オンボロホテル:「ここにキスして」
「さて、と」
タイカンの助手席に体を滑らせつつ、玲蘭が低い声を出す。ヴァーチャルモニターを起動して、トントンと操作を始めた。
「どしたの?」
真咲も運転席に乗り込んで、空中のモニターを覗き込む。
「つくば」
「つくば?」
モニターに表示されているマップは、どうやら茨城県つくばエリアのものらしい。
「もともと先進都市だから、デジタルとの相性がとにかく良かったみたい。かなり広範囲にヴァーチャルデジタルエラーが及んでるんだよね。最新の情報で……4箇所」
本当だ。現在地から北西方面に、エラーの警告が点在している。
「この感じだとバグもいるだろうし、ちょっと面倒かも。とにかく、TXのつくば駅周辺に向かって」
「ん、了解」
自身のヴァーチャルモニターのナビに行き先を放り込みつつ、ふと外を見た。気付けば太陽が西側に傾きかけている。バッグからブルーグレーのフレームレスサングラスを取り出してかけたところで、玲蘭からの視線に気付く。
「ああ、西日がキツくなると運転しにくいから」
言い訳みたいに説明したけど、玲蘭はキラキラと目を輝かせた。
「かっこいい!」
そんな風にストレートな褒め言葉が来るとは思わなかったから、少しだけ怯んでしまう。
「そりゃどうも……」
小さな声でお礼を言いつつ、タイカンを起動した。
***
TXつくば駅のヴァーチャルエラーは、駅の建物を侵食するほどの大きさだった。しかも、駅の脇には超巨大なダンゴムシみたいなヤツがいる。周辺のエラーと同じようにダンゴムシも極彩色のドット模様をまとっているのだから、どうにも気持ちが悪い。
ダンゴムシのヤツが身動きもせず、眠っているみたいに大人しくしているのが唯一の救いだった。ヴァーチャルエラーがひどいエリアのバグは、動き回ることもあるからタチが悪いのだ。
玲蘭は、15分ほどかけてじっくりと巨大エラーを修復した。エラーを片付けたことであのダンゴムシもさっぱりと消え失せたから、内心ホッとした。
さらに玲蘭は、駅から少し離れた公園のエラーにも手を付け、さっさと修復を済ませてしまった。
「私、サポート役として連れてこられたはずなんだけど」
つい、不平を漏らしてしまう。はっきり言って、なんのサポートもできていない。
「運転したんだからサポートになってるでしょ。とにかく、今日はおしまい」
玲蘭は涼しい顔で鍵の錫杖を片付けている。
つくばにまだエラーがあるはずだから、今日は市内で宿泊することになるらしい。
この旅の一番の懸念はやはり宿のことだった。電子障害をやっつけつつ、寄り道もしながらの呑気な旅だから、1日でどこまで進めるか分からない。そうなると、あらかじめ宿を予約しておくこともできない。
社長令嬢を下手なホテルに泊めるわけにはいかない。どうせ支払いは社長なのだから、躊躇はいらないだろう。
「少しグレードの高いホテルがあるといいんだけど……」
「グレードぉ? 予約も取ってないのに?」
提案に対して、苦言が飛んできた。
「ねえ、あたしは高級宿取りなさいなんて命令してないわ。そのへんのホテルでいいじゃない。オンボロでも何でも」
「だけど、そういうホテルには慣れていないでしょ?」
「勝手気ままな旅をするのにイイ宿取ってどうするの? マサキって本当、分かってないんだから」
気を遣ったつもりだったけれど逆効果だったらしい。湖畔にいたときのご機嫌はどこへやら、玲蘭はまた無愛想になってしまった。
***
飛び込み客として訪れたビジネスホテルには、幸いにも空きがあった。
狭いホテルのロビーを物珍しそうにキョロキョロと眺めている玲蘭に声を掛ける。
「1名室を2室取るのと、2名室の1室、どっちがいい?」
「は?」
玲蘭は露骨にイラッとした瞳を向けてきた。
「どうして仲良く2人で旅してるのに、寝る部屋を分けなきゃいけないわけ?」
宿泊施設選びのダメ出しはまだ続くらしい。
「1人でゆっくり休みたいかなと思って」
「意味わかんない」
理由を述べたところ、一蹴されてしまった。
「マサキって本当、ズレてるんだから」
イライラとした口調。ちらりとフロント係を見たら、少し困ったような目をされてしまった。
玲蘭はフロントに歩み寄ると、案内表をジッと見てからフロント係に言う。
「ああ、ダブルもあるじゃない。ねえ、ダブルの部屋は空いてる?」
真咲がぽかんとしている間に玲蘭はさっさと部屋を決めてしまった。
(ダブル?)
それはおそらく、大きなベッドを1つ備えた部屋のことだろう。ダブルルームというと男女が泊まる部屋のイメージがあるけれど、どうやらこのホテルでは、女子同士の宿泊であればダブルルームをオーダーすることも可能らしい。
ポーターもいないホテルだけど、玲蘭はキーを受け取るとためらいなく荷物を持ち上げてエレベーターホールへと歩んだ。真咲も慌ててその後を追う。
「あの、ええと、ダブルって」
「なに緊張してるの? マサキって可愛いところがあるのね」
ちょうどやってきたエレベーターに乗り込みながら、玲蘭がいたずらっぽい声を出した。2人を乗せたエレベーターの扉が閉まった瞬間に、玲蘭はなおも言う。
「もしかして、ダブルって聞いてやらしーこと考えたんだ?」
「……いや、ええと。あの、そういうことじゃないけど」
焦りを隠そうと思ったけれどうまくいかなかった。
「え? そもそも、女同士って、同室で、何をする、ものなの……?」
「さあ? 知らない」
玲蘭はくすくすと楽しそうに笑う。
恋人同士とか、恋人ごっことか言っていたけれど。そもそも2人は、本当に何をしたらいいのだろうか?
「いいじゃん。やりたいようにやれば。お互いがイヤじゃないことなら何でも。お互いがやりたいことなら何でも」
エレベーターを降りて、5階の廊下。玲蘭は荷物を運びつつ、歌うように語る。
「何でもしたらいいのよ。妊娠しちゃうわけでもないし」
その言葉に、思いっきり動揺してしまった。
何でもって本当に、なんなんだろう。
もしかして、いや……もしかしなくても、今からこのあとは、着替えもお風呂も、就寝もずっと一緒なのではないだろうか。
ルームナンバーを確認し、キーを差し込む。玲蘭を先に通し、真咲も部屋に入った。背後で、扉がバタンと閉まる音がした。
これでいよいよ、室内に2人きりだ。
室内には、かなり大きなダブルベッド。
「そんなに広くないのね」
充分広いと思ったけれど、やはりそこはお嬢様。普段はめちゃくちゃにスペースを確保できる高級ホテルに泊まっているに違いない。
荷物を置いた玲蘭はフイと真咲の隣を通り過ぎ、バスルームに消えた。ややあって水の音。
どうやら、手を洗っているらしい。
そういうところはちゃんとしているのだなと感心した。昼間は横暴に見えたけれど、やはり育ちがいいということなのだろう。
彼女に倣うことにする。入れ違いでバスルームに入り、丁寧に手を洗って、口をすすいだ。
バスルームを出たら、玲蘭はベッドにふわりと座っていた。ただオンボロホテルのベッドに座っているだけだというのに、その姿には確かな風格があった。
「跪きなさいよ」
こちらを睨む鋭い瞳。
急展開に内心怯んだ。けれど、態度に出すのをなんとかこらえる。
玲蘭の前までおもむろに歩き、膝をついた。安いホテルの床にはカーペットが敷いてあったけれど、あまり質が良くないのかもしれない。膝が少し痛い。
それでも低くかがんだ。頭も下げることにする。きっとそれがお望みだろうから。
下げた視界に、玲蘭がグイと手を伸ばしてきた。
「ここにキスして」
甲を向けて伸ばした手を示しながら、そう命令された。
まるで服従のポーズだ。だけど拒否権はない。
玲蘭の手をそっと取った。指先がほっそりしている綺麗な手は、触れてみたら少しだけ冷たかった。
その手の甲に軽く口づける。
満足してもらえただろうか、と顔を上げかけた瞬間だった。
「っ……う……」
自分の口から勝手に喘ぎ声が漏れた。




