91.護魂の真髄
少しばかり時を遡って、ヘルモーズとミスラ、ノーシスが三者それぞれに別れたころ。
ヘルモーズはノーシスに指示された通り、研究施設へと飛ぶように向かっていた。
粗方の場所は見当がついていた。レーヴの虚構の中では、ヴァルグルとルディヴィーの故郷があった場所。その場所が、この現実の世界のどこに位置しているのかを割り出せばいいのだ。実際に尋ねたことはないが、それでもかつての神継戦争において、彼らの領土の最も外側に位置していたことくらいは耳にしたことがある。
本来なら迂回すべき高い建物や木々も、飛び越えるようにして直線距離を突き進む。
そうして視界に入った大きな金属製の建物は、その佇まいから無機質で異質な雰囲気を放っていた。入ることを躊躇うような重々しい雰囲気を醸しているその施設は、まるで万人を拒絶しているようでもあった。
違ったらまた飛び出して近くを捜索すればいい。それに、この施設がそうだとヘルモーズの勘が囁いていた。
段々と近づいていくその施設を冷静に眺めながら、件の研究が行われているのは地下だろうか、とヘルモーズは思案する。神継ぎからその権能を抽出する研究など、そう大々的に行われているわけがない。
そこまで考えて、ヘルモーズは否、と思い至る。実験自体は地下で行われていたとして、抽出された権能の保管場所は何も地下でなくともいいだろう。そもそも、周囲が把握できるような、少なくとも辺りを広く見渡せるような場所でないと、先程生成された虚構の上から、それを包み込むようにして鎮守の結界を生み出すことなどできやしない。
それなら恐らく、権能の保管場所はこの施設の最上階、あるいはその周辺。
ヘルモーズは駆けていた屋根を踏み抜き、大きく宙へと飛び上がった。幸い研究施設は地上五階建てで、単純な脚力でその階まで到達することができた。
勢いを殺さないまま、ヘルモーズは壁を突き破るように体を丸めて建物の中に侵入する。同時にけたたましく警報音が鳴り響いたが、侵入方法が侵入方法だったためにそれがなくとも確実に侵入はバレていただろう。
部屋のなか、そこにいたのは六人。中央に白衣の人間が二人、部屋の四隅に武装した人間が二人。それら全員の視線が、突然の乱暴な来訪者に向けられていた。
しかしヘルモーズの探し物は彼らではない。着地の状態から起き上がったヘルモーズは、そこにいる人間たちに目もくれず、さっと部屋に視線を滑らせた。
「——いた」
ヘルモーズの視線が、ただ一点に吸い寄せられる。
懐かしい魂。戦友であり親友だった、鎮守の神に見初められた魂。
知らず知らずのうちに、ヘルモーズの口の端が持ち上がる。
「なんだアンタら」
ぐるりと視線を一周させて、ヘルモーズの空色の瞳が、ヘルモーズを警戒している六人のうちの一人、白衣の人間をひたと映した。
「余るほど時間があったのに、抽出できた権能は二つだけか?」
ヘルモーズは空色の瞳を歪めてうっそりと笑った。彼にしては珍しい、嘲るような笑みだった。
「……なんでここに、護魂の神継ぎが」
「お、俺のことが分かるのか。虚構内の情報共有はされてんだな」
警備兵と思わしき男が一人、低い声でそう呟いたのに対して、ヘルモーズは軽く返す。しかし彼らはヘルモーズからの反応など必要としていなかったらしい。
突然、ヘルモーズの右肩を激しい痛みが貫いた。
咄嗟に自身の右肩を見下ろすと同時、ヘルモーズの右腿にも焼けるような痛みが走った。ぱたた、と自身の鮮血が床に滴り落ち、続けてそのできたばかりの血溜まりにヘルモーズの体がぐしゃりとくずおれる。
「ハハ、随分な挨拶じゃねえか」
四方から銃を突き付けられたヘルモーズに、白衣の研究者が近づいた。少しばかりくたびれた靴先が、ヘルモーズから流れ出た血を踏みつける。
「知っているんですよ、虚構内にいた神継ぎは皆、契約に縛られていることを。我々への神権の行使を禁じられたあなたたちなど、恐るるに足りません」
「ああ、そもそも護魂の神継ぎは契約に縛られていなくとも権能をまともに扱えないと評判だったな。安心しろ、神権を抽出した後、我々が有意義に使ってやる」
よく喋る白衣の人間に、ヘルモーズは少しだけ瞳を細めた。
そしてその申し出に言い返そうと口を開いたヘルモーズは、しかしその状態で何も発することなく固まった。
微かな違和を感じ取ったのだ。これまで緩めにかけられていた縄が、何の前触れもなく跡形もなく消えてしまったかのような感覚だった。
それと同時に、それが何を意味するかをヘルモーズは悟った。
恐らく、何の縛りもなく神権を扱えるようになったのだろう。国家のため云々など関係なく、自由に権能を行使できるのだ。
そしてそれは、ミスラの死をも意味する。
ぐっと湧き上がってくる悲しみやら何やらを無理矢理に抑え込んで、ヘルモーズは何事もなかったかのように白衣の人間を見上げた。
「死者の蘇生を、アンタらならこの神権で行えるって?」
「ええ」
傲慢にもそうだと頷いた相手に、ヘルモーズは笑ってしまった。
虚構内の情報共有は確かに行われていたのだろう。行われていたのだろうけれども、彼らが手にした情報は、ヘルモーズが意図して偏らせた偽りのものである。死者の蘇生という、護魂の神がヘルモーズのために無理を押して成功させた神業を、彼らは護魂という神権の全てと思い込んでいる。
「そりゃ楽しみだな。護魂の神の逆鱗に触れるアンタらも面白そうだ」
権能を越えた能力は、その神の在り方に大きく影響してくる。それが雷や炎といった可塑的なものであればいいものの、護魂のような権能自体に意味が強く反映されており、それに特化したものであればあるほど、影響は強くなる。
だからこそ、護魂の神は死者の蘇生に二度はないと言ったのだ。
「だがそれよりも、俺はこの手でアンタらを殺したい。敵討ちってやつだ、アンタらも分かってくれるだろ。親友がここまでぼろぼろにされて、死してなお使い潰されて、怒らない奴なんかいないさ」
右腕も右足も使い物にならないはずの、さらには地面に膝をついた状態のヘルモーズに、その場の六人は薄ら寒いものを感じた。本能的な恐怖だった。
それはヘルモーズの瞳の奥でぎらぎらと苛烈な色が滾っていたからか。それに反して、彼から発せられる声音が軽かったからか。それとも、半人外から滲み出る殺気のせいか。
そうだろう、と後押ししてくるヘルモーズに、ただの人間はひたすら怯えるしかなかった。




