タイカンの車内:「彼氏いないの?」
「ねえ、レーラはロマンティックがお好みなんでしょ? それなら、ムードを大事にしましょうよ」
とりあえず、この訳の分からない状況を保留にするための苦しい言い逃れを試すことにした。
「はぁ?」
案の定玲蘭は不満そうな声を発した。だけどできれば、玲蘭の提案を咀嚼する時間がほしい。一旦先延ばしにすれば、何か考えも浮かぶかもしれない。
「そうね……今日以降はあちこちに行くじゃない?それで、いいムードだなとか、景色が良くてロマンティックだなとか思った瞬間に、ね」
ね、の先はあえて言わなかった。なんだか気恥ずかしかったから。
自分でも何を提案しているのかよく分からなかったけれど、玲蘭は納得したらしい。
「ふぅん。……わかった。じゃあ、あとでだったらいいってこと?」
その声にはワクワクとした響きが伴っていた。そうやって言葉にされると、妙にドキドキするなと思った。
真っ赤なポルシェはハイウェイを悠々と駆ける。
風のように過ぎゆく景色を眺めながら、玲蘭にバレないようにため息をついた。
どうして自分は都内から離れるような方向に車を走らせているのだろう。本当なら、今日も朝から晩まで秘書業務に駆けずり回るはずだった。
ほかの秘書に丸投げせざるを得なかった仕事のことを思う。あのアポイントメントが自分以外の秘書に務まるだろうか。ああ、あの商社との折衝も進めなきゃならなかったのに。
仕事のことをひとたび思ったら、あとは思考が止まらない。自分はワーカホリックなのだろう。もう、それらの仕事のことを考えても仕方がないというのに。
「駆け落ちみたいでワクワクするわね」
「駆け落ち!?」
思考をブチ破るような発言が飛んできたから、思わず大声が出てしまった。
「ま、悪いことなんて何にもしてないんだから、逃亡劇ってほどでもないか」
お嬢様はミルクティーをひと口飲んだあと、おもしろがるような声で言う。
「あ。マサキはしたんだった」
お嬢様の遠慮ない物言いにザックリと心を抉られた。
返す言葉もなく黙り込む。玲蘭も、それ以上何も言わなかった。
***
――呼び出しを受けた昨日のこと。
社長室へと歩む足取りは重かった。
損害賠償を言い渡される可能性は低くない。最悪の場合、詐欺罪に問われるかもしれない。
ああ、軽い制裁でどうにか済ませてもらえないだろうか。
世間を騒がす物騒な罪を犯したわけではないけれど、自分のしたことは罪には違いないだろう。
経歴詐称。
それが真咲の罪状だ。
ヴァーチャルストーム社のデータベースにある「女性社員A」像はこうだ。
都内の有名私立K高等学校から推薦でT大学経済学部ヘ。卒業後には一流外資企業F社で秘書業務を2年間経験ののち、ヴァーチャルストーム社に転職。
それが真咲の人物像。
なんて輝かしい経歴。
嘘っぱちの経歴。
本当は過疎地域の底辺高校出身だ。田舎で高校受験に失敗したのだ。
それでも猛勉強をしてM大という都内の二流私大に辛うじて合格した。極貧だったから大学在学中はアルバイト三昧、成績は振るわなかった。辛くも卒業後、とあるブラック企業で2年間、ボロ布のように使い古された。
こんな人生でいいの?と一念発起してヴァーチャルストーム社に転職。
これが真咲の本当の経歴。
真実を伝えたら、すぐに不採用になっただろう。なにしろヴァーチャルストーム社は一流も一流。たいしたキャリアもない女を相手にするわけがない。
だから真咲は嘘で自分を飾った。ゴテゴテに飾り立てた。
その結果として、真咲は世界に名を轟かせる一流企業に滑り込んだ。そして、一介の受付嬢から社長秘書にまで昇格したのだ。
しかし、自分が築き上げたものはしょせん砂上の楼閣。
いつか崩れることは分かっていた。
分かっていたけれど……。
***
「……なんで私だったの?」
尋ねていいものかと迷ったけれど、どのみち2人の旅は始まったばかりで先は長い。変に距離を取るよりも、ある程度腹の内をさらけ出すのが良策と考えた。
現状、真咲が一番気になっているのはそれだった。どうして自分はこんな展開に巻き込まれているのだろう。なぜこのお嬢様に選ばれてしまったのだろうか。それがイマイチ見えてこない。
「興味があったから」
即答だった。
「興味……」
よく分からない返答だと思った。少なくとも、真咲の疑問はまったく解決していない。
興味があった、その言葉が冗談ではないのならば。真咲には、そのきっかけに心当たりがある。
「パーティーで、ちょっと、話をしたとき?」
そんな言い方で、玲蘭の考えを探ってみることにした。
真咲と玲蘭には、一応面識がある。この旅行を提案された昨日が初めての対面というわけではない。
パーティーのような社交の場に、社長は息子や娘をよく出席させる。真咲は、秘書として出席したとあるパーティーで、社長から玲蘭を紹介された。
「あのパーティーね。大人が集まってビジネスの話をするようなタイプのパーティーに小娘が混ざったところで、おもしろいわけがなくない?」
言われて、真咲はあの日の玲蘭の態度を思い出した。
「そうだった。レーラはすっごくつまんなそうで」
ベビーピンクのドレスを着せられた玲蘭は妖精みたいに可愛らしかった。だけど、いかにも壁の花といった具合に、壁際でむくれていた。
「……覚えてたんだ」
「うん」
ツンとしたお嬢様だな、というのが第一印象だった。とっつきにくい感じがした。
ややあって、社長がとある商社のお偉方と長話を始めた。社長は会話をしながら場をぐるっと見渡し、「君はレーラと話でもしていてくれ」と言った。
そこで初めて、手持ち無沙汰といった態度でいる玲蘭に気がついた。
そのときに、どんな話をしたのだったか……とりとめもない話をしたような気がするけれど。
玲蘭に対するコンプレックスが無いと言えば嘘になる。
自分はド田舎の貧乏家庭の育ち、底辺高校出身の苦学生。一方助手席のお嬢様は、小さな頃から全てを与えられて蝶よ花よと育てられてきたに違いない。なにしろ、あの豪華なパーティーに出席できるほどの身分だ。
はっきり言って、2人の人生はあまりにも違う。本来であれば、隣り合うべきですらない。
そういう2人を乗せた車が一心に東北を目指している。この状況は一体なんなんだろう。
タイカンはハイウェイを一気に駆け抜け茨城へと入る。
しばらくぼんやりしていた玲蘭が、ふと話しかけてきた。
「マサキって」
ほとんど話をしたことがない相手とのドライブ。気まずいというほどでもないけれど、何を話したらいいかと悩んで結局黙っていたところだ。
話しかけてくれるのは正直ありがたいと思い、「うん」と気軽に返事をした。
ところが。
「彼氏いないの?」
どうにも好ましくない話題を振られてしまった。
「今はいない、けど」
できれば深入りしてほしくないな、と思いながら答える。
「今は、ってことはさ、前にはいたってこと?」
しかし警戒も虚しく、玲蘭は思いっきり深入りしてきた。
「いや、あの、ええと、まあ……うん」
困った。どう返答したものやら。
「いたんだ?」
「いや……あのね。まあ、そんな話はいいじゃない」
できればこの話題はこれ以上広げてほしくない。何か別の話でもしてごまかすしかないか。
「だってさあ、聞き忘れてたなーって思って。彼氏がいる人に恋人ごっこお願いするわけにもいかないでしょ?」
玲蘭がそんなことを言ったから、少しホッとした。
「ああ、そういうことなら今はフリーよ、フリー」
嘘は言っていない。
「今は」
「そ、今は」
念を押してきたから、念を押し返した。
今も何もない。
真咲はずっとフリーだ。要するに、彼氏なんていたことがないのだ。
26歳にもなって、社長秘書を名乗って極上のイイ女ぶって過ごしてきたのに『彼氏いない歴=年齢』なんて、なんとなく言い出しにくい気がする。




