102.
ノーシスの体感では、すでに数十分は戦い続けている心地だった。最小限の立ち回りで相手を翻弄していたものの、ノーシスの戦い方が周知され始め、いつの間にか遠距離武器を持った相手しか見えなくなると、途端にノーシスは不利になった。
慣れない防衛戦にノーシスの神経が削れ、隙が散見されるようになるまで、むしろ良くもったほうではないかと彼は思考の片端でちらりと考える。ノーシスは神継戦争も知らず、所属だって戦闘部門ではない神継ぎなのだから。
鉛玉がノーシスの肩口に撃ち込まれ、彼がふらついた瞬間、ノーシスを取り囲む一人の腕が伸ばされ、地面に引き倒されて拘束される。それでもなお抵抗を続けようと四肢に力を込めれば、より多くの腕が伸ばされ、ノーシスの四肢を、胴体を、強い力で押さえ込む。
それに薄っすらとノーシスは目を細め、最も近くにいた人物に笑いかけた。
「俺に触っちゃダメだって、忘れちゃった?」
途端、ノーシスを押さえ込んでいた全員が地に伏した。
なんてことはない、ただ彼らの脳にも有り余る情報を詰め込んだだけだった。勝利の気配がした瞬間というものは、最も思考を短絡化させ、隙を誘発するのである。相手に触れられてはいけないという意識も、拘束できるという油断の前ではないに等しかったのだ。
しかし、さすがに一度引き起こした事態をもう一度繰り返すほど相手も愚かではない。
刺股に似た拘束具がノーシスの四肢を再び捕らえ、今度こそ成す術なくノーシスは地に倒れ込んだ。
背を強かに打ちつけた勢いに一瞬息を詰まらせ、ノーシスは苦し気に息を吸った。
「殴る蹴るは得意分野じゃないからさあ……」
確実にノーシスの息の根を止めるために大きく振りかぶられた鋭利な刃を見上げながら、彼がぐ、と表情を歪めたそのときだった。
少女を横たえていた方向から、大きな音がした。
遮蔽物を取り払った崩壊音、荒い息遣い、そして、辺りの熱気を侵食する冷気。
意識を取り戻した少女がゆっくりと、ただ事実を確認するように、ぽつりぽつりと声をこぼす。
「……わたしはG、七番目の『レーヴさん』の弟妹。わたしは『レーヴさん』じゃないし、神権も虚構じゃない。わたしの本当の神権は——」
ノーシスの首を切り落とさんとする刃が、横からの衝撃で相手の手の内から弾かれる。
「——沫雪だもの」
剣が地面に落ちる大きな衝撃音がした。
しかしその突然の事態を呑み込むより早く、追撃が彼らを襲った。
氷でかたどられた美しい大輪が、ノーシスを取り巻くように咲いていた。それらはすべて、ノーシスを取り巻くクローンたちの体の内から吹き零れるように咲き誇る蓮の花だった。
無力化されて地面にくずおれていく数多の相手が、意識を刈り取られているだけで命まではとられていないことに安堵の息を吐きながら、ノーシスはゆっくりと少女へと視線を向けた。
金茶の瞳が溶けてしまうのではないかというほどにぼたぼたと大粒の涙をとめどなく流す少女は、悲しみに顔を歪めたままノーシスを見つめ返した。
「ありがとう、ノーシス。わたしにお姉ちゃんのことを教えてくれて……」
レーヴより幼い体躯の少女は、頼りなく瞳を彷徨わせる。
やがて視線を落としてしまった少女が、でもね、と涙に滲んだ声を絞り出す。
「わたしがお姉ちゃんを知る前に、お姉ちゃんはいなくなってしまった。全てを知り尽くしたはずなのに足りないの、わたしはきっと、あたたかい記憶を受け取るんじゃなくて、ただ、あのひとに会いたかっただけだった……」
実はずっとレーヴと同じ虚構の外にいたことを、少女は知ってしまった。いくら周囲の人間たちに遠ざけられていたとはいえ、手を伸ばし続ければ出会えていたかもしれない事実は、少女をより苦しめていた。
それでも、少女は悲嘆に暮れることなく、とはいえその双眸からは未だぼろぼろと涙を流したままであるが、ノーシスを再び見上げた。
「……他の兄弟がどうなっているか、あなたなら分かる?」
その問いに、ノーシスはほんの少しだけ息を詰まらせた。
この世界で、レーヴのクローン体は山ほど生まれていた。その多くは人間としての体を保てず、異形としてレーヴの虚構の内に捨てられた。そして数少ない少女のような成功個体は、順にアルファベットによる識別名を与えられ、個々に管理された。それでも彼らは身体機能のどこかしらに異常を抱えていることが多く、Gの名を与えられた少女だけが、ただ唯一の完全な成功例だったのである。
「他の、子たちは……」
言い淀んだノーシスを一目見て、少女はすべてを察した。
大粒の涙を拭って、少女は大きく深呼吸をした。
「亡くなったのね。……殺されたの?」
「……少し前に、全員ね」
もっとずっと前に亡くなっているアルファベット名のクローン体もいるが、残っていた全員が殺されたことを、ノーシスは知ってしまっていた。それらすべて、ホログラムの男が命令を下して実行されたことも、ノーシスは知っているのだ。
「そう……。それなら彼——ホロウは、きっと全てを一度無に帰してやり直すつもりね」
その名を聞いて、ノーシスの脳裏に未だホログラムでしか姿を確認できていない男の姿が蘇る。
ノーシスも、英知の神権経由で彼の粗方の情報については知っていた。そしていま、少女との情報の摺り合わせによって、彼が全ての元凶であると断言できるだろうという確信があった。




