牛久:「楽しい恋にしましょーね!」
そう。この旅には真咲を憂鬱にさせる要素が数多くあるけれど、お嬢様がご所望の“キス”も懸念点の1つだ。
「レーラはさあ、今がロマンティックなシチュエーションだと思う?」
よくよく見てみれば、この観光スポットは完全にお墓だ。どうやらあの巨大大仏はここいら一帯の墓守で、周辺はメモリアルパーク状態。これではキスどころではない。
「墓だね~……」
さすがにレーラも、今はその時ではないと悟ったようだ。
「まあ、仕方ないか」
杖とヴァーチャルモニターをスイと消してしまってから、玲蘭は真咲の手を握った。
恋人ごっこと言うのなら、確かに手くらいはつないだ方が良さそうだ。玲蘭は手のひら同士を合わせるように手をつないだから、少し指を動かす。
せっかくだから、指を絡める“恋人つなぎ”をしてやることにした。
***
牛久大仏はこのエリアのランドマーク的存在だ。墓を守る巨大像である大仏はいわゆる宗教的な建造物に該当するけど、珍しいもの見たさに訪れる観光客も多い。
受付を済ませれば、大仏の胎内を見学することもできる。
渋い観光地だろうとは予測していたけれど、思った通りなかなか味わい深い。この趣が、はたして10代の女子高生に伝わるだろうか。そう思ったけれど、玲蘭は意外と展示に興味を持ち、じっくりと見入っていた。
柔らかな光の中を進むと、何かの香の匂いが漂ってくる。さっきまでキリキリと集中して運転していた分、なんとなく心が解きほぐされてリラックスしてしまう。
胎内のエレベーターに乗ったら、かなり高い位置の展望台まで昇ることができた。今日は晴れているから、牛久周辺を遠くまで見渡す圧巻の風景を堪能できた。
この陽気ならば、今日このあと天候が崩れる心配はなさそうだ。
大仏を充分に観光したあと、庭園で少し休憩した。庭はとても広く、ごみごみと賑やかな東京とは比べ物にならないほど静かだ。
そのままノンビリと空を眺めていたら、玲蘭はふと真咲の手を取った。キスかなと思い、少し身構えてしまった。多少雰囲気がいいとはいえ、墓と大仏の前だ。まだムードは高まっていない。
そんな真咲の心配をよそに、玲蘭は無邪気に言った。
「おなかすいた」
「……お昼ご飯かあ」
青い空を見上げる。ほわほわとした雲が浮かんでいる。
「食べたいもの、ある?」
「おすすめは?」
質問をしたら質問を返された。こんなことで怯むわけにはいかない。
「普段行かないようなお店に、行ってみようか」
「いい提案ね」
「ロードサイドの、牛丼屋とか、ラーメン屋とか」
玲蘭が目を輝かせた。その瞳には、好奇心のようなウズウズした感情が浮かんでいるように思う。そういうことなら、お嬢様が普段決して食べなさそうなものを選んでみよう。
初めて訪れる街だけど、あえて適当に車を走らせることにした。こういった規模の街なら、大通りを走らせればラーメン屋の一軒もあるだろうと思ったから。
ややあって、行く先の道沿いに良さそうな店を見つけた。はるか昔からこの地にあっただろうと思わせるようなくたびれた店構え。真っ赤な暖簾。
ガラガラと音が鳴る引き戸を開けたら、温かい湿気が油の香りとともに襲いかかってきた。店内は思いのほか盛況だった。
厨房のお兄ちゃんに向かって黙って2本指を立てたら「カウンターでいいスか」と声がかかった。
なるほど、テーブル席は満席だった。頷いて玲蘭をカウンターの方へ促す。彼女は物珍しそうに周囲を眺めながら、古びたオレンジの椅子に座った。
メニューはヴァーチャルモニターではなく、ぺらぺらとした紙だった。今どき珍しいそのメニュー表を手に取りながら、玲蘭に「何味がいい?」と尋ねてみる。「何食べる?」と尋ねてもオーダーを決めにくいだろうと思ってのことだった。
「おしょーゆ……」
圧倒されつつも、オーダーを即決してくれた。
それにしても空腹だ。さっさと頼んでしまおう。
「じゃあ、私は塩にする。すいません、醤油と塩1つずつ、あー、あとギョーザ1枚」
「あたしと違うの頼むの?」
「うん。あとでひと口お味見させてね」
そう言ったら、玲蘭はなんとなく嬉しそうに微笑んだ。デートっぽい、と思ってもらえたのかもしれない。
「髪、束ねといた方がいいよ」
言いながら、バレッタで自分の髪を雑に留める。真咲の髪は肩までの長さだけど、麺を食べるなら髪をまとめておいた方がいい。
「やって」
玲蘭が少しツンとした態度で斜めに座り直した。
「シュシュでいい?」
「うん」
人の髪を束ねたことはない。少し緊張するけれど、玲蘭の髪に触れた。その髪は驚くほど柔らかかった。高級な絹織物みたいだと思った。
引っ張ってしまわないように気をつけながら手ぐしで髪をまとめ、シュシュでくるりと束ねてやる。
「できた」
「うん」
あらためて玲蘭がこっちに向き直る。我ながら、綺麗に束ねられたと思う。
さて、どうやって待ち時間の暇を潰そうか、と思ったところで、隣から小さな声が飛んできた。
「……ありがと」
「あ。いえいえ」
ツンとしたお嬢様という印象だったから、お礼を言われたことにちょっとだけ驚いた。でも、またいじめられてしまっては困るから、驚いたという態度を出さないように気をつけた。
ややあって運ばれてきたラーメンを一口食べた瞬間、どうにも幸せな気分になってしまった。学生の頃には庶民的な味わいのラーメンをしょっちゅう食べていたけれど、最近はこういうのもご無沙汰だったから。
一口分を玲蘭とシェアしたあとは、ついガツガツと平らげてしまった。
「マサキ、食べるの早すぎる」
「ゆっくりでいいよ」
ああ、これってすごくデートだ。こういう旅行も悪くないかもしれない。
隙あらばお嬢様に命令されるし、何を拒否する権利もないけれど。それでも、ワクワクと楽しい気分になってしまった。
***
茨城には、国内有数の巨大な湖がある。現在地からそれほど遠くなさそうだったから、湖の方に車を走らせることにした。
このあたりまで来ると景色は結構田舎で、森林だとか広い荒れ地だとか、そういった場所もある。天気もいいし、時間もあるから、景色のいい場所を探しつつゆっくりとドライブを続ける。
湖畔をかなり走ったところで、ロードサイドに小さな風車が見えた。
「車、停めようか」
助手席のお嬢様がぱあっと微笑む。
「うん。あたしも、車停めようよって言おうとしてた」
その表情があまりにも可愛らしくて、ガラにもなくときめいてしまいそうになった。
風車と湖をバックに、ヴァーチャルモニターで写真を撮る。今日はもう社長に写真を送付済みだから、今撮っているのは純然たるデート写真だ。
それから、湖のすぐ近くまで歩んだ。なかなか広い公園で、広々と開放感がある。
湖畔を風が吹き抜けた。サァッと水面に波が立った。先を行く玲蘭の髪が風になびいて揺れる。彼女が振り返って、キラキラと笑う。
ああ、きっと今なのだろう。そう思った。
だから、彼女に歩み寄って片手を取った。乱暴な動きにならないように気をつけながら、そっと引き寄せた。
初めての行為だからうまくできるか少し不安だったけれど、思い切って顔を近づけてみる。至近距離にいる玲蘭は、夢を見る少女の瞳をしていた。
そのまま、ごく軽く唇を合わせる。
人の唇がこんなに柔らかいなんて、知らなかった。
***
「誰もいない湖畔でキスなんて、まあまあステキじゃない?」
手をつないだまま、玲蘭が言う。その声にはうきうきとした華やぎがあった。
「そうね。やっぱりシチュエーションにはこだわるべきなのね」
「ん。結構ロマンティックだったわ。マサキの意見を取り入れてよかった」
ときに前触れなく怒られたり、愛想悪く黙られたり、変ないたずらをされたりすることもあるけれど。この可愛らしい人との恋人ごっこというのは、意外と悪くないような気がする。
「ねえ、マサキ。楽しい恋にしましょーね!」
松濤を出発するときとまったく同じ口調で、嬉しそうに玲蘭は言った。




