□過去 土蜘蛛と囲炉裏の前で
「龍真。お主は此度の討伐を妙だと思わなかったのか」
炭火を熾した囲炉裏を前にして、首だけになった女が、隣に座した私に問うた。
土蜘蛛の館を焼き払ってから既に三日が経とうとしているのに、女の頭は一向に萎れる様子もみせず、艶やかで腥い香気を纏っている。
「いや、思ったことなどない」
「妾は、妙だという気がしてならぬのだ」
「貴様を滅せよと勅命が下ったのだ。疑問を挟む余地はない。もとより我等は――もう私ひとりになってしまったが――人に仇なす妖怪変化を討つために存在するのだ。疑っても仕方ない」
「勅命、とな」
ますます胡散臭くなってきたのう、と訝るように女は云った。
「そうだ。我が主から告げられたのだ。故に、無理を押し切って貴様へ辿り着いた訳だ」
「――ふむ。大方察しがついたぞ。お主も哀れな男じゃのう」
「首だけの女に哀れと思われる趣味はない」
それきり、私も女も口を閉ざして、明滅を繰り返す光を眺めていた。
此処は土蜘蛛の館から南に二十里進んだ山中にある寒村である。少々の金子と、道中で狩った鹿を引き換えに、一宿一飯に預かることができた。
家主である老婆は、若い孫娘を宛がおうと周囲を頻りにうろついていたが、「一夜妻なら間に合っている」と提げていた唐衣を広げ、女を見せれば、孫娘共々腰を抜かして奥の間に引き籠もってしまった。
いつまでも口の減らない女を気味悪く思っていたのは最初だけであった。帰郷の最中、言葉を交わしているうちに、妖とはこういうものだと慣れてしまったのだ。
源頼光らが討った酒呑童子も、首を斬られても尚、頼光の兜に齧りついたという。首だけの怨霊にしても、飛頭蛮や舞首など、さして珍しくもない。
今迄、何度もそういった連中を相手取ってきたのだ。
今更、何を恐れることがあろうか。
気が付けば、私は俯いていた。疲労と睡魔に憑かれていた。
「土蜘蛛。私は寝る。寝込みを襲う者がいれば起こせ」
「そんな頼み、妾が聞いてやるわけがなかろうに」
「私が死んで困るのは貴様の方だ。首を刈られた妖など、陰陽師を呼びつけられて調服されるのが目に見えているだろう」
此処で死にたくばそれも良かろう、と云えば、おのれ口惜しや、と女は歯噛みする。
「尤も、このまま私といても、貴様を陰陽寮に引き渡すことに変わりはないがな」
「ふん。お主、妾が土蜘蛛といわれる大妖怪であることを忘れてはおらんか」
「分からんな。どういう意味だ」
土蜘蛛とは、朝廷への恭順を拒んだ士豪達への蔑称であり、国栖、八束脛とも呼ばれる存在と思っていたのだが――いや、待て。頼光も、かつて瘧を患い床に伏せっていた時、全長四尺にも渡る山蜘蛛を退治したことがなかったか――。
そこまで思索を巡らせた時、視界が歪んだ。
「――くふふ。阿修羅といえども睡魔には勝てぬようじゃな。ここでお主に死なれるのも詰まらんから今宵の見張りは妾がしてやろう。――おい、寝るでない。まだ話は終わっておらん」
「手短に云え」
「先刻の話よ。お主は、主君から妾を討つように請われたのだろう。それも勅命という尤もらしい理屈を捏ねて」
「そうがどうした」
「何故じゃ。妾は討たれるようなことをした覚えなどないぞ。そりゃまあ妾とて妖怪じゃ。人を化かしもすれば喰らいもするが――妖怪とは皆そのようなものだ。それくらいお主だって分かっていることだろう。慥かに朝廷に従う肚なぞなかったが――果たして、それだけでお主ほどの者が出張らねばならぬのか。よもや、妖怪は在るだけで悪だとでも云うつもりか」
女は、返答に詰まった俺を見ると、微かに口許を歪めた。
「そうだと云うならそれでいい。命を賭して挑まれたら、此方も命をもって応えるのが筋じゃ。だが、な。妾の城に至るまでに相当の無茶をしたのだろう? お主ら忍の軍勢はどいつも痩せて痩けて、まるで餓鬼かと思うたわ。何日も碌なものを食うておらんかったのだろう」
「云うな。仲間への侮辱は赦さんぞ」
「侮辱ではない。おかしいと云うておるのだ」
「おかしい? 何がだ」
瞼を開けて女を見下す。女も私を見ていた。どこまでも人間を憐れんだ、傲慢な妖怪らしい視線であった。
「妾を討ちたいならそれ相応の支度が要るであろう。どれ、試しに考えてみるが――腕に覚えのある兵が五十、皆伝の忍が三十、馬の世話や飯炊きに十、伝令や斥候も十は欲しい。そこに軍勢を率いるお主がいて――合わせて百と一人じゃ。当然、皆を飢えさせぬだけの飯が後ろから送られてこなければならん。それくらいお主だって重々承知しておったはずだ。違うか」
「分かっていたとも。増援を求めたのだって一度や二度じゃない。このままでは全員が犬死にすると殿に幾度となく送ったが――無駄だったよ」
「無駄、とな?」
「我が主曰く――此度の討伐は他のどの者にも勘付かれてはならぬ。秘密裡に完遂させねばならぬ。人馬を増やせばそれだけ発覚される懼れある、とのことだ」
「分からんな。何故そう秘密に拘るのだ」
そのせいでお主の子分が皆死んだじゃないか、と女は云った。
「勅令を発したやんごとなき御方は、従わぬ者は如何なる者でも潰せと云うらしいのだ。私が大勢を率いて貴様の許まで来てみろ。今度は他の賊共が、滅ぼされては堪らぬと守りを固めてしまうだろう。それでは困るのだ。尤も、我が国には大軍と呼べるだけの人間も、それを賄うだけの兵糧もないのは慥かだがな」
「やはり腑に落ちんな。帝の意思だというのなら却って威光を示すためにも、錦の御旗を掲げて、完膚無きまでに叩き潰した方が次に繋がるだろうて。こう云っては癪だが、妾を見せしめとして晒し首にでもすれば、他の妖怪連中は皆喜んで尻尾を振るだろうよ」
「そう云ってくれるな。私はもうお役御免だ。後の始末も、次の出陣も、私ではない誰かがやることだ。もう私には関係のないことだ」
「たわけ。それは、本心から云うておるのか」
女の言葉に、またも言葉に詰まってしまう。
「お主がもっと多勢を連れていれば。お主にもっと十分な補給があれば――数多の子分を喪わずに済んだだろうに」
「黙れ。云われずとも、分かっていることだ」
「妾が思うに――お主は嵌められたのではないか」
私を包んでいた心地よい微睡みも、自分ひとりが生き残った慚愧も、何処かに霧消した。意表を突かれた驚愕だけが、私の空虚な胸の内に鎮座していた。
嗚呼そうだったのか、という納得は、凶暴なる怨嗟と共に一拍子遅れてやってきた――。
「……何故、そう思う」
女は、堪えられないと云わんばかりに大笑いする。
「いい顔になったのう。お主には、人間らしい澄ました顔より、憎しみに駆られた鬼らしい顔が似合っておるぞ」
「聞こえなかったか。私は何故そう云えるかと聞いているのだ」
「そう思うのが自然だからじゃ」
女は答えた。
「お主だって、内心悟っておるから羅刹の如し顔をしておるんだろう。お主と、お主の軍勢に消えて欲しい者が裏で糸を繰っていたのだ。お主を寄越した殿様なんて怪しいとは思わぬか。まあ、此処で何を考えても仕方がないことだがのう」
お主のそんな顔を見ただけで溜飲が下るというものぞ――と土蜘蛛は嘲笑った。
再び、私と土蜘蛛の間に沈黙が訪う。
夜が明けるまで、私は一睡もできなかった。




