100.
冷たくホログラムを見据えていたノーシスは、突然頬に鋭い痛みが走ったことで視線を落とした。たらりと血が流れる感覚がして、ノーシスはその不快感に眉を顰める。
ホログラムでも少女でもない、部屋のなかの残りの二人の人間がようやく動きを見せたのだ。ノーシスが、彼らのあまりの身じろぎのなさに気味が悪いと思っていた矢先のことだった。
「今更? 撃つなら俺が侵入してすぐ撃ちなよ」
片眉を持ち上げて放たれた挑発への返事は、超音速で迫りくる鉛の弾だった。
まるで自我などないかのように振舞う武装兵二人にノーシスはひっそりと眉をしかめる。勢いよく傍らの机を立たせて盾にし、正面から襲い来る弾丸から身を守った。
はあ、とノーシスの口からため息が漏れる。
ノーシスは戦闘が苦手なのだ。神権も戦闘向きではないし、所属している塔も戦闘関係のものではない。神継戦争終結後に生まれた、いわば最も平和ボケしている神継ぎと言っても過言ではないのである。
ホログラムの男の声が、少女にこの部屋からの脱出を促しているのが聞こえた。この部屋に、ノーシスが入ってきた扉とは別の出入り口、つまりは非常時の脱出口があることはノーシスも知っていた。
一旦ここは部屋から出て、少女が辿りつくであろう場所に先回りするのが吉かな、と考えたときだった。
「お願い! 彼と話がしたいの、攻撃を止めさせて!」
「何を馬鹿なことを、あれは侵略者だぞ」
「でもレーヴの名を知っていたわ、わたしに関わる重要人物なのでしょう?」
「ジイ!」
「誰も何も教えてくれないのなら、わたしから動かないと一生分からずじまいだわ!」
返答の代わりに鋭い舌打ちが聞こえた。
展開を窺っていると、やがて部屋の奥から新たな人間が現れ、少女を引きずってでも連れ出そうとする音が聞こえ、さらにはそれに激しく抵抗する物音と少女の声も銃弾の音の合間を縫ってノーシスの耳に届いた。
さてどうしようか、とノーシスは考える。
あちら側にとっても少女はレーヴのクローン体の数少ない成功事例であるから、手荒に扱われることはないだろう。
問題は、着々とこの場に人間が集まり始めていることである。ノーシスの攻撃手段は対象の脳内情報過多による処理落ちだが、これは対象に触れなければ発動しない。つまり、大人数に囲まれてしまうと対処が間に合わず、さらにはますます少女に近づく機会が失われてしまうのである。
今ならば、相手にするのはまだ銃で攻撃してきている武装兵二人に、少女を連れ出そうとしている護衛二人の計四人だけである。
ノーシスはほんの少しだけ躊躇って、そして周囲に視線を走らせた。
彼の視線が吸い寄せられたのは、出入り口の扉の脇に置いてあるお香の壺である。ノーシスはそろそろと、しかし素早くそれを手に取って、相手方の気配を探った。もうそろそろ、盾代わりにしている机が限界を迎えそうだった。
ノーシスは一度目を伏せてから深呼吸をする。次にそのアイスブルーを覗かせたときには、瞳の奥に覚悟の色が揺らめいていた。
彼はタイミングをよく見計らい、手の内にあるお香の壺を武装兵のほうへ勢いよく投げつける。
ほぼ軌道をつけずに直線的に放たれたそれが被弾し、粉砕され、そして粉塵が爆発的に舞った。
その突然の不測の事態に、武装兵は僅かな動揺を見せてしまった。
そしてその一瞬は、ノーシスにとっての最たる好機であった。
机の裏から迷いなく宙へと飛び上がり、武装兵の額に左右の手を伸ばし、それぞれを手のひらでそっと覆った。ノーシスの両足が彼ら二人の間に少し遅れて着地するころには、もう武装兵は脳内にあらゆる情報を無差別に詰められ、行動不能状態に陥っていた。
ノーシスは一息ついて辺りを見渡す。
もう少女の姿はなかった。どうやら力ずくで連れていかれてしまったらしい。
未だ粉塵で視界の晴れないノーシスは、しかしそこにホログラムの人間がまだいることを知っていた。故に、ノーシスは軽蔑するように問いかける。
「君さあ、クローン愛好家だったりするの?」
先程触れた二人の武装兵がクローン体であったことを、ノーシスはその手で彼らに触れたことで知った。世界中の生命すべての情報を脳内に詰め込んでしまうとノーシスでも数日は動けなくなってしまうため、虚構の外の情報は必要なもの以外はすべてシャットダウンしているのだ。
淡々と問いかけるノーシスに、ホログラムの男が薄く笑った気配がした。
「虚構の外にいたのは限られた人間のみだったからな。クローンでもいないと働き手が足りん」
「限られすぎて、もう残ってすらいないくせに」
「そうとも言う」
それだけ言うと、ホログラムはふつりと消えてしまった。途端にノーシスは興味を失ったように男の投影されていた場所からすいと視線を逸らし、「ジイ」と呼ばれていた少女の後を追って部屋の奥へと進んだ。




