■7-1.虚無に潜む女① 首狩り
俺の首を貰いに来た――と女は云った。
「お前は――土蜘蛛か」
「いかにも。人の道を踏み外したお主が、主君と奥方を斬り伏せるところを確と見ていた土蜘蛛ぞ。何じゃその顔は。折角お主の首を取らんが為、地獄から舞い戻ったのだ。もう少し嬉しそうにしてはくれんかのう」
「何故だ。お前の躰はあの時慥かに燃やした筈だ。何処でその躰を手に入れた」
「分からぬか? この躰は、お主が一番よく知っている娘から貰ったものぞ」
「……何だと?」
俺が一番知っている女。
「否、貰ったというよりは――その娘は妾の傍らで事切れていたからのう。このまま荼毘に付されるのも勿体ないから、余計な頭を千切って躰だけ頂戴したのだ。まだ分からんか。お主が手に掛けた女ぞ。抱いたこともあるだろうに」
「お前、まさか――」
嬉々として語らう土蜘蛛の、首から下が誰のものであったか分かってしまった。
土蜘蛛の近くで死んだ女など、ひとりしかいない――。
「……その躰は、馨のものか」
「名前までは知らぬ。妾が知っておるのは、この娘がお主を手酷く裏切ったことだけじゃ」
「何故だ。何故馨をそのまま死なせてやらなかった!」
「何をそんなに激しておる。お主が斬ったから妾はありがたく頂戴しただけだ」
そう怒鳴られる筋合いなどないぞ、と土蜘蛛は唇を三日月のように持ち上げる。
「どうして首だけになったお前が、馨から躰を奪うことができた」
「簡単なことよ。骨を伸ばして巻き付ければ、あとは縊るだけぞ」
このようにな――と土蜘蛛は己の頭に両手を添えると、力任せに引き抜いて天に掲げてみせる。首からは数珠繋ぎの背骨がぶら下がり、大蛇のようにうねっている。
その鎖の如し骨で、馨の首を千切ったと思うと平静ではいられなかった。
「あの娘こそ、お主に加護を与えた張本人であろう? ならば、いくら死んだとしても放っておくわけにはいかぬ。妾に刃向かった報いは、その身をもって償ってもらわねば、この気が治まらぬ」
「――成程な。よく分かった」
「ああ、そうじゃ。お主のその顔が見たかった――」
「黙れよ、化物め」
俺は何度馨を侮辱すれば気が済むのか。護符をくれた恩も返さず、殿に嫁いだことを逆恨みして――挙げ句の果てには戦に巻き込み、死して尚、躰をいいように弄ばれているのだ。
――すまない、馨。
今更詫びても遅いが、今度こそ、この化物を討ってお前の受けた恨みを雪いでやる。
もう一度、俺に力を貸してくれ――。
馨の姿形など随分前に忘れてしまった筈だったが――今この時だけは、どこまでも鮮明に思い出すことができた。しかも今度は微笑んでくれた。
それだけで、勇気と活力が湧き上がってくる。
前進して、土蜘蛛と対峙する。距離はまだ遠く、一足跳びでは届かない。
「何故、この町を燃やした」
「お主が潜んでおるかと思うたからな。こうして辺りに放火して通りに立っておれば、お主ならば無視できまい。お主の他にも大物が釣れてしまったことは意想外であったが――」
伸ばした首を体内に収めた土蜘蛛は、鳳仙と月原を見遣る。
「下僕達がうまくやってくれたようだな。今の妾でもどうにかできそうじゃ」
「あの下忍共はお前の手先だった訳か」
「下忍とは手厳しい。虱潰しにお主を捜させたのじゃ。見つけ次第、殺してその首を持って参れとな。――む? 何をそんなに怒っておる」
「お前の目的は俺ひとりの筈。此処に住む者達がお前に何をした。お前と関わりもない無辜の者達だ。それをお前は、家を焼いて、明日を奪ったのだ。これを怒らずに何を怒れというのだ! 斯様な暴虐、断じて赦す訳にはいかん」
「最初から赦されようとは思っておらぬわ。恨むのなら災いを呼び込んだ己を恨むのだな。お主がいなければ、この大火は起こりはしなかったぞ」
「戯れ言を」
「戯れ言などではないわ。自覚するのじゃ。お主は不幸を齎す疫病神ぞ。現に、お主の子分は皆斃れ、郷里に残した娘はおろか、主君とその家臣すらも殺して廻ったのを忘れたか! いつかも云ってやったことだが――お主の生涯、どこまで行っても血塗れぞ。ならばいっそのこと、ここいらで死んだ方が世の為ぞ。違うか?」
「だから、殺されてくれと云うのだな」
「分かっているじゃないか。お主も、何の意味も為さぬ己が生涯に飽いた頃じゃろうて。もう絶望を重ねなくていいと思えば、決して悪くない相談だろう」
土蜘蛛の誘いは、甘美な響きをもって俺の耳に届いたが。
「駄目だな。全くもって駄目だ」
「よく聞こえなかったぞ、妾の耳がおかしくなったのやもしれぬ」
「聞こえないなら何度だって云ってやる。俺は己の人生を――此の世の全てを肯定してやると決めたのだ。故にこの首をくれてやる訳にはいかん。仮令、不幸を振り蒔くことになろうとも、その不幸は俺が全て刈り尽くしてやる」
「何じゃ、その顔は。そんな満ち足りた顔などお主には似合わぬ。お主は、憎しみに呑まれた阿修羅だったはず」
「何を馬鹿なことを。俺は人間だ。否、とある女が俺を人間にしてくれたのだ。空虚を乗り越える術を教えてくれたのだ。その女の為にも、俺は生きねばならんのだ!」
「――そうか。ならば、もうよい。――去ね」
云い切らぬうちに、土蜘蛛の首が鞭のように伸びた。一直線に飛んでくる。
柄に手を掛け、両断しようとするが――長太刀を抜くことができなかった。
「戯け者め!」
土蜘蛛が吠えた。
頭と躰を繋ぐ骨が、俺の首に絡みつき、怪力で締め上げる。
「その太刀は妾のものぞ。抜けなくするなど造作もないことよ」
土蜘蛛が俺の頭上で嘲笑する。骨を掴み、何とか脱しようとするが手に力が入らない。
「あの娘と同じように、このまま千切ってくれるわ」
「雑魚が。調子に乗るなよ」
「――む?」
俺と土蜘蛛に割って入ったのは鳳仙であった。高い跳躍からの踵落としを放ち、土蜘蛛を弾き飛ばす。俺に巻き付いていた頸骨がばらばらに砕け散る。
着地した鳳仙は、土蜘蛛に掌をかざし――途端、虚空から鉄砲水の如し業火が現れる。九尾の妖術である。土蜘蛛を包んだ紅色の炎は、骨すら残さぬ凄まじい勢いを誇っていたが――。
「この程度ッ」
土蜘蛛の放つ邪気に、炎が一瞬で掻き消える。
短刀を構えた女の首無し屍体がいた。屍は、力を放出して硬直している鳳仙に突進する。
疾風の如し刃は鳳仙に迫るが、今度は月原がそれを阻む。
月原の剣が閃き、短刀を叩き落とした。返す刃で胴を斬り上げるが、飛び退いた屍体には当たらない。屍体は、自身の頭を拾うと首の上に乗せる。
俺達と土蜘蛛の間合いはまた離れ、膠着状態に入る。
「麟之助。あなた今、手心を加えたわね」
土蜘蛛を見据えたまま鳳仙は云った。
「聞けば、あの女性は、日影殿と浅からぬ因縁を持っているのだ。俺が手を下すのも忍びないと思ったまでだ」
「甘いわ。あの雑魚は増長しているのよ。早々に殺してやるべきよ」
「それを決めるのは日影殿だ」
月原は俺に一瞥をくれると、立てるか、と訊いた。
「助かった。感謝する」
「己の役目を果たしたまでだ。しかし、本当に抜けんのか」
「困ったことに、びくともしない」
再度妖刀を掴むが、一寸たりとも動かすことができなかった。
「参ったものだな。お主の得物は封じられ、俺も御狐様も痛手を負っている。旗色が悪い」
そこで月原は構え直す。
「鳳仙、月原。ここは俺に任せてくれ」
「その太刀はもう使えないのでしょう? どうするつもり」
「俺には、こいつがあれば十分だ」
先刻、屍が落とした短刀を拾う。あの夜、馨が俺を刺そうとしたものと同じものである。
馨から、これを使って仇を討ってくれ――と請われた気がした。
「土蜘蛛。お前の云う通り、慥かにこいつはお前から借りた物だ。返そうじゃないか」
「――ほう? 短刀ひとつで妾に敵うというか」
「御託はいい。くれてやる」
妖刀を放り投げれば、受け取った土蜘蛛は即座に抜き放つ。
「土蜘蛛よ。俺は、此の世に生を受けて以来、好き好んで挑んだことはただの一度きりだ。もう二度と自分から斬るものかと誓っていた。だが――貴様で二度目だ。今此処で討ち滅ぼしてくれる!」
「よかろう。その勝負、受けて立とう」
互いに近間まで歩み寄る。土蜘蛛は右手で長太刀の鍔元を握り、真正面を向いている。
俺も同様に自然体でいた。
暫し、睨み合い――。
次の瞬間には、土蜘蛛の剛剣を短刀で捌いていた。この機を逃さんと云わんばかりに、土蜘蛛は三度、初動も剣閃も読めぬ、舞うような斬撃を放つ。
その全てを掻い潜り、懐に飛び込めば。
土蜘蛛が、左足を半歩退ける。振り被った太刀は、諸手で握られている。
――来た。
妖刀が振るわれる。右足を軸に、力任せに振るわれた横薙ぎである。
その一撃が放たれた時には、俺は土蜘蛛の頭上に跳んでいた。
――赦せ、馨。
背後に着地すると同時に、逆手で握った短刀を頸に突き立てる。引き抜くと同時に、振り返った土蜘蛛は斬りかかろうとするが、その右手首を切り落とす。
「おのれッ!」
短く叫んだ土蜘蛛が身を退くが、距離を詰め、残った左肘から先も切り落とす。
間髪入れずに襟首を掴み、足下に引き倒す。馬乗りになり、露わになった喉を短刀で貫く。
穿っては引き抜き、穿っては引き抜き――。
土蜘蛛と馨を繋ぐ血肉を刮ぎ落とし、何本もの管を引き千切る。骨だけになったのを認めてから、頭部を鷲掴みにして強引に胴体から引き離す。
女の頭に、一尺ほどの骨がぶら下がっている。
もう土蜘蛛は何も云わない。馨の屍も動かない――。
「鳳仙。先刻の狐火は使えるか」
「狐火? 使えるには使えるけれど、もう強いものは出せないわ」
「馨を荼毘したいのだ。頼む」
「それくらいなら」
頷いた鳳仙は、掌で炎を練ると、斃れた馨へ投げた。火は、忽ち馨の屍を包み、肉と骨を舐めるように溶かしていく。
土蜘蛛の頭を炎へ放る。
「然らばだ、馨」
黙祷していれば、隣に鳳仙が寄り添ってくれるのを感じた。鳳仙は何も云いはしなかったが、その優しさと温もりが身に沁みるように思えた。




