよ。ねえ、取引しない?」
「取引?」
「私をここで解放すれば、あなたたちを逃がしてあげるわ」
「断るわ。あなたは犯罪者よ。警察に逮捕されるべきだわ」
香奈子は前を見たまま、言った。
「この私がせっかく逃がしてあげると言ってるのよ」
「逃がすも何もあなたは今、私たちに捕まってるのよ。状況を考えるのね」
「すぐに仲間が来るわ」
「だったら、なぜ取引を持ち出すの。本当は自分の今の状況を組織に知られるのが恐いんでしょ」
「……」
香奈子の言葉にあゆみは顔を険しくした。「私をこのまま警察へ突き出せば、智也の洗脳は永久に解けないわよ」
「智也……」
喜美子の顔が曇った。
「洗脳を解く方法を知ってるとでも?」
「私の指示に従えば、智也を助けてやってもいいわ」
「マルスを使った洗脳をあなたに解くことができるの?」
「!」
マルスという言葉にあゆみは眉を動かした。「マルスを知ってるの?」
「忠士さんに聞いたわ。マルスを装着された人間は人間性を破壊され、二度と元には戻らないって」
「嘘!弘田さん、八十神さんなら治せるって言ってたじゃない」
「ごめんなさい」
「そんな……じゃあ、智也はもう元に戻らないの。嫌よ、そんなの」
「喜美子さん、落ち着いて」
「治す方法はあるわ。確かに八十神の研究していたマルスにはそんな欠点があったけど、その後の組織の研究でその問題は解消されたのよ」
「じゃあ、なぜ彼はやつれてるの?マルスを装着された人間は食事も睡眠も取らないから、二、三日すれば、その疲労ははっきり顔に現れるわ」
「装置を外せば元に戻るわ」
「外したら、脳を持たない人間になるわ」
「喜美子、あなたは私と香奈子とどちらを信じるの?私でなければ、智也は治せないわ」
「あたしは……」
喜美子は戸惑った。
「喜美子さん、騙されては駄目よ。確かに今は智也さんを治せないけど、忠士さんならきっと何か考えてくれるわ」
「ふふふ、そんなの待ってたら、智也は死ぬわよ。あなた、大事な弟を殺すの?」
「あ、あたし……」
喜美子は迷った。「本当に元に戻るの?」
「もちろん」
あゆみははっきりと言った。
喜美子は考え込んだ。
「弘田さん、車を止めて」
喜美子は持っていたマシンガンの銃口を香奈子に向けた。
「どうして……」
香奈子は悲しそうに喜美子を見た。
「あたしは智也を失いたくないの、わかって」
「ははははは、形勢逆転ね」
あゆみは勝ち誇ったように笑った。
「止めないわ」
「弘田さん!」
「悪魔と取引なんかしない」
「智也を殺す気なの?」
「智也さんはもう助からないわ」
「止めて。本当に撃つわよ」
喜美子の語気が強まった。
「運転中の私を撃つの?」
「……」
「お願い、わかって。あの女のいる組織は……うっ」
その時、香奈子の腹部に激痛が走った。「こ、こんな時に――」
「弘田さん、どうしたの?」
「何でこんな時に――」
香奈子は苦悶の表情で腹部を押さえた。
車の運転が蛇行になる。
「うぐっ!」
香奈子は吐血し、ハンドルに体を投げ出した。
「弘田さん、弘田さん!」
喜美子は香奈子の体を揺すった。
「ブレーキを踏んで!」
あゆみが言った。
「え?どれ?」
「それよ」
「こ、これ」
喜美子はブレーキを思いっきり踏んだ。
「バカ、それはアクセルよ!」
スピードを上げた車は車道脇の山の斜面に乗り上げ、数メートル勢いで昇ったかと思うと、そのまま転がり落ち、車道にひっくり返った。
「ううっ……あたしたちを殺す気!手が使えないのよ」
あゆみは額から血を流しながら怒鳴った。
「弘田さん、大丈夫?」
喜美子は運転席の香奈子を心配した。
しかし、香奈子は答えなかった。
「何とかここから出なくちゃ」
喜美子はシートベルトを外し、ドアを開けた。
「ううっ……いてぇ、何なんだ」
後部座席の智也が苦しそうな声を上げた。
「智也?」
喜美子が後ろを見る。
「ここはどこだ……」
「智也、元に戻ったの?」
「どうなってんだよ、何で俺、縛られてんだ」
「嘘……智也が元に戻った……」
喜美子は喜びのあまり、声が震えた。
「当然よ。マルスは使ってないんだから」
あゆみがぼそっと言った。
「え?どういうこと?」
「話は後。早く助けなさいよ」
「わかってるわよ」
喜美子は先に車から出ると、まず運転席の香奈子を引っ張り出し、続いて後部座席の智也とあゆみを車から出した。
「ひどい目にあったわ」
あゆみは頭を振った。
「智也、大丈夫?」
喜美子はナイフで智也のロープを切った。
「いてて。一体、何がどうなってんだ」
ロープの外れた智也は早速、手で頭を押さえた。
「智也は操られてたのよ。それでこの女の命令であたしと弘田さんを誘拐したの」
「俺が?待てよ、そういえば、俺、教室で女子生徒に下駄箱に呼び出されて、そこで突然、後ろから襲われて、注射されて……そっから、何も覚えてねえや」
「あんた、さっき、智也にマルスは使ってないって言ったわね」
喜美子があゆみを見て、言った。
「この子は薬を利用した催眠術で操っていただけよ」
「どうしてマルスを使わなかったの?」
「あなた、弟を廃人にしたかったの?」
「そんなわけないでしょ」
「私は八十神にさえ会えれば、無事にあなたたちを帰すつもりだったのよ」
「ウソっ!日高さんを智也に殺させたじゃない」
「何だって!おい、俺が裕美を殺したのか」
智也が驚いて、言った。
「そうよ。あんたは日高さんを射殺したの……」
「そんな……」
智也は愕然として、両手を地に着いた。
「あはははははははは」
あゆみが笑った。
「何がおかしいのよ」
喜美子が睨んだ。
「あの女は死んでないわ。だって、あの女はサイボーグよ」
「サイボーグ!?」
智也と喜美子は顔を見合わせた。




