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■4-2.龍真という男

 着流しを纏い、太刀を佩いて小屋から出れば、少し離れたところに鳳仙はいた。

 ひとり(たたず)んで月を仰いでいる。天女の如し儚い姿であり、話し掛けるのを躊躇(ちゆうちよ)してしまう。少しばかり陳腐なことを云えば――月に帰る我が身を憂う赫映姫(かぐやひめ)のように見えたのだ。


「――どうしたの」


 望月に目を遣ったまま、鳳仙は訊いた。


「いや、何。似合っていると思ったのだ」

「……何のこと?」

「お前と月が。見惚れていた」

「止してよ。見世物じゃないわ」


 貴方もそんなことを云うのね――と、鳳仙は恨めしそうな眼差しを寄越す。


気障(きざ)だったか」

「ええ。貴方には似合わない台詞よ」


 鳳仙は向き直る。


「さあ、聞かせて頂戴。心の準備は済んでいるのでしょう?」

「そう真剣になる程のことでもない。何処にでもあるような――男と女が行き違っただけの、面白味に欠ける話だ。いや、お前からすれば、愚かしさのあまり笑い転げてしまうかもしれん」


 一時の激情に駆られ、男が女を斬殺するのが結末(おち)なのだ。どう転んだって救いようがない。


「語るのが貴方だから真剣にもなるのよ。貴方と馨さんの間に何があったの?」

「一言で云えば――馨は、俺が殺した女だ」

「それだけ?」


 それだけで貴方の為人(ひととなり)ができるとは思えないわ、と鳳仙は首を傾げる。


「そう急かすな。秋の夜は長いのだ。順を追って全てを(つまび)らかにしてやる」

「ならいいのよ」


 俺を先導するように鳳仙は歩き出す。軽快な足取りであった。


「馨とは、十にもならない童の時分より将来を誓い合った仲でな。斬り殺すその直前まで、そうなるものだと信じて疑わなかった」

「……ふうん」

「何だ。まさか()いているのか」

「その通りよ。悪い?」


 鳳仙はいじけたように答える。


「馨さんのこと、愛していたのね」

「可愛さ余って、うっかり殺してしまうぐらいにはな」

「どうしてそうなったの。経緯は?」

(ちぎ)ったまでは良かったが――祝言を挙げる前、土蜘蛛退治の命が下されたのだ。勅命でな」

「勅命?」


 そんなことあったかしら、と鳳仙は考える素振りをする。


「いつのこと? 私もあの御方も、そんなものを出した覚えなんてないわ」

「なくて当然だ。我が主は、俺を厄介払いするために勅命と偽ったのだからな」


 事が発覚すればただでは済まないのに、まったく馬鹿なことをしたものである。


「ということは貴方、出自(もと)は城勤めの武士だったの?」

「いいや。妖専門の忍だ」


 命が下れば、鬼だろうが天狗だろうが全てを打ち祓う始末屋集団の若頭目であった。


「合点がいったわ。だから、私を斬るのも躊躇(ためら)わなかったわけね」

「殺らねば此方が死ぬ。それだけのことだ」

「私も、とんでもない男に巡り逢ったものね」


 都を捨ててよかった、と感慨深そうに鳳仙は笑う。


「それで、御殿様に妖怪退治を命じられて――それからどうなったの?」

「俺達は、僅かな手勢に、満足な兵站(へいたん)も得られぬまま出立を余儀なくされた」

「まるで防人(さきもり)ね。無謀だと分かっていたなら断ることもできたのではなくて?」

「今にしてみれば、それも一つだったのかもな。だが主君の命は絶対だ。少なくとも忍という者にとってはな」

「義理堅いと云えば聞こえはいいけど――愚かしいのかもね」

「かもしれないではなく、事実愚かだったのだ」


 尤も、もう過ぎ去ったことだ。後悔しても仕方ないのは分かっている。


「俺は馨に土蜘蛛を討ちに行くと伝えた。そして、帰って来れるか分からん。何年かかるかも分からん。それでも無事に戻ることができたなら一緒になってくれ――ともな」

「御相手は何て?」

「さあ、な。殆ど覚えていないが――餞に、上等な護符を貰った」

「覚えていないの?」

「……昔のことだからな。まあ、待っている、という返事は貰った筈だ」

「でも、そうはならなかったのでしょう? 不貞か何か」


 何が可笑しいのか、鳳仙は満面の笑みを浮かべていた。


「分かるか」

「誓った相手を殺すなんてそれくらいしかないでしょう。まあ、それはまだ先の話ね。(くだん)の妖は無事に退治できたのね」

「辛うじてな。最初は二十いた輩も皆死んで、俺だけが生き残った。襤褸襤褸(ぼろぼろ)の躰を引き摺って故郷に舞い戻ったのだが――」


 土蜘蛛は、奇術を使う賊の女頭領だった。馨の姿形はおぼろげだが、あの女のことは明瞭(はつきり)と覚えていた。仲間と賊徒が幾人と折り重なって斃れている中、その女傑だけは涼しい顔をして俺を凝然と見詰めていたのだ。


 俺と土蜘蛛の一体どこに差があったのか。何故俺は死なずに済んだのか。

 それは、やはり――。


「愛していたから、だろうな。俺は馨に逢いたいが故に、地獄から帰ってきたのだ」

「でも、貴方の愛した(ひと)は」


 鳳仙は歩みを止め、再び振り向いた。俺も数歩先んじた処で立ち止まる。


「どうした」

「道すがらできる軽い話じゃないもの。面と向かって――貴方の心を見ながら聞きたいわ」

「それは構わんが、湯冷めをするぞ」

「そんな軟弱な躰をしてないのは貴方も知っているでしょうに」


 さあ早く、と鳳仙は続きを促す。退くつもりはないようであった。


「殿に首をやる前に馨の生家に立ち寄った。どうしても一目逢いたくてな。だが、親父殿から『娘は此処に居ない』と告げられたのだ。仔細を訊けば『娘は殿様にやった』と云う。挙句の果てには、もう用済みだと云われてしまった。そこで初めて殿の悪企(わるだく)みを察した訳だ。否、殿だけではない。親父殿を始めとする家人達も、俺と馨を嵌めようとしたのだ、とな。そのせいで仲間が死んだことを思えば、全てが憎くて狂いそうだった」


 いや、俺は狂っていたのだ。無意識のうちに親父殿を斬っていたのだから。何時から正気を喪っていたのかは最早分からない。


「そいつは馨さんを御殿様に売ったの?」

「その時はそう思った。そして、一刻も早く馨を救い出そうとした。だが――」


 それは心得違いだったのだ。馨は無理やり連れて行かれた訳でも、俺の死を悟り両親の甘言に乗った訳でもなかった。あの娘は自分の意思で殿の許に嫁いだのだ。


「契りを袖にされてしまったのね。さぞ悲しかったでしょう」

「仕方あるまい。人の気持ちは移ろうものだ。今なら分かるが、帰って来るかも知れない奴を待ち続けるのは、辛く寂しいことだろうよ」


 それに、だ。

 童の頃に誓ったとは雖も、馨の心が本当に俺にあったかなど分かりやしないのだ。寧ろ、幼い誓いで将来を縛ることにより、馨は人を好くという当たり前のことを知らずに育ったかもしれない。そこに、立場ある者に言い寄られでもしたら、(なび)くなと云う方が無理なのだ。生まれて初めての恋というものをしてみたくもなるだろう。


「馨さんのこと、恨んでないの?」

「今はな」


 そこで俺も鳳仙も沈黙してしまう。

 湯浴みの後だというのに寒いとは感じなかった。


「続けるぞ。俺は殿を問い質すため城に乗り込んだ。真夜中に、血塗れの鎧武者が女の首を引っ提げて来たのだ。番兵の驚き振りは大変なものだった。可哀想になるくらいにな」

「御殿様と馨さんには会えたの? そもそも入れてもらえたの」

「斬った」

「え?」

「立ちはだかった者は皆斬った。そして寝所に押し入った」


 凄まじい光景だったのでしょうね、と鳳仙は関心したように云った。


「俺が押し入った時には三人の用心棒が寝間着姿の殿を護っていた。そいつらを斬って――漸く、殿と話ができた。早速訊いた。『馨は何処だ。俺達を嵌めたのは真実(ほんとう)か』とな」

「何て答えが返ってきたの?」

「怯えて、まるで話にならなった。ならなかったが――面白いのはここからだ。殿を痛めつけている最中、馨が飛び入ってきたのだ。そして殿を庇いながら『旦那様に何をするのですか。この狼藉者』と俺に云ったのだ」

「それは――同情なんてしないけど、誰一人として救われない話ね」

「最初、我が耳を疑ったよ。まさか、助けにいった相手に詰られるなんて夢にも思ってなかったからな」

「馨さんは、貴方のこと、分からなかったの?」

「だろうな。面頬を付けていたから俺なんて鬼にしか見えなかったのだろう。もしかしたら、最後の最後に察したのかもしれんが――何か云う前に斬り捨てた」


 あの時の俺には、二人が人の皮を被った醜い化生にしか見えなかったのだ。だが、本当に気の違えた狂人(ばけもの)は俺の方だったのだから笑うに笑えない。


「昔話はこれで終いだ。主君と許嫁を殺して追われの身となった、馬鹿な男の話だ」

「分かるようで分からないわ。なぜ、馨さんまで斬ったの? 馨さんに自分の正体と目的を伝えて連れ出すこともできたでしょう」

「無論それも考えたさ。だが、そんな真似はお断りだ」

「どうして?」

「穢れきった化物と共には歩めんよ。死んでいった輩に顔向けもできん」

「――そう。今でも馨さんのこと、想ってるの?」


 目を伏せた馨が訊いた。夜の闇に溶けてしまいそうな声量であった。


「もう過去のことだ。否、こうして喋って過去にすることができた。礼を云うぞ」

「役に立てたのなら嬉しいわ」


 鳳仙はそう云うと、くるりと庵のある方へ身を翻す。


「さすがに寒くなってきたわね。戻りましょう」

「待て。まだ、聞いてない」

「え?」

「先刻湯殿で云ったことだ。どうしたら己の運命を受け容れることができる」

「今喋ってもいいけど――それこそ、歩きながら話すことじゃないわ。屋根の下、火鉢に当たりながらゆっくりと語ってあげる。それならいいでしょう」


 黙って頷けば、不貞腐れないでよ、と鳳仙は可笑しそうに笑った。


「でも、その前に」


 鳳仙はすぐ横の薮に視線を這わせる。


「折角の逢瀬を盗み見る無粋な輩を殺してあげないと、ね」


 その声が合図となったのだろう。

 木の陰や茂みから、黒衣に身を包んだ男達が飛び出した。

 数にして五人。白刃を抜いて俺と鳳仙を包囲する。


「鳳仙。つくづくお前は男に好かれる女だな」

「私のせい? 狙われているのは貴方の方じゃないの」


 軽い言葉とは裏腹に、膚に纏わりつく妖特有の殺気を滲ませながら鳳仙は云った。大方、気分を害されて憤慨しているのだろう。


 ――まあ、それは俺も同じだ。


 妖刀土蜘蛛を抜き放つ。

 俺の前には三人、鳳仙の前には二人いる。

 平生であれば多少の問答を交わすところであったが、連中も既に抜いている。面白い遣り取りができるとも思えなかった。


「ひとつ訊くわ。貴方達の狙いは私? それともこの人?」


 鳳仙が問うたが、対する男達は緘黙(かんもく)したままである。


「残念ね。言葉を寄せつけない武は、目障りな羽虫と同じよ。捻り潰してあげる」


 そう云うや否や、鳳仙の気配が動いた。立て続けに枯葉を踏む音、男の呻き、血飛沫が地を叩く音がした。当然である。居場所を悟られるような下忍では、九尾に敵う訳がない。


 俺も、働くとするか。

 背を預けた女が頑張っているのだ。此方もやらねば据わりが悪い。

 柔らかく握った太刀を下段に据えれば、三人の忍は得物を構えた。

 馨を殺した日と同じように、青白い満月が眩しい夜であった。


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