94.虚構の内で
さて、レーヴの虚構が崩壊し、直後別の虚構が構築された時まで話は遡る。
その新たな虚構の中に、ミスラを含め三人の神継ぎがいないことにいち早く気が付いたのはヘルだった。彼は上空に大きく張り巡らされた偽りの空を静かに見上げた後、隣にいたスルトに話しかけようとしたところで、先程までは視界に入っていたはずのミスラがいなくなっていることに気が付いたのである。
「……スルト、ミスラがいなくなってる」
「エッ」
スルトの驚きの声に、周囲の神継ぎの視線が自然と集まった。
しかしそれらを全く意に介することなく、慌てたように辺りを見渡したスルトは、やがて黒々としたサングラスの奥で赤い瞳を見開いて言った。
「ノーシスもいない」
「護魂の神継ぎもいないね」
静かにヘルモーズの不在も告げたヘルは、顎に指を添えて小首を傾げた。
「全員が全員また虚構に閉じ込められたわけではないのか。一般人にもいなくなった人はいるのかな」
ヘルの言葉に、スルトも一緒に腕組みをして首をひねる。
アクイラは同じ方向に頭を傾けている彼らを見ながら、隣のアマニに声をかけた。
「ノーシスさんがいないから、一般人までは確かめようがないね」
ヘルが違う方向へと首を傾げたのに合わせて、スルトもそちらへと頭を傾けている。あれはヘルに遊ばれているな、と内心苦笑したのもつかの間、アクイラはアマニからの返答がないことに気が付いた。
「……アマニ?」
横にいるアマニを見れば、彼女はヘルとスルトの方へと顔を向けてすらいなかった。ただ、そのオパールのような透き通った瞳を大きく見開いて、どこか遠くの彼方を見つめていた。
「……アクイラ、あれ、何?」
どこか茫然としているようなアマニの声に、アクイラは静かにアマニの視線を追いかけた。
どこまでも遠く、空を悠々と横切る飛行機ですらごま粒に等しい大きさになるほどの空の果てに、無から湧いてくる何かがあった。まるである境界線を越えた瞬間に、その身にかけられている透明化の魔法が解けているかのような錯覚を与えるほどの、まさしく無から湧きだす何かであった。
そして、常人では知覚できないほどの小さい情報を、アクイラの正確な目は正しく拾い上げた。
「……異形……?」
レーヴの虚構の中でよく見た存在。第五塔が相手にしていた存在。クローン体の失敗作とされ、廃棄処分となった存在。
アクイラの呟きを拾ったアマニが、パッと驚きに見開かれた瞳にアクイラを映した。
「どうしてここにいるの?」
「……政府が、虚構の外から中へ、投入したから……?」
「……どうして」
「俺たちを殺すため?」
アクイラとアマニはとつとつと考えを口にしながら、こんがらがった脳内を整理していく。憶測を交えて、焦らずゆっくりと。
「——俺たちを殺したいんだったら、虚構を今すぐ外から崩壊させるだけでいいんじゃないかな」
「あっアクイラのお兄さん!」
突然背後から会話に参加してきた一つの声に、アクイラは肩を跳ね上げた。
アマニとフィニクスが和やかに自己紹介をしているのを他所に、アクイラは再び思考を巡らせる。
「虚構の中に、虚構の神継ぎ自身もいる?」
「自分で生み出した虚構の出入りは自由っぽかったし、それならさっさと出ちゃえば話は早いよね」
アクイラの呟きにフィニクスが再び反応した。
それに確かにそうだと納得して、アクイラは別の理由を考える。
「それなら、……俺たちに、この虚構を壊させないため?」
「私たちに異形の相手をさせて、虚構の解析まで手が回らないようにするためってこと?」
アクイラの言葉を自分の中に落とし込んだアマニが、是非を問うようにフィニクスを見上げた。
その視線を受けて、フィニクスがうっすらと目を細めた。
「俺としては一番可能性がある線じゃないかなって思うな。何らかの事情でここの作り手が虚構を壊せなくて、時間稼ぎに仕方なく、ってね。もちろん全部想像でしかないけど」
まるでポンコツな探偵に少しずつヒントを与えて難事件を解決に導く有能な助手のような慈愛の笑みを滲ませてフィニクスが頷き、そして続ける。
「どちらにせよ、あの異形を野放しにはできないね。あれらが一般人と神継ぎを区別して襲い掛かるならまだしも」
「あー……それは望み薄かもしれないですね……」
アマニの煮え切らない返答に、フィニクスは特に動揺せずに頷く。
「そうだろうとは思ってた、アクイラの仕事っぷり見てたし」
「えっいつ?」
「俺が正気取り戻す日。俺が姿見せる前は異形相手にしてたでしょ?」
「見てたの?」
「遠くからね。敵情視察のつもりで」
こわあ、とアクイラの口から本音が漏れた。どうやら割と本気で仕留めにかかってきていたらしい。
「……これ、八人で虚構のなかの一般人を守らなくちゃってことだよね」
その場にいる神継ぎを一人ずつ数えていたアマニが、ひとりごとのように静かに呟いた。それにつられて、アクイラも辺りを見渡す。
「ルディヴィーさんとヴァルさんも、虚構のなかにはいるんじゃないかな」
「そっか、じゃあ十人……」
「三分の一が異能を使えるってだけマシなんじゃない?」
「確かにありがたいけど、母数が少ないうちの三分の一なんだよな……」
あっけらかんとポジティブに言い放ったフィニクスに、アクイラも同意しつつ頭を悩ませた、そのときだった。
「まーでも、異能が使えなくても俺ら強いし!」
ヘルと話し込んでいたとばかり思っていたスルトが、大きな声でアクイラたちの会話に入ってくる。
「とりあえずアクィーラの兄ちゃん、俺と一緒に異形倒しに行こ!」
声高に誘われたフィニクスが、その顔に困惑を滲ませて狼狽えた。
その様をヘルが微笑ましそうに見つめているのがスルトの肩越しに見えた。
「いいですけど、初対面……ですよね?」
「ん? あっ俺スルト! 炎威の神継ぎ! 俺と一緒に超巨大ファイアトルネードしよ!」
「スルトさんいま異能使えませんよ」
「アッ……」
今さっき自分で言っておきながら、スルトは異能がまともに使えないことをすっかり忘れていたらしい。
「いや、もしかしたら案外使えるかも……?」などと言いながらその手の内に炎を生み出そうとしたスルトの手元を全員が注視する。本人ですらほとんど諦めかけていたようだったが、それに反して彼の手の内では確かに炎が揺らめいた。
「出た!!!!!」
喜びに顔を輝かせ、周囲に自慢するように炎を見せびらかすスルトの後ろから、何とも言えない顔をしたヘルが顔を覗かせる。
「スルト、たぶんだけどね、異形を相手にしたら使えなくなるんじゃないかな……」
「エッ……」
途端、がっちりと表情を固めたスルトが、少し気落ちしかけて、すぐに顔を上げて持ち直した。つくづく見ているだけで愉快なひとである。
「それでもいいや! シンボクを深めよ、アクィーラの兄ちゃん! ……ごめん、名前何だっけ?」
「あ、ごめん、名乗ってなかったね。俺フィニクス」
「そうじゃん不死鳥!」
きらきらと再び顔を輝かせたスルトは、その勢いのまま続ける。
「俺のことにーちゃんって呼んでいーよ!」
「おっと……?」
未だ戸惑った顔をしているフィニクスの腕をがっちりと掴み、スルトは「じゃっ!」と一つ挨拶を落として去っていった。フィニクスを引きずりながら。
騒がしく言葉を交わしながら遠くなっていく二人を、残された面々は何とも言えない表情で見送った。




