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■4-1.鳳仙という女

 鳳仙との情交が終わったのは丑三ツ刻を回る頃であった。

 鳳仙は布団に伏せている。幾度と分からない絶頂に追いやられ伸びているのだ。長い髪は乱れたままであり、時折身動(みじろ)ぎをして呻きを漏らすのは、先刻までの余韻のせいだろう。

 油を足した行灯が、鳳仙の白い項を照らしている。


 壁に背を預け、咥えた煙管に火を点けた。

 細かく刻まれた煙草の味わいが、嗜虐に染まった精神を(なだ)めてくれた。

 何度精を吐き出したことか。三度目から先は覚えていない。

 俺を抱いてやると云い、屍者(ほとけ)にまで化けた鳳仙であったが、主導権は終始俺が握っていた。

 厭だ厭だと喚いていたのは馨の姿をしていた時だけであり、すぐに大人しくなった。果てると同時に変化も解けた。一度達してからは、声を殺すことも忘れ、善がる一方であった。

 獣の如し欲望は鎮まり、何処かへ行ってしまった。

 満たされてはいたが、同時に空虚でもあった。煙では誤魔化し切れない虚しさであった。


 無性に、月を見たくなった。

 此処は淫靡な空気で満ちている。

 澄んだ風を浴びれば少しはましだろう、と腰を上げようとした時。


「どこに行くの」


 鳳仙の声がした。

 見れば、伏せたまま、顔だけを此方に向けていた。乞うような瞳である。


「外の空気を吸いに」

「私を置いて行くの?」

「すぐ戻る」

「厭よ。行かないで頂戴」


 拗ねたような声色であり、らしくないな、と思った。

 表情に出ていたのだろう。「私がこんなことを云うなんて、意外」と鳳仙が訊いた。


「まあな。お前は、そんなことを云わぬ女だった筈だが」

「自分でもそう思っていたわ。でも、いいじゃない。失望した?」

「いいや、全く」


 そこで会話が途切れる。

 火口に詰まった燃え(かす)を受け皿に落とし、煙草盆の抽斗に煙管を仕舞う。


「ねえ。もう、お終いなの?」

「まさか、まだ足りないのか」

「私をぞんざいに扱って、それで終いじゃ厭よ。今度はもっと――ゆっくり愉しみましょう? それが無理なら隣に居て。私が眠るまで」


 一言ずつ(つむ)ぐような誘い文句であった。再び躰の芯に熱気とも悪寒ともつかぬ震えが走るが。


「断る」

「薄情者ね」


 貴方みたいな人は初めてよ、と鳳仙は(なじ)る。


「貴方には罪悪感は無いの?」

「誰に対して」

「私に対して」

「あるように見えるのか」

「それなら、一度抱いた女はもう興味ない?」

「まさか。お前とならば何度だって相手になろう」

「ならおいでなさいな、ほら」


 媚びたように鳳仙は手招きする。


「遠慮する。濡れた布団に入りたくないだけだ」

「――え?」

「気付いていないのか。誰かさんが散々撒き散らすものだから、寝るに寝られんのだ」


 そう云って意地悪く笑ってやれば、鳳仙の顔にさっと羞恥の色が差す。


「それは貴方が――」

「俺のせいか?」


 鳳仙は顔を背けた。


「出ていって」

「云われなくとも。引き留めたのはお前だ」

「すぐそこで待ってて。私も支度するから、湯殿に行きましょう。それならいいでしょう?」

「承知した」




 湯に浸かる俺達の頭上には満月が輝いていた。古傷を(うず)かせる、冷たい光であった。


「誰のことを考えているの?」


 隣の鳳仙が訊いた。距離を縮め、俺の左腕に絡みつく。鳳仙を見詰めるが――馨の面影は、もうどこにもなかった。そうと分かってから口を開く。


「お前が化けた女だ」


 一瞬の間の後、やっぱり、と呟くように鳳仙は云った。


「月を見ながら(しの)んでいるのね」

「違う」

「じゃあ、後悔しているの」

「それも違う」

「それなら」


 再び鳳仙は間を置いた。見れば、鳳仙も月を仰いでいた。


「それなら、何だ」

「まだ好きなの? その女のこと」


 整った横顔に、僅かな翳りが帯びる。


「まさか。(つゆ)程に気にしていない。慥かに俺が変わった契機(きつかけ)ではあるがな」


 鳳仙はまだ何か云いたげな顔をしていた。


「そう云えば、まだお前に礼を云っていなかったな」

「……何のこと?」

「俺が殺した女を犯せる機会をくれたことだ。また会えるとは夢にも思っていなかった」

「教えて頂戴」


 唐突に鳳仙が云った。


「何についてだ」

「貴方と馨さんの関係」

「……云ってもいいが、面白い話じゃない」

「構いやしないわ。それを決めるのは私だもの」

「何故そんなことを訊く?」

「貴方を知りたくなったから。逆に訊くわ。貴方は、私を知りたいと思わないの?」


 頷く代わりに、お前からだ、と促せば、よかった、と鳳仙は安堵したように嘆息する。


「もう察しているでしょうけど、私は都にいたの。そこで、とある御方の相手を務めていた」

「とある御方と云うのは」

「名を出すことも畏れ多い、やんごとなき御人よ」


 鳳仙は笑みを崩さぬまま、驚いたでしょう、と云った。


 都にいて、名を口にするのも憚られる高貴な者――成程、そういうことらしい。

 別段、驚きもしなかった。寧ろ、九尾の収まる場所として、これ以上ない程に相応しい。


「相手というのも、ただの意味じゃないわけだ」

「当然じゃない。この国で一番の男の寵姫(ちようき)よ」

「しかし、その愛妃(あいひ)がどうしてまたこんな処にいて、追われの身となっているのだ」

「つまらなかったからよ」


 鳳仙は即答した。


「つまらない?」

「何よ、そんな顔しなくたっていいじゃない」

「何がどう退屈だったのだ」


 人の血肉を啜って影に潜むよりは、都で華やかな暮らしをしている方がいいだろう。


「貴方は何も分かっていないのね。要するに――飽いたのよ。精緻を凝らして造られた都だと、何も変わらないのよ。懸命に生きることができない。私は自分の運命を愛し、生きることに真摯でありたいの。それが、私にとって何よりも大事な誇りなの」


 そこまで云って、鳳仙は息を継いだ。


「自分の運命を愛す?」


 鸚鵡(おうむ)返しに口が動いた。


「そう。それが私の在り方。存在意義――とでも云えばいいのかしら」


 ここまで辿り着くのに随分かかってしまったけどね、と鳳仙は何でもないように頷いた。

 俺とって、その態度こそが衝撃であった。


「鳳仙。お前には、それができるのか」

「もちろんよ。何をそんなに怖い顔をしているの」

「この世には意味なんてない。あるのは退屈と苦痛ばかりだ。違うのか」

「違う――ということはないでしょうね」

「ならば、何故そんなことが云える」


 知らぬうちに、正面から鳳仙の肩を掴んでいた。


「頼む。教えてくれ」


 鳳仙は口を堅く引き結んだまま口角を持ち上げる。優越に浸った腹立たしい笑みである。


「厭よ」


 するりと鳳仙は俺の拘束から抜け出し、首許まで湯に沈む。髪は後ろで結わえているため、濡れることはない。


「貴方らしくもない。私は逃げも隠れもしないわ。そんなに焦らなくたっていいじゃない」

「俺は知りたいのだ、お前の在り方を。如何にして、そう思い至ったかを」

「駄目よ。まだ早い」


 またも拒絶した鳳仙は、その前に私達は互いのことを何も知らないでしょう、と諫める。


「物事には順序というものがあるの。まずは私の話を聞いて。貴方のことはそれからよ」

「致し方ない。聞かせてくれ」


 渋々頷けば、帝の寵愛をその身に受けていた妖怪は嬉々として語り出す。


「私は大陸で産まれたの。昔のことだからほとんど覚えていないけど――そうね。力ある狐に魅入られた凡百の田舎娘だったとだけ云っておくわ。その妖に成り立ての小娘は、時には人を化かして、時には人を喰らって、またある時には誰かを愛して、それ以上に愛されて――そうやって、永い永い退屈を紛らわせていたの。我が身はいつになったら滅びてくれるのだろう、なんてことを考えながらね。そんなある日――私の故郷に、海の果ての島国から遣いが来たの。これを逃してなるものかと、帰りの船に乗せてもらって――この日ノ本に渡ってきたのよ。そうね、もう三百年は経つのかしら」

「三百年」


 鳳仙は鷹揚に頷いた。


「ええ。気がつけば、ひとつだった尾も九つに増えてしまった」

「人には(とて)も敵わぬ永さだな」

「永ければいいってわけじゃないけどね。私は時間を持て余していたの。だから――退屈凌ぎに、この国で最も高い椅子に座ろうとしたの。どうせ獲るのなら、より良い場所を。当然ね」

「それが、帝の妃か」

「側室だったけどね。女の身で立てる一番の場所がそこだった。そのために策を弄して、この貌と躰を餌にして――沢山の骸を転がしてきた。ようやく私の言葉ひとつで――いいえ、私の笑みひとつでこの国を亡ぼせるところまで上り詰めたけど――続いたのはここまで」

「飽きた、と云ったな」

「ええ。高みに至るまでの道は慥かに愉しかった。一歩誤れば陰陽師に殺されるし、私と似た境遇の女に蹴落とされたりもする。その女の誇りを踏み(にじ)ってやるのはもっと愉しかった。あの御方と(しとね)を共にするのも、私が女の中で最も優れていると云われたようで――本当にいい気分だった。でも」


 鳳仙はそこで言葉を切った。視線を絞り、続ける。


内裏(だいり)での生活は私を満たしてはくれなかった。内なる声に従うまま権力(ちから)を求めて、贅沢を愛してみたけれど――そこでの私は生きていなかった。だから私はここにいるのよ」


 そう結んだ鳳仙は此方を一瞥すると、次は貴方の番、と云った。


「鳳仙。何故、お前は追われるようになったのだ。まさか帝を(たた)ったとは云わんだろうな」

「そんな無粋な真似はしないわよ。大方、私を惜しんだんでしょう。手放したくないがため、大勢を駆り出して連れ戻そうとしているのよ。あの人まで遣って」

「あの人と云うのは」

「麟之助よ」

「あの男とお前には何があったのだ」


 問うた途端、鳳仙は困惑を浮かべて口を(つぐ)んでしまう。


「私からは何もないわ」

「奥歯に物が挟まったような云い方だな。では、向こうには因縁があるということか」

「恨まれているわけじゃないわ。むしろ逆。麟之助は、私に愛していると云ってくれた」

「ほう。帝の女に手を出すとは、あの男も中々豪胆じゃないか」

「私もそう思うわ。それに、都から脱け出す手引きもしてくれた」

「それがどうして、今になってお前を追っているのだ」

「分からないわ。分からないけどけど――いいのよ、そんなことは。他人なんて解らなくて当然だもの。それより大事なのは麟之助が敵に回ってしまったことよ。あれは強い」


 それは見ただけで分かる、と云えば、貴方は知らないでしょう、と鳳仙は(かぶり)を振る。


彼奴(あいつ)が剣を振る姿を見たことがあるのか」

「ええ。あれは――貴方とは対極の剣よ」

「対極だと」

「貴方は、長太刀の間合いで、型に()まらない剣術とも呼べぬ剣を振るうのが得意でしょう。麟之助はそんな真似はしない。間合いをつめて斬り込むだけ。余計なものを削ぎ落とした無駄のない剣よ」

「成程。お前の云わんとすることは分かった」


 鳳仙は、俺は消極、月原は積極だと云うのだ。

 邪道か正統か。


 黒か白か――。


「鳳仙。お前はどう思う」

「どう思うって、何が」

「俺と奴が戦って、どちらが勝つ」


 鳳仙の瞳が揺れ動いた。


「……貴方、意地の悪いことを訊くのね」

「それが、答えか」

「いいえ。私は、貴方に生き残って欲しい。死んだら許さないわ」


 強い口調で云うと、鳳仙は立ち上がる。白い躰を、湯気が包み込んでいた。


「お前から、そんな台詞が出てくるとはな」

「なぜかは訊かないで頂戴。云ってもいいけど――きっと野暮にしかならないわ」


 鳳仙は背を向けて湯から出ると、脱衣小屋へ戻っていく。


「上がるのか」

「これ以上は逆上(のぼ)せてしまうもの。貴方も上がったら。話は歩きながらでもできるでしょう」


 小屋の引き戸に半身を隠すようにして鳳仙は云った。紅い頬をしていた。


「そう急かすな。道すがら全て吐いてやるさ。面白さの保証はないがな」

「貴方が云うことなら、きっとどんなことでも愉しいわ」

「先に着替えてろ」


 返事はなかった。代わりに、戸の閉まる音が聞こえた。


 ――俺も肚を決めるとするか。


 今迄、過去を誰かに打ち明けたことはただの一度もなかった。隠していた訳ではない。訊いてくる者も話す相手もいなかった。ただそれだけのことである。

 だが、この女に話せば何かが変わるのかもしれない。

 この無意味な世界に、光明が見出せるのかもしれない。

 そう思えば、心臓が一度だけ跳ねた。

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