7 酒場
都会の裏通りに一軒の酒場があった。喧騒と雑踏のネオン街と違い、ここは猫一匹いない寂れた通りであった。
その酒場はそこに一軒だけ、ちょうちんのように薄暗い光をのぞかせながら、寂しく建っている。今にも崩れそうで、ドアの『クロック』という看板もかすれて、ほとんど見えない。
「ここに忠士さんが……」
裕美と共に店の前に来た香奈子は、喜びと期待のあまり胸を右手で押さえた。彼女の胸の鼓動は押さえきれないほど高鳴っている。
「さあ」
裕美は香奈子の腰に手を添え、店のドアを開けて中に入った。
薄明かりの店内。
カウンターに一人の男が座っている。他に人の姿はない。
「弘田さんを連れてきました」
裕美がカウンターの男に言った。
「よくやってくれた」
男が席を立った。
「忠士さん?」
香奈子が不安げに訊いた。
「生きていたんだね」
男が香奈子の前に歩み寄った。
男の顔が明かりにはっきりと照らされ、香奈子の瞳に映る。
「忠士さん!」
香奈子の目に涙が溢れた。
忠士さんが私の目の前に……
「香奈子」
八十神は香奈子をぎゅっと抱きしめた。
抱きしめられてる……私が忠士さんに。
「長かった。七年間、ずっと君に会いたかったんだ」
「私も……」
香奈子も八十神の胸に顔を埋め、背中に手を回した。
しばらくの間、二人は七年の歳月を一度に埋めつくさんとばかり、強く抱き合った。
「死ぬ前に会えて、本当によかった」
香奈子は顔を上げ、八十神の顔を見つめた。その顔は幸せに満ちていた。
「死ぬ前にって何を言ってるんだ。これからは僕が君を守る。絶対に放すものか」
「ありがとう。私、うれしい……。でもね、私、癌なの。もう数ヶ月しか生きられないのよ」
「嘘だ」
八十神の顔が曇る。「僕は君に会うために……」
「知ってるわ。あなたは悪い人たちに誘拐されて、私の命と引き替えに悪い研究に荷担させられていたんでしょう。私なんかのためにごめんなさい」
「君が謝ることはない。奴らのせいだ」
「忠士さん、これを」
香奈子は左手の薬指から指輪を外した。
「これは?」
「七年前に忠士さんからもらった婚約指輪。お返しするわ」
「どうして?」
「私はもうすぐ死ぬから、あなたと結婚しても、あなたを悲しませるだけだわ」
「わかった」
八十神は香奈子から指輪を受け取った。「そのかわり、僕からも渡すものがある」
「え?」
八十神は香奈子の左手の薬指に何かをはめた。
「八十神さん……」
香奈子は驚いて、八十神を見る。
香奈子の薬指にはダイヤモンドの指輪がはまっていた。
「結婚指輪だ」
「何で……結婚なんかしたって、私は」
「君と結婚できないくらいなら、僕は君が死ぬ前に自殺するさ」
「……」
「僕は真剣だ」
「本当にいいの?私なんかで」
「僕の気持ちは七年前と同じだ。七年前の自分が地獄のようなこの七年間の自分を支えてきたんだ。これ以上、僕を地獄へ突き落とさないでくれ」
「八十神さん……この指輪、喜んでいただきます」
「結婚してくれるね」
「はい」
香奈子ははっきりと返事をした。
遠巻きに二人を見ていた裕美は安堵の表情を見せた。
「忠士さん、私を助けてくれたあの人は誰なの?」
香奈子は裕美の方をちらっと見て、八十神に尋ねた。
「彼女は日高裕美。一年前、組織を脱走した時、僕をかくまってくれた少女だ」
「どうして一緒に?」
「彼女は一度、組織の殺し屋に殺された。それを僕がサイボーグ手術を施して、蘇らせたんだ」
「それじゃあ、彼女は人間じゃないの?どうしてそんなことを」
「彼女は本当なら普通の高校生だ。僕を助けなければ、死ぬこともなかった。だから、どうしても助けたかった。サイボーグ化してでも、両親の元で普通の生活をさせてやりたかったんだ」
八十神はやりきれなさそうに、そこで一度、間を置いた。「だが、裕美を蘇生させた時、裕美には昔の記憶が全てなくなっていた。そして、彼女の家族も組織に殺されていた」
「何てこと……」
香奈子は口を押さえた。




