恋人同士:「キスに決まってんじゃん」
首都高を時速80km以上で走るのは緊張する。
前職ではお使いやら営業やらと車移動の機会が多かったから、そこまで運転に不慣れというわけではない。とはいえ、運転歴が長いということもないし、高速道路をガンガン走るような経験も少ない。
まして、外車を運転するのは初めてだ。そして、助手席には社長令嬢。
はっきり言って重責すぎる。この旅を命じられたとき、足がすくんだのは事実だ。
しかし、もう首都高に乗ってしまったのだから後戻りはできない。
どうあっても、アクセルを踏んだのは自分自身なのだ。
心の中で(レーラ、レーラ)と練習してから口を開く。
「レーラは」
「この車って音楽とか聴けないの?」
見事に遮られた。
「……さあ? Bluetoothスピーカーとか、繋げるんじゃない?」
「ふぅん」
つまらなそうな返事。そのまま玲蘭は窓の方に顔を向けた。別に、Bluetoothスピーカーを試してみようと思ったわけでもないらしい。
玲蘭が無言になったから、ふと思ったことを聞いてみた。
「今の若い子って、何聴くの?」
「若い子って。自分が若くないみたいな言い方」
そうは言っても自分は8つ上だ。ジェネレーションギャップは避けられないだろう。
「いくつ?」
いくつ、の意味を一瞬考えた。年齢を聞かれたのだと理解した。
「26」
「若いじゃん」
「ジェーケーの若さには到底勝てないわよ」
ふ、と軽く鼻を鳴らす音が聞こえた。そのまま玲蘭は黙り込んだ。どうやら「何聴くの?」の質問に答えてもらえるわけではないらしい。
「ま、気が向いたらオーディオをいじったっていいし」
ポルシェのタイカンは風のように爽快に走る。
「会話にならいくらでも付き合うし、景色見ててくれてもいいし、ヴァーチャルモニター見てると酔うかもしれないから気をつけて。あと、先が長くて疲れるだろうから、寝ててもいいし」
「うん」
人の話を聞いているのか聞いていないのか、よく分からない返事が飛んできた。
車の外には大都会東京のビル群。日本の首都たる東京には、摩天楼と呼ぶにふさわしい高層ビルが鬱蒼と建ち並んでいる。もはや壮観だ。
(ああ、あのビルは……)
ひときわ大きく堅牢なビルが見えたから、つい遠い目をしてしまった。
本当なら、今夜はあのビルで行われるコンベンションに同行するはずだったのに。
社長室に呼び出されてこの特殊司令を命じられた直後、コンベンションをはじめとしたあらゆる業務をほかの秘書たちに大急ぎで引き継いだ。ほかの秘書たちよりも、自分の方がずっと仕事ができるという自負があったから、悔しくて仕方なかった。
何があったのかと興味津々な顔をしている同僚をやんわりと躱すのにも骨が折れた。中には、面と向かって事情を聞いてくる秘書もいたけれど、答えなかった。
「すぐに、次の仕事の打ち合わせに行かなきゃならなくて」
断じて嘘は言っていない。ただし、次の仕事というのはお嬢様を助手席に乗せて北を目指すという、おおよそ社長秘書業務とは関係のないものだけど。
一生懸命ごまかしたものの、同僚たちにはどうせそのうちバレるに違いない。いずれにしても、社長秘書の仕事に戻れることはもうないのだろう。
それならば、バレてしまってももう良かったのかもしれない。
︎︎真咲が昨日まで身にまとっていたのは麗しいタイトスカートのスーツにヒール靴。今日はポロシャツとカプリパンツに運転しやすいスニーカー。スタイルすらガラリと変わってしまった。
「それにしても、マサキは大変ね」
玲蘭は窓の外を眺めながら、世間話みたいな口調で言った。
「え?」
「あたしがああしたい、こうしたいとかってワガママ言い出したら、マサキは全部聞かなきゃならないんだもん」
これに関しては、玲蘭の言う通りだ。
「まあ、そうね」
この旅において、真咲に拒否権など微塵もない。それは厳然たる事実。
運転席と助手席に並んで座る2人は、実はまったく対等ではないのだ。
8つも下の女子高生の言いなりになるのは癪だ。しかし、変に反抗的な態度を取って反感を買うわけにもいかない。なにしろ真咲は罪人で、真咲の人生は崖っぷちで、そしてその命運はこの気まぐれ小悪魔お嬢様にガッチリと握られているのだから。
かといって、下手に出すぎると要求がエスカレートするかもしれない。ここは匙加減が重要だろうと真咲は判断した。
「まあ、お手柔らかに、ってところ……かな」
ふわりと濁しておけば、お嬢様も滅多なことは言わないだろう。
ところが。
そんな真咲の懸念を知ってか知らずか、玲蘭はとんでもない言葉を放った。
「じゃあ早速命令ね。あたしとマサキは今から恋人同士になるの」
***
「はい?」
耳を疑った。
「はい? って何? つまんない返事」
今日何度目かのダメ出し。
大変なことを言われた気がする。運転に集中しつつも、脳を高速で回転させた。
「恋人」
「そう、恋人」
「誰が、誰の?」
自分が何を言われたのかよく分からないけれど、何か妙な気がする。念のために確認してみよう。
「あなた有能な秘書やってんでしょ?一回で理解しなさいよ。あたしとマサキが恋人同士」
「なんで? ……や、ええと」
聞き返す態度が反抗的と取られてしまっては困る。慌てて取り繕った。
「だって、マサキはあたしの言うこと、全部聞いてくれるんでしょ?」
玲蘭の声はどこかキラキラとしている。
「まあ、そうだけど……」
これに関しては、いつだって返事は同じ。真咲はどんなことを言われてもノーと答えることができない。はい、イエス、承知しました、かしこまりました。これが真咲に認められた返事のすべて。
社長秘書をやっていた日々も、お嬢様のお守りに徹する今日からの日々も、そこはまったく変わらないのだ。
「だから、あたしからの要求。この旅は恋人同士の旅」
「えーと……。あ」
動揺していたせいで、ジャンクションの分岐を間違えそうになってしまった。慌てて車線変更のウインカーを出し、焦りがバレないよう気をつけながらそっとハンドルを動かした。
道を間違えずに済んだことに内心で胸を撫で下ろす。
「ま、恋人ごっこでいいのよ」
「恋人ごっこ……」
カーブにそって赤い車を丁寧に滑らせつつ、相槌を打つ。
「思ったよりドン引きされちゃった。でも、拒否権はないでしょ?」
「や、ドン引きはしてない、けど」
引いているというよりは、理解が追いつかないといったところなのだけど。
さて、この突拍子もない提案をどうしようか。そう思案しかけたところに、追撃が飛んできた。
「そういうわけだから、恋人同士がすることをしましょ」
「な……それって、何」
思いっきり警戒しつつ尋ねてみる。
「聞くんだからマサキって無粋なのよ」
玲蘭の形の良い唇が、思わぬ言葉を紡ぎ出した。
「キスに決まってんじゃん。ねえ」
心臓がバクンと跳ねた。
ビリビリと体に電流が走るような、なんとも言えないむず痒い感じがする。
「運転中は勘弁して……」
かろうじて言葉を発する。
「えー」
「……えーじゃないのよ。この速度で車飛ばしてんのよ、キスなんかした瞬間に事故起こして、2人とも天国行きよ」
「ラブラブのまま死ぬなんてロマンティックじゃない」
わけの分からないことを次々に言う娘だ。クラクラしてきた。とにかく運転にだけは影響を及ぼすまいと、ハンドルをギュッと握り直した。
「あのねえ、私にはね、死んでもレーラを守るって責務があるの。何が起きても最終的に、あなただけは無事にご自宅に送り届けなきゃならない」
「わあ、王子様みたいでステキ」
手を組み合わせて頬の横に置き、演技ったらしく玲蘭がつぶやく。
「じゃあ、信号待ちで止まったらキスして」
「高速道路に信号はないわ」
玲蘭は「はぁ」とため息をついてみせる。
「色んなことしてみたかったのに。高速を降りるまで待つしかないのね」
このお嬢様のことがよく分からない。急にキスをせがまれて、うやむやにしたらガッカリされてしまった。
どうしたものか、と少し考えた。しかし、何をどう考えても結論は同じだ。玲蘭が何か提案したのなら、真咲にそれを拒否する道はない。玲蘭が恋人と言えば恋人、キスと言えばキス。そういう道しかないのだ。




