96.兆しはそこに
戦況は比較的落ち着いていた。神権を自由に扱えればもっと圧倒的な制圧が可能だったのだろうが、それでも混戦状態とまではいかなかった。
神継ぎ全員が戦闘経験豊富だったことも功を奏していたのかもしれない。次から次へと湧いてくる異形たちを切って捨てていくその手腕に、迷いなど無かった。
それよりも、一緒に虚構内部に閉じ込められてしまった一般人を護り通すことのほうが骨が折れた。
彼らは混乱し、惑っていた。冷静さを欠き、偽りの空にも見たことのない異形にも彼らが放つ異能にも、そして果てには助けに入っている神継ぎにも怯えていた。第二塔の神継ぎ以外は顔が割れていないので、当然と言えば当然だったが。
その結果、異形からも神継ぎからも逃げようとして、彼らは余計危険な場所へと身を躍らせるのだからアクイラたちの苦労はひとしおである。
アクイラは一般人に襲い掛かろうとする異形を遠目に確認し、内心で緩く舌打ちをした。
仕方がないのでその辺りにある太めの枝を手に取り、それを大きく振りかぶる。豪速で投擲された枝は横方向に異形を貫き、絶命とまではいかないまでも異形にたたらを踏ませた。
人間の恐怖に見開かれた目が、枝が飛んできた方向、つまりアクイラのほうへと向けられた。同時に異形の意識もアクイラに向けられたことを察して、アクイラは人間から意識を逸らして異形を見据える。
人間には、敵と救援の区別がつかないのだ。救援が大群であればまだしも、いるのは広大な地域にたった一人の見知らぬ神継ぎ。人間では考えられないほどの身体能力を有し、本能で察せられる異質な存在感を放つような人型に、すぐに気を許すほど人間は考え無しにはできていない。
説明しようにも、次から次へと湧いてくる異形たちの相手をしようとすれば時間が足りない。
だから、アクイラは諦めて異形を屠ることに専念しているのだ。
透明な膜をすり抜けるようにして突然現れる異形が、またすぐそこまで迫ってきていた。アクイラはそれに太刀打ちしようと大きく息を吸って、そして目にした光景に眉をぴくりと動かした。
「は……?」
異形の中心から大きな渦を描くようにして、炎が一閃した。
それは異形たちの胴を泣き別れにし、反撃する間もなくその体がぼろぼろと崩壊していく。
「アクィーラー!!!」
「……なにしてるんだあのひと……」
やがて見晴らしの良くなった空には、ぶんぶんと大きく手を振りながら突撃してくるスルトの姿があった。
瞬く間に会話できるほどの距離にまで来たスルトが、アクイラに向かって晴れやかに笑った。
「アクィーラだいじょぶ? 俺の助けいる?」
「間に合ってますが……スルトさん、自分の持ち場は?」
「フィニクスに一人でいけるって言われたから、俺はフリーのお助けマンになろうと思って! 相手の数も段々減ってきてる気がするし!」
「確かに、最初より少なくなったかも……? ただその分、集団でドカンと仕留められなくなったのが大変ですが。……ん?」
スルトの言葉を受けて頷いていたアクイラは、すぐに違和感を覚えて首を傾げた。
スルトがここに現れたときにアクイラが見たものが、脳裏をよぎる。
「スルトさん、異能使ってませんでした?」
「あっそう! なんか使えた!」
にぱっと笑みを浮かべたスルトは、右の手で拳を作ったり開いたりして炎を揺らめかせながらそう言った。別れる前にも似たようなことはできていたが、今さっき異形相手にも同じことができたのだから、恐らくミスラの契約はどうにかなったということなのだろう。
しかしまあ、アクイラはその兆しをまったくもって感じ取れなかったのだから、「なんかいけるかなって思って!」とあっけらかんと言い放つスルトの野生の勘は凄まじい。
「でもこれじゃあ皆俺の助けいらなくなっちゃう。今更フィニクスのとこ戻れなくない?」
「少なくともさっき敵を一掃してくれたのはありがたかったですし、兄さんは別に出戻ってきた相手を弄ったりしないと思いますよ」
「ありがとねアクィーラ……」
慰めの言葉に顔を覆って項垂れてしまったスルトを見ながら、アクイラはふと思い至った疑問を漏らした。
「そういえば、ヘルさんがこの虚構の解析をしてますけど、そっちでの異形の相手はどうしてるんでしょう?」
再び湧いてきた異形に雷から作り出した槍を投擲しつつ、隣のスルトからの返答を待つも、いつも騒がしいほどに口を動かし続けている彼からの反応はなかった。
その違和感に、さてはスルトはもうこの場を後にしてしまったのかと振り返れば、彼はまだそこにちゃんといた。けれども、その表情はいつになく無であった。
「……ヘリオスが、一人で異能、使ってるの?」
やっと口を開いたスルトはそう呟いた。アクイラに問うているようにも聞こえたし、心の中の混乱が自然と口に出てしまったようにも聞こえた。
「……そうですね、あの人自身が俺たちを個々に配置したので。たぶん一人だと思います」
あまりのスルトの静かさに、アクイラはヘルなのかヘリオスなのかという疑問を脇に放って頷いた。話の流れ上、アクイラの認識しているヘルとスルトが言うヘリオスは同一人物なのだろうと、そう自身の中で結論付ける。
「ヘリオスなら確かにこの虚構を崩せるだろうけど、でも、アイツはその間、他に何もできないよ」
「……どういう……?」
状況を呑みこみ切れないアクイラを、スルトが色を無くした表情で受け止める。
「ヘリオスは、異能を使ってる間は無防備になる。一度にたくさんの相手に異能を使うことはできるけど、一方で異能を使いながら、その対象を増やすことはできない。だから——」
くしゃりと顔を歪めて、言い切ることを躊躇ったスルトの言葉の先は、アクイラにも分かってしまった。
「虚構の解析中に異形に襲われても、防御も反撃もできない……?」
ぐっとスルトが喉を鳴らして、そして小さく頷いた。
それにアクイラは目を見開く。
「スルトさん、今すぐヘルさん——ヘリオスさんのところに行ってください。ここは大丈夫です、他の人も大丈夫でしょう。だから、今すぐに行ってください」
話している最中にも姿を現す異形が、アクイラの一瞥で稲妻に貫かれる。
その爆風がアクイラとスルトの元にまで届き、彼らの短い髪先をさらった。
それにほんの少しだけ瞳を細めたスルトが、うん、と一つ頷く。少しの沈黙ののち、再びうん、と呟いたスルトの表情には、覚悟の色が乗っていた。
「ごめんアクィーラ、情けないとこ見せた」
「いえ……」
むしろ、この短時間で気持ちの整理をつけて落ち着くことのできたスルトがすごいのだ。
アクイラに背中を向けたスルトが、少し躊躇って、そしてもう一度アクイラを振り返って笑みを浮かべた。
「それと、ありがと、アクィーラ。ヘリオスはね、地獄なんかじゃなくて、ちゃんと太陽なんだよ」
ヘルのことをヘリオスと呼び直したことに対する感謝を落として、今度こそスルトは飛び出していった。
それを正しく読み取って、アクイラは黄金の瞳を伏せた。
本当は、ヘルが今も無事である望みなど薄いだろうと双方分かっていた。
彼がひとりになってから、長くはなくとも短くもない時間が流れてしまった。襲来する異形の数が減ったのだって、解析を進めるヘルのもとに集結しているからなのだろう。
ヘルはきっと、この虚構を崩す過程で自身の命が失われることを厭わない。むしろ、いい終幕だったと満足そうに微笑むのかもしれない。
それでも、その最期の瞬間にスルトが立ち会えないなんて、そんな悲しいことはないだろうと、アクイラは思ってしまったのだ。どれだけ互いが互いを大切に思っているかなんて、全くの部外者であるアクイラがほんの少し彼らのやり取りを垣間見ただけで分かるくらいなのだから。




