15 脱出
黒牙渓谷の山荘。午前二時。
香奈子と喜美子は山荘内の窓のない一室に閉じ込められていた。
二人は両手を後ろ手にロープで縛られ、さらに両腕ごと体と両足首も縛られ、床に寝かされていた。
室内は真っ暗で、外からの音は何も聞こえない。
「ん……」
今まで睡眠薬で眠っていた喜美子がふっと目覚めた。
「ん?……」
ロープによって自分が全く身動きが取れないことに喜美子は戸惑った。喜美子にはまだ自分が縛られているという認識がなかった。
「いたっ、なに、これ?」
喜美子は体を無理に動かそうともがいたが、逆にロープが体に食い込んで、顔をしかめる。
「起きたの?」
暗闇から香奈子の声がした。
「弘田さん、そこにいるの?」
喜美子が尋ねる。
「ええ。あなたと同じように縛られてるわ」
「ここはどこなんですか?」
「わからないわ。私も目を覚ましたばかりだから。睡眠薬で寝ている間に連れてこられたのね」
「……思い出した。智也に睡眠薬を飲むように脅されて、それから、飲んですぐ意識を失ったのよ。でも、どうして智也があたしたちを……ちょっと待って、智也は日高さんを撃ったのよね。ああ、何てことなの。智也が人を殺すなんて、どうして……」
喜美子はうわごとのようにしゃべっていた。
「喜美子さん、落ち着いて」
香奈子は小声ながら強い口調で言った。
「そんなこと言われても……智也が人を殺したのよ。おまけにあたしたちまでこんなところに閉じ込めて……」
「智也さんは組織に操られているのよ」
「組織って?」
「私たちを誘拐した一味よ。正確には私をだけど」
「なぜ弘田さんを?」
「組織の目的は八十神忠士を殺すことなの」
「八十神……その名前、お父さんから聞きました。病院であなたを誘拐した連中があなたと交換に八十神を連れてこいって」
「組織は自分で忠士さんの行方をつかめないから、私を誘拐して、彼の居場所を聞き出そうとしていたの」
「八十神って人の名前、図書室の本で調べました。すごい学者なんでしょ。日高さんに聞いたんですけど、弘田さんは八十神さんの婚約者なんですか?」
「前はね。今は夫よ」
「弘田さんの夫……」
「彼は私との結婚を前に七年前、組織に誘拐されたの。そこで彼は私を殺すと組織に脅され、ずっと研究を手伝わされていたの」
「研究って?」
「人殺しの道具を作る研究よ」
「どうしてその組織が今、彼を捜しているんですか?」
「一年前、彼は組織から逃げ出すことができたの。組織は世間に組織の秘密を暴露されるのを恐れて、彼を殺そうとしているのよ」
「弘田さんの言っているその組織って何なんですか?」
「私にもわからないわ。わかっているのは、日本を力によって支配しようとしている連中と言うことだけ」
「何か恐い……ねえ、弘田さん、さっき、智也が組織に操られてるって言ってましたけど、どうしてそうだとわかるんですか?」
「忠士さんから聞いた話だと、組織には人間を洗脳する装置があるらしいの。智也さんはもしかしたらその装置のせいで……」
「どうしたら元に戻るんですか?」
「それは――」
香奈子が何か言いかけた時、カチャッと言うドアの鍵が解除される音がして、部屋のドアが開き、暗闇の中にオレンジ色の明かりが差し込んだ。
入口には二つの人影があった。一つはマシンガンを手にする智也。もう一つは女――高宮あゆみのものであった。
「あなたは――」
香奈子は目を細める。
「また会えたわね」
あゆみが見下したように香奈子を見た。
「誰なの?」
喜美子が香奈子に尋ねた。
「組織の仲間の一人よ」
香奈子が答えた。
「智也に一体、何をしたの?」
喜美子があゆみを睨む。
「あなた、この子の双子の姉だそうね」
あゆみは智也の肩に手を回して、言った。
「智也を元に戻して!」
喜美子の鋭い声が飛んだ。
「あらあら、恐い顔ね。妬いてるの?」
あゆみは智也の唇にキスした。
しかし、智也は人形のように無抵抗である。
「や、やめて」
「あなたも彼とキスしたいの。いいわ。智也、そこの女のキスしなさい。ディープでホットなキスをね」
あゆみの言葉で智也が喜美子に歩み寄る。
「やだ、来ないで」
喜美子は逃げようとした。しかし、ロープで縛られた体では身動きが取れない。
智也はしゃがみ込み、喜美子の顔に自分の顔を近づけた。
「智也、お願い、やめて」
喜美子は泣きそうな顔で言った。
「やめさせて。二人は姉弟なのよ」
香奈子があゆみに言った。
「ふふふ、愛に国境はないわ」
あゆみは微笑んだ。
「ともや……」
喜美子の唇を智也の唇が塞いだ。
その瞬間、喜美子は目をつむった。目に溢れた涙が頬をつたって、流れ落ちる。
「うっ、ん、んん……」
智也は何の感情もなく、喜美子にキスを続けた。
喜美子はショックのあまり、放心状態になっていた。
「あなたは悪魔だわ」
香奈子が睨み付けた。
「何ならあなたにもキスさせましょうか。それ以上でもいいけど」
あゆみはクスッと笑った。「もういいわよ」
あゆみの言葉で智也は喜美子から離れ、立ち上がった。
「後五時間で八十神が来るわ。もし八十神をすんなり捕らえることができたら、あなたたちは釈放してあげるわ。最もここにいた時の記憶は全てなくなっているでしょうけどね」
あゆみはそう言うと、智也と共に部屋を出ていった。
外側からドアに鍵がかかる。
再び室内は暗闇となった。
「喜美子さん、大丈夫?」
香奈子が心配そうに言った。
「……」
喜美子は無言だった。
「あれは本当の智也さんじゃないわ。心をしっかり持って」
「弘田さん……」
喜美子のかすれた声がした。
「なぁに?」
「智也は元に戻るの?」
「忠士さんならきっと何とかしてくれるわ。だから、希望を捨てないで」
香奈子の言葉に喜美子はしばらく沈黙を続けた。
それから一時間後。
「そろそろいいかしら。喜美子さん、起きてるわね」
「え、ええ」
「これから、ここを逃げるわ」
「逃げる?どうやって?」
「護身用に忠士さんが持たせてくれたナイフがあるの」
香奈子はジーンズのポケットからナイフを取り出した。全長一〇センチ、厚さ三センチの小型ナイフ。刃はノコギリ状で、柄の部分にはスライド式のスイッチがついている。そのナイフの刃先を、手首を縛っているロープに当て、ナイフのスイッチを押した。すると、ナイフのギザギザの刃がチェーンソーのように回転し、ロープを切り始めた。
電動ナイフは数分で香奈子の手首を縛ったロープを切った。香奈子の手が自由になる。
「切れたわ」
「よく取られませんでしたね?」
「連中は私たちを見下しているみたいね。何にもできないと思って、ろくに衣服も調べなかったのよ」
香奈子は体のロープも切り、続いて足首を縛ったロープも切断した。
「喜美子さんのも切るからじっとして」
「はい」
香奈子は手探りで喜美子のそばに近づき、喜美子を縛っているロープを切った。
「体が痺れて、変な感じ……」
喜美子は腕をさすりながら、言った。「これからどうするんですか?」
「一芝居うちましょう」
「え?」
香奈子は喜美子に耳打ちした。
「わかりました。やってみます」
喜美子は大きく息を吸い込んだ。
「きゃあああああ!!!」
喜美子は思いっきり悲鳴を上げた。
すぐさま、どたどたと駆けてくる音と共にあゆみと智也が部屋に駆けつけてくる。
「今の悲鳴は何なの?」
あゆみが鍵を外し、部屋の中へ入った。
「いない」
室内には喜美子とあゆみの姿がなかった。
あゆみは部屋の照明を点けようとして、ドアの横のスイッチを押そうと振り返った。
「あなた――」
あゆみははっとした。スイッチのところには喜美子が立っていたのである。
さらに開いたドアの後ろに隠れていた香奈子が飛び出し、あゆみの背後から喉元にナイフを突きつけた。
「動かないで、死ぬわよ」
香奈子が言った。
「ふふふ、あなたに人が殺せるの」
あゆみは引きつった笑みを浮かべた。
「私の命はどのみち、後数ヶ月よ。もう何も恐いものはないの」
香奈子の言葉には説得力があった。
智也が香奈子にマシンガンを向ける。
「バカ、そのままでいなさい」
あゆみが慌てて指示した。「全くあなたを全裸にして閉じ込めておくんだったわ」
「今更、遅いわ。喜美子さんに銃を渡すように指示して」
「智也、そこの女に銃を渡しなさい」
あゆみが言うと、智也は喜美子にマシンガンを渡した。「これからどうするつもり?」
「あなたを警察へ突き出すわ」
「そううまくいくかしら」
「やってみせるわ。喜美子さん、私が銃を構えてるから、二人をロープで縛って」
「はい」
喜美子は香奈子にサブ・マシンガンを渡すと、智也とあゆみの体をロープで縛った。
「組織には一時間おきに連絡を入れてるわ。もし連絡がなければ、私に何かあったって思って、捜しに来るわよ」
「後何分?」
「さあね」
あゆみはとぼけた。
「香奈子さん……」
喜美子が不安げに香奈子を見る。
「とにかく逃げましょう」
香奈子と喜美子はあゆみたちを連れて、山荘を出た。
「車は?」
「裏よ」
あゆみは素っ気なく言った。
香奈子たちは山荘の裏手に回った。そこには一台の車が止めてあった。
香奈子は車のドアを開けると、まず後部座席にあゆみを乗せた。
「喜美子さん、悪いけど、智也さんは置いていきましょう」
「どうして?」
「ロープで縛っていても、今の彼は危険だから」
「そんな。だったら、あたし、残る」
「何言ってるの?ここで待ってたら、組織の仲間がやって来るのよ」
「智也を置いてはいけないわ。あたしたちに逃げられたと知ったら、連中に殺されちゃうかもしれないでしょ」
「わかったわ」
「バカね、あなたは」
車内のあゆみが笑った。
香奈子は智也もあゆみの隣に乗せた。
「じゃあ、行きましょう」
喜美子は助手席に、香奈子は運転席に乗り込んだ。
香奈子はメイン・スイッチにあらかじめ刺さっていた鍵を回し、エンジンをかけた。
忠士さん、私たちを守ってね。
香奈子は心の中で祈った。




