103.
金茶の瞳を伏せがちにして考え込む少女を、ノーシスはじっと見つめた。ノーシスの異能はこの世のあらゆる事象を把握するが、顕在化していない事柄、つまりは人々の心の内だけはどう足掻いても知ることができないのだ。
その視線に気が付いているのかいないのか、少女は考えを巡らせながら話し始める。
「わたしは生まれてから400年もの間彼を見てきたわ。あなた、英知の神権なら分かるでしょう? ホロウは昇華の神から奪った左目を埋め込んでいる。ホロウは神ではないけれど、人間でもなくなってしまった。存在が歪んでしまったからこそ、彼は正常に魂を昇華できないの。そしてそれは、今のホロウにとっては渡りに船だわ」
「……それは、ホロウがたとえ肉体的に死んでも、輪廻には乗れずにホロウとしての意識を保持したまま、この世のどこかに存在し続けるってこと?」
「ええ。ホロウはさっき、彼以外の全てを要らないものとしてみなしたはずよ。彼の唯一の未練は成功クローンのわたしだったんでしょうけど、これまでの従順で盲目なわたしはあなたの異能で消え去った。だからこそ、彼はこの世界の全てを壊して、またまっさらな状態に戻すことに決めたのよ。彼の悪事を誰も知らず、誰も疑わず、誰も邪魔をしない状態に」
「そこまでして、ホロウは何がしたいんだ……?」
ホロウの意図を汲み切れず、ノーシスは思わず唸った。
レーヴを殺して神継ぎたちを一網打尽にしようと企んでいたのはホロウである。彼のためだけの神継ぎを欲しているという野望は、レーヴからも聞いていた。しかしその先が分からなかった。ホロウに従順な神継ぎを集めたその先で、彼は何を目指しているのか。
視線を感じてノーシスがふと傍らを見下ろすと、少女の澄んだ金茶の瞳に考え込んでいるノーシスが映り込んでいるのが見えた。レーヴより一回りも二回りも小さい体躯で、しかしその達観したような表情は、ありありとレーヴを思い起こさせる。少女を一目見てすぐはまるきり逆のことを考えていたのに、とノーシスは思考の端で苦笑した。
そんなノーシスを見上げて、少女は静かに喉を震わせる。
「あのひとはね、この世界のシステムをひっくり返したいのよ」
「世界のシステム……?」
ノーシスは思いもよらない言葉に虚を突かれてアイスブルーの瞳を瞬かせた。
「いつだって人間は、神々に消費される側だって。どれだけ文明を発展させようと、どれだけ時が過ぎ去ろうと、人間が世界の頂点に立てたことはない。いつだって人間は神々に縛られていて、彼らから選ばれるのをただ待っているって」
「……別に俺、選ばれたくて健気に待ってたわけじゃないんだけどな……?」
十中八九、ホロウが指しているのは神継ぎに関する話だろう。
とりあえず第一に思ったことをぽろりと零せば、少女が仕方の無さそうに苦笑する。
「ええ、分かってる。むしろ神が視線を向けるのはそういった無欲な人間ばかりよ。でも、それがホロウは気にくわなかった。彼は神になりたかったわけではないわ。ただ、自身の上に誰かが立つのを許せなかったの」
「あー……なるほどね?」
ノーシスは口の端に薄い苦笑を乗せた。
要は、彼は世界で一番になりたかったのだ。
小さい子がかけっこで一番になりたいのと同じように、世界を舞台にした一番を、無邪気に欲していたのだ。
「でも、彼では神々を追い越せないし、殺すこともできなかった。神継ぎですらない彼では、神々に干渉することすら叶わない。そんな時、神の子が生まれたのよ。ホロウと同じ国に、ホロウがまだ若いころに」
「……テオナールさんか」
「ええ。人間の世界では飛びぬけて優秀だった彼は、若くしてその神の子の傍仕えにまでなれた」
そこまで聞いて、ノーシスは合点がいったとその瞳を瞬かせた。
「だからホロウは赤子のうちにテオナールさんを殺そうとしたわけね。手の届くところに無力な神がいたから。……まあ、只人では神を殺せないっていう世界の理が露呈しただけだったけど」
不可能であるために未遂で終わった、恐らくは実行犯のホロウと英知の神権をもったノーシスしか知らないであろう神殺しの計画。
レーヴの記憶には存在しなかった情報に少女も驚きに目を見張って、そしてふとその金茶に納得の色を浮かべた。
「そう、だから……だからホロウは神ではなくて神継ぎを殺すことにしたのね。現代の神ではなくて、次代の神を。そうして、その結果起きたのが——」
「慈愛の災厄、か……」
殺すことには成功したものの、慈愛の神継ぎによる死力を尽くした抵抗によって、世界は壊滅状態に陥った。
そしてそれは、恐らくホロウに、関係者を抹消してすべてを一からやり直すという新たな視点を与えてしまった。尤も、当時は粗方の事情を知るレーヴやミスラが生き残ってしまったのだが。
「それからホロウは、神継ぎを殺すことを目標に研究に没頭したわ。逆に、レーヴやミスラは神継ぎを守ることを第一に動き始めた。いま、千年の時を経た彼らの集大成のどちらかが、敗北を迎えるのね」
どこか他人事のようにそうまとめた少女が、しかしふと首を傾げる。
「……でも、それならどうしてホロウは神継ぎを作ることにも注力したのかしら? 神はいらないのに、どうしてわたしたちを作ったの?」
まるで、今までそうあるものだと受け入れてきたものに初めて疑念を抱いたかのような、純粋な困惑の溢れる表情だった。
それを静かに見下ろして、それからノーシスはそっと視線を逸らした。
「これはただの憶測にすぎないけど……多分、すでにいる神々を殺すための兵器にするつもりだったんじゃないかな。人間は神を殺せないけれど、神は神を殺せるから」
恐らくは、すべてに片が付いた暁には、自身が生み出した神に自決を命じるのだろう、という言葉は飲み込んだ。不確かな惨い憶測など、これ以上この少女の前でしたくはなかった。
幸い、ホロウがこの世界をリセットするために用意した最終手段を、ノーシスは知っている。それを阻止してしまえば、そして彼自身の厄介な逃げを封じてしまえば、もうホロウの思惑など掘り返さずに、果たして彼が生み出した神に何を命じようとしていたかなど、推測する必要はなくなるのである。
「……とりあえずみんなと合流しにいこうか。少し遠いけどいける?」
ノーシスが少女に呼びかけると、彼女はほんの少しだけ目を見開いて驚いたような仕草を見せた。しかしすぐに取り繕うように微笑みを浮かべ、少女は一つ頷く。
「わたし、この塔に連れてこられてから一度も外に出たことがなかったの。楽しみだわ!」
「……一度も?」
「ええ。他の兄弟にも会わせてくれないんだから意地悪よね。わたしが七番目だから、少なくとも兄姉が六人はいたはずなのに」
ノーシスを見上げることを止め、ただ遠くに視線を投げている少女の、可愛らしく膨らんだ頬だけが見えた。
しかしそれもつかの間、すぐにその場の空気を切り替えるように、少女がノーシスに美しい笑みを向ける。
「そういえば、自己紹介がお互いまだだったわね。わたしはG。記念すべき七番目の成功体よ」
あからさまな話題の転換に気が付きながらも、ノーシスはそれを指摘せずに僅かに首を傾げた。
「それは本当に、君の名前なの?」
「それ以外に呼ばれたことがないもの。……それとも、あなたが名付けてくれる?」
金茶がぶれずにノーシスを見上げ続けていた。
その完璧なまでの笑みに、ノーシスはどこか悔しさを覚えて瞳を細める。
「いいね、考えよ、君の名前」
「……え?」
途端に意表を突かれたようなあどけない表情になった少女は、じわじわとその瞳を揺らめかせて、やがて破顔した。
「本当? 嬉しい! ……ねえねえ、一つお願いしてもいい?」
少女はノーシスが頷きを返したのを見て、その輝かんばかりの笑みを深めた。
「Gから始まる名前……ううん、Gが綴りのどこかに入るようにしてほしいの。もちろん無理にとは言わないけれど!」
そっとノーシスがアイスブルーの瞳に驚きを過らせたことに何を思ったのか、少女は慌てたように首を振った。少女の薄い肩口で、ラベンダーの毛先が軽やかに揺れる。
「ほら、わたしが七番目であることは事実でしょ? それは悪い意味じゃなくて、わたしに兄姉が六人、ちゃんといたことの証明でもある。わたしたちはホロウの都合でつくられた複製品だけれど、存在していたこと自体は嘘じゃないから、だから——」
「——グレイス」
「……え?」
いっそ哀れなまでに理由を捲し立てていた少女は、ぽかりと小さく口を開けてノーシスを見上げた。
それを静かに見下ろして、ノーシスは言葉を重ねる。
「君の名前、グレイスはどう? 俺もね、同じこと思ってたんだよね」
彼女に与えられたGという記号は確かにただのアルファベットだったけれども、それと同時に、会うことの叶わない兄弟の存在を唯一感じ取ることのできた意味のある名前だったのだ。だからこそ、ノーシスはその名残を消し去りたくはなかった。
少女は小さく、そしてどこか茫然と、グレイス、と口の中でその単語を転がした。何度も何度も、少しずつ噛みしめるように彼女は口ずさみ、やがていっぱいの歓喜とともにノーシスを見上げた。
「ありがとうノーシス、自己紹介のやり直しよ! わたしはグレイス! 夢が与えた、七番目の恵み!」
嬉しそうにそう笑った少女——グレイスに、ノーシスも自然と笑みが零れた。
「それじゃ、レーヴさんの記憶が教えているだろうけど俺も。俺はノーシス、英知を司る神継ぎだね」
ノーシスは笑顔のままグレイスの手を引いて、顔だけで彼女を振り返る。
「さ、他の神継ぎにも会いに行こう」
「ええ!」
弾んだ返答とともに、グレイスは外の世界へと飛び出していった。




