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常磐道:「マサキが女の人でよかった」

「それにしても、ねえ」

 とにかく、玲蘭レイラが納得したところで無理やり話題を変えることにした。

「修復業務のためとはいえ、目に入れても痛くない愛娘をこうも簡単に旅に出すなんて、社長もたいしたものだわ」

(まして、自分のような罪人にお守りを任せるなんて)と心の中で付け加える。

「まあ、あたし箱入りのお嬢様ってわけじゃないし」

「そうなんだ?」

 少し意外な言葉だと思った。社長は愛娘を大事にしている、という印象だったから。


「上のお兄様がね、アメリカを旅したの」

 その人を真咲は知っている。次期社長候補と目される彼は、現在はヴァーチャルストーム社で常務なんていう肩書きを得てキビキビ働いている。

「アメリカ?」

「そう。高校3年生のときに1人で1ヶ月もアメリカ旅行をして、すがすがしい顔で帰ってきたわ」

「へえ。たくましいのね」

 2代目のボンボンと揶揄されることもあるけれど、彼は意外と立ち回りはスマートだし、頭も切れる。それなりに実力のある人物だと真咲は評価している。


「2番目のお兄様も感化されて、自分はドイツに行くんだって言って。やっぱり高校3年生のときに旅に出たの」

 ああ、次男坊か。彼も去年入社したからよく知っている。おっとりとしたタイプだけれど、彼も仕事の出来は悪くない。


「なるほどね……それで」

 なんとなく続きが予感できた。おそらく、活発かつエネルギッシュな兄たちの影響を受けた玲蘭は、自分も高校3年生になったら旅に出ると決意したのだろう。

「だから、あたしは18になったら1人でフランスに行こうと思ったんだけど。パパ的には、女の子を1人で海外にやるのはダメなんだって」

 社長はエネルギッシュだが、単なる向こう見ずというわけでもない。

「……まあ、欧米は治安のこともあるから。それに、あっちは最近ヴァーチャルデジタルエラーも、磁気嵐も酷いし」

「うん。その心配は分からないでもないけど。でも、パリ行きたかったなあ」

 玲蘭は抜けるような青空を遠い目で眺めている。その瞳のずっとずっと先には、憧れのパリがあるのかもしれない。

「つまんないの。がっかりしちゃった。でも、ま、仕方ないんだけどね。とにかく、やっと18歳になって遠出が許可されたわけ」


 なるほど、18歳であれば行動の自由度は高くなる。親がいちいち行動に同意する必要もなくなるし、夜の外出もある程度許容される。17歳を連れ回すとなると色々な制約があるはずだから、そこは正直ありがたい。

「昨日が誕生日だから、今日から自由」

「は!?」

 サラッと言われたから、つい大声を出してしまった。

 その声に驚いたのか、玲蘭がふと運転席の方を見た。

「……先に言ってよ。おめでとうって言わずにスルーしちゃうところだったじゃない」

「あ、お祝いしてくれるんだ?」

 彼女は目を丸くしたあと、ニコッと嬉しそうにはにかんだ。


「まあ、18になったからってさすがに、パパが男との遠出を許すわけがなくて」

 妙なことを言う。

「男と旅行したかったの?」

「ううん、全然」

 とりあえず尋ねてみたけれど、あっけらかんとした答えが返ってきた。

「だから、マサキが女の人でよかった」


 その言い方が、なんとなく引っかかった。どのあたりに引っかかったのか自分でも理解できなかったけれど。

「よかったのなら、よかったわ」


 ***


 高速道路を降りてからの道順がよく分からないから、目的地までスムーズにたどり着けるのかという懸念があった。だけど、いざ来てみたらそんな心配は不要だった。

「わー、おっきー!」

 なにしろ、目的地に近づいたら急にその姿がドンと視界に立ちはだかった。あれはまさに、ランドマークと呼ぶにふさわしい。あの場所を目指せばいいのだから、迷うはずもない。


 やがてタイカンは、その観光地の駐車場にスルリと爽快に滑り込んだ。


「あ、そうだ。ツーショ撮ろ?」

 拝観料を払って境内に入ったところで、玲蘭がふと言った。

「ああ、確かに。せっかくの旅だもん。写真はたくさん撮っといてほしいわ。あとで共有しましょ」

「そーじゃなくて、パパに送らなきゃ」

「……そうだった」

 社長の顔が脳裏によぎり、ちょっとだけ気分が沈んだ。


 1日1回、写真を送る。

 それがこの旅行における約束事の1つだった。


 社長は愛娘を旅に出すことについて、過剰な心配などしなかった。その代わり、真咲と玲蘭に1つずつ条件を提示した。

『レーラは、1日に……そうだな、一度でいい。どこかで写真を撮って私に送ってきなさい。レーラと、月ノ井君のどちらか、あるいは2人ともが入っている写真が望ましい』

 首を傾げた玲蘭に対し、彼は愛情に満ちた笑顔を向けた。

『パパはレーラを心配していないわけじゃないのだから、元気だよというお知らせをして欲しいんだ』


 それから真顔になり、真咲の方を見る。

『月ノ井君は、レーラをサポートし、あらゆるリスクやトラブルから守ること。約束してほしいのはそれだけだ』

 真咲を断罪することもなく、彼はそれだけを言った。

 そして、条件と引き換えに渡されたのが、推定価格8桁の外車と真っ黒なクレジットカードだった。


「きっと、近くまで寄っちゃうとあの大仏、枠内に収まらないわね」

 なにしろ、ここから眺めてもやたらデカい。100メートル以上あると聞いているが、とにかく圧巻だった。

「じゃ、このあたりで撮ろーよ」

 玲蘭が真咲に寄りかかるようにしてヴァーチャルモニターを起動した。ツーショと言っていたはずだから、きっと彼女の隣に真咲も写り込まなければならないのだろう。


 今から撮る写真は社長に送付される。そう考えたらどうにも気が重くなった。

 社長はどうして罪人たる真咲にこの役目を与えたのか。将来どんな処遇を受けるのか。そういったことが曖昧である以上、どんな顔をして写真に撮られたらいいのかは判断できなかったけれど。

「マサキ、もっと笑って!」

 とりあえず、玲蘭が掲げたヴァーチャルモニターに、不自然でない程度の微笑を向けた。


 玲蘭は観光地へと歩みながらモニターを操作している。きっと、最初の写真を社長に送ったのだろう。

「わー!近くまで来たら本当におっきー」

 憂鬱な気分の真咲に構うことなく、玲蘭は特大の大仏にヴァーチャルモニターを向け、撮影している。


 駐車場からの観光ルートを歩いていたら、唐突にその異変は出現した。

「あった、あった」

 玲蘭は軽い口調でヴァーチャルデジタルエラーをチェックする。

「大仏の南側の広域。データの通りね。100メートルくらいにわたってエラーが出てるから、ちょっと時間かかるかも。マサキはそのへんのベンチにでも座ってて」

「ん。サポートすることがあったら声かけて」

「ないよ」

 一応気を遣ったけれど、すげない返事が飛んできた。


 観光地の南側が、見渡す限り破損している。手前側は、朝見たエラーと同じようなカラフルなドットで占められている。エラーの奥側は真っ黒だけど、ときどき緑色の「0」と「1」が表示される。おかしなエラーだと思った。


 玲蘭は朝と同じように、やたら長いステッキを宙から取り出す。それをエラーに向かってダンと強く突き立て、詠唱を始めた。

「अराजक आभासी जगत् अन्तर्धानं भवतु।」

 ヴァーチャルエラー修復士の詠唱はなんらかの言語をもとに構成されていると聞く。真咲は英語ならある程度しゃべれるけれど、この詠唱はうまく聞き取れない。

 巨大なエラーは玲蘭の詠唱にあらがうみたいにグニャリグニャリとのたうち回る。その動きが起こした風が、真咲の方にまで吹いてくる。あのエラーは凄まじいパワーを秘めているのかもしれない。

 それでも玲蘭はまどったりしない。荒れ狂うエラーをねじ伏せるみたいに、凛と立って詠唱を続けている。

 しばらくすると、雪が溶けて水になり消え失せるみたいに、エラーはどんどん縮小していき、やがて消失してしまった。


 長い錫杖をくるりと回すようにして、玲蘭は最後の言葉を唱えた。

 あとには、何もなかったかのような静かな庭園だけが残った。


 振り向いた玲蘭が世間話のように言う。

「ねえ、キスまだ?」

「……」

 大仕事を終えたとは思えない、平然とした表情だった。

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