■6-2.横槍、宿場の炎上
右手だけで妖刀土蜘蛛を掴み、左手は鯉口に添える。平生と同じ戦法である。
対峙する月原は左上段の構えをとる。
徐々に間合いが詰められ――どちらかが少しでも動けば、白刃が交うであろう処で止まった。
月原の呼吸は読めない。刀も宙に静止したままである。
月原は涼し気な顔で俺を見詰めていた。
拙い。
そう思った刹那、右手が動き、月原から繰り出された剛剣を受け止めていた。鍔に刃が当たった衝撃で手首が軋む。
立て続けに、月原の白刃が閃く。
小さく振り被った袈裟斬りは跳び退くことで避けた。
左眼を狙って放たれた諸手突きは、擦り上げて逸らした。
――今だ。
擦り上げた動きのまま、右手を残し、左手だけで太刀を振り上げる。
案の定、誘われた月原の刀は、俺の右手首に吸い付くように動くが、右手を背後に回すことで空振りさせる。
月原に片手の一撃を叩き込むが、身を沈めた月原には届かない。空を滑った俺の太刀は、手首を軸に円を描き、再度上段へ戻ろうとする。
だが、その致命的な隙を月原は逃さない。這うような姿勢から、俺の喉へ突きを放った。
体勢を崩しながらも退いて躱す。
間合いが開いた。
仕切り直しだ――と思った矢先、距離を詰めた月原が跳んでいた。
燕の如し斬撃を潜り抜け、振り向きざまの横薙ぎは鎬で打ち落とす。
間髪入れず月原が近間に持ち込もうとするが、瞳から呪術を放ち足を地に縫い付けてやる。
「小賢しい真似をっ!」
一喝と共に、術は容易く破られたが、体勢を立て直すには十分であった。
この男は、此方の弱点を見抜いている。
三尺にも届こうかというこの妖刀は、刀身の長さを活かして遠間からでも斬り込める利点はあるが、その長さが災いして、懐に潜り込まれると弱い。かといって、己の間合いで戦おうと下がっても、月原との縁は切れず却って苦しくなるばかりである。
奴が、特別優れた使い手という訳ではない。鋭く間合いを詰め、先を取り、縁を切らないだけの剣術なのだ。ただそれだけなのだが――否、それだけである故に月原は強い。
だが、それならそれでやりようはある。
妖刀土蜘蛛に両手を添え、右上段に構えた。
小手先の技では奴には敵わない。機を捉えて打ち下ろす。それだけであった。
――どちらが死のうが、これで終いだ。
月原は正眼に構えた。
次の一撃で勝負が決することをこの男も悟ったのだろう。
じりじりと間合いが消えていく。
意識が研ぎ澄まされ、音が消え去った。次いで、刹那が永劫に引き延ばされる。
どこにも流れぬこの無意味な瞬息の中、俺と月原だけが確たる存在であった。
刹那の上に刹那が、そして更にまた別の刹那が重ねられる。
幾度目かも判らぬ刹那を迎え入れた時――。
視界の隅に、忍装束の男が映った。
男は、半身を木の幹に隠したまま、手にした長弓に矢をつがえ、此方に向けて引き絞る。
矢が放たれた。
研ぎ澄まされた鏃は、凄まじい速度で月原の背に迫り――。
――避けろ、月原。
俺の集中が乱れたのを月原は見逃さなかった。繰り出された片手突きは、俺の喉を貫かんと一直線に瞬く。
駄目だ、避けられん――。
死を覚悟した俺の前に、鳳仙が立っていた。
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
庇われたと分かったのは、その場に崩れ落ちた鳳仙を認めてからであった。
「――鳳仙? おい、しっかりしろ」
鳳仙を抱き起こせば――穿たれた胸から血が溢れ出している。
いくら鳳仙が九尾の狐とは雖も、これは致命傷ではないか――。
「――龍真。御免なさい。私には座して待つなんて我慢ならなかった。でも、良かった。あなたの盾になって逝けるなら本望よ」
「馬鹿を云うな。お前は此処で死んではならぬ。おい、目を開けてくれ――」
血の混じった咳をした鳳仙は、瞑目して何も云わなくなった。
狼狽した俺を現実に引き戻したのは、傍らの地面に突き立てられた矢であった。
面を上げれば、背を向けた月原が、次々と飛来する矢を叩き落としている。その右肩には、先程放たれた矢が深々と刺さり、白い着流しには血が滲んでいる。
「日影殿! いつまで呆けておるのだ」
「月原。これは一体何事だ」
「それは此方の台詞だ。お主を狙った刺客ではないのか!」
「生憎、身に覚えがありすぎて何とも云えぬな」
その時、死角から飛来した手裏剣が月原の頸を掠める。
「日影殿。早く構えろ。俺ひとりでは守り切れん」
「云われずとも」
重くなった鳳仙の躰を横たえ立ち上がる。
周囲を見遣れば、木陰に身を隠す弓兵が三人、梢に潜む忍が二人いる。
「この窮地、如何にして切り抜ける」
上空からの苦無を捌いた月原が問うた。地に刺さった苦無を引き抜いて投げ返す。梢から圧し殺し損ねた悲鳴が上がり、ひとりの下忍が落ちてくる。
「これしき、窮地とは呼べぬ。見ていろ」
「何だと」
「者共、見よ! 日影龍真は此処にいるぞ!」
刺客達の注目を集め――眼から、あらん限りの武威を込めた呪術を発動させる。
刺客達は金縛りに遭ったが如く制止する。
「月原、今のうちだ。動けるか」
「心配無用。しかし行く当てはあるのか」
「無い。兎に角、今は走り抜けるだけだ」
「当てがないなら私の隠れ家に行くぞ。そこなら御狐様の手当はもとより、身を隠すこともできよう。場所は一条戻橋側の裏通りだ。御狐様のことは任せたぞ」
「承知した」
月原は白刃を手にしたまま山道を駆ける。俺も鳳仙を抱えて追従する。
「月原。お前の剣が鳳仙を貫いたのだ。それだけは忘れてくれるなよ」
「御狐様がいなければ、死んでいたのはお主の方だ。御狐様に感謝することだな」
「この場を切り抜けたら、次はお前だ。覚悟することだな」
月原は応えなかった。
俺達が麓の宿場町に辿り着いた時には、一面火の海と化していた。
全ての家屋が炎と煙に呑まれ、火の見櫓の半鐘が幾度も打ち鳴らされている。
家を焼かれ、茫然と宙空を見上げる母娘。親を捜して泣き喚く童。力尽きて動かなくなった老父。家財を荷車に積み上げ、必死の形相で避難を試みる商家の家人達――。
徒党を組んで走るのは町火消の男達である。藍染めの羽織を纏い、銘々が刺股や鳶口、竜吐水や青竹梯子を担いで、火勢の激しい町の中心に向かっていく。
「日影殿。これは拙い状況になったぞ」
立ち止まった月原が苦々しく零す。端正な顔には脂汗が滲み、表情は疲弊で歪んでいる。右肩の矢も抜かず、正体の分からぬ刺客達の追撃をひとりで三度も退けたのだ。
「……そのようだな」
腕の中の鳳仙は既に虫の息だった。顔面は蒼白であり、躰は小刻みに震えている。呼び掛けても譫言を返すだけであった。
月原が拙いと云ったのは、宿場が大火に包まれていることでも、鳳仙の容態が悪化したことでもない。町の中央に、強大な邪気を放つ妖怪が存在していることである。
そいつは、その邪気で俺に云わんとしているのだ。
この町を燃やしたのは己だと。
悔しければ此処までやって来るがいいと。
この因果を消し去りたくば、己を討ってみろ――と。
「日影殿。このまま立っていても埒が明かん。行こうではないか」
「折角の申し出だが――御免蒙る。大方、これは俺の招いた問題だ。故に、俺が決着をつけねばならん。鳳仙を頼む。都の医者ならこのくらいは治してくれるだろう」
「何を云っているのだ。最早、お主ひとりで背負い込める事態ではあるまい。それに、武士の真剣勝負に水を差したのだ。このまま黙ってはいられん」
「肩から矢を生やした奴が何を云っている。足手纏いだ」
「舐めるな。これくらい掠り傷だ」
月原は、右肩に刺さった矢を掴むと、強引に引き抜いてみせる。
「これならば文句はあるまいな」
「大した気迫だな。だが鳳仙のことはどうする」
「もとより街がこんな状態だ。休ませる処などありやしない。ならば、下手人を討った方が早いだろう。御狐様のことはそれからだ」
「しかし」
鳳仙がそれまで生きている保証などない、と云おうとした俺を、月原は手を挙げて制止する。
「お主は、御狐様を都に行かせたくはなかったのだろう」
「その通りだ。だが、鳳仙の命には代えられんよ」
「御狐様を救いたくば、まずはこの騒ぎを収めなくてはならぬ。分かったなら行くぞ」
「……礼は云わんぞ」
「御狐様のためだ。そんなものは要らぬ」
鳳仙が小さく呻いた。
「麟之助。あなた、いい男になったわね」
「鳳仙。無理をするな」
「無理なんてしていないわ。たかが胸を貫かれただけよ。人間と一緒にしないで」
鳳仙は俺の拘束を脱け出し、その場に立つが足取りは覚束ない。月原も諫めようとするが、鳳仙は意に介さない。
「行かせて頂戴。こんな妖気を向けられて、おちおち寝てなんかいられないわ」
「待て、鳳仙」
「何よ。寝心地の悪いあなたの腕は御免よ」
「ここからは俺の戦いだ。俺が先だ。月原、殿は任せた」
「云われずともそのつもりだ」
燃えさかる宿場町を、肩で風を切って歩く。
安普請を打ち壊して廻る町火消しも、逃げ惑う町人達も、親とはぐれた幼い兄妹も――全員が俺達に道を譲っていく。
立ち上る黒い煙に四方を囲まれ、昼間だというのに夜のように昏い。
進めば進むほどに火勢は増していき――。
大火の真只中。
一条戻橋の上に。
緋色の壺装束を纏った女が立っていた。
共もつけずに佇んでいた女が、伏せていた顔を上げる。
雪のように白い膚、生き血を舐め掬ったが如し朱の唇、艶のある豊かな黒髪。
見覚えのある――首であった。
「久しいのう、龍真よ。息災であったか」
女は云った。囁くような声で、木々の爆ぜる音に掻き消されてしまいそうであったが、何よりも明瞭に聞こえた。
「どうした。よもや、妾を忘れたわけではあるまいな」
「馬鹿な。何故、貴様が此処にいる」
「詰まらぬことを云わせるでない。お主の首を貰いに来たのだ」
そう云って、かつて俺が討った女――土蜘蛛は、袖で口許を隠しながら笑った。




