ロリポップ:「ねえ。口開けなさい」
「それで、このあとどこ行ったらいいの?」
開き直って、玲蘭に問いかけてみた。
「北」
「それは分かってます……分かってるわ」
ああ、慣れない。もっともっと開き直りが必要だ。
玲蘭の要求は初めから同じだった。よく分からないけれど、北に行けとしか言われていない。
︎︎玲蘭は手のひらを目の高さに掲げ、右から左にスイと動かしてヴァーチャルデジタルモニターを出現させた。指をトントンと動かしているからチラリと覗き見てみた。
どうやら、やっつけたヴァーチャルエラーに関するレポートを作成しているようだ。それは大変な作業ではないらしい、ほんの30秒ほどで、彼女は送信ボタンを押した。
「北……か」
とりあえず首都高だろうか。いや……。
「常磐自動車道、だったっけ」
どこかで得た薄い記憶。都内から北を目指すルートはそんな感じだった気がする。しかし、正直さっぱり分からない。
困り果てているのが透けて見えてしまったらしい。玲蘭は起動したままのヴァーチャルモニターを操作し、いくつかの地名を表示する。
「そうね……龍ケ崎……いや、うしく」
「牛久? ってあの大仏のところ?」
フフッ、と鼻で笑われた。
「そう言われたらなんだかシブいわね」
言いながら、玲蘭は空中のモニターをトン、トンと指で操作する。
「まさにその大仏の周辺に、かなり大きな電子障害が発生している。今日中にこのエリアを直したいの」
「東京都内にもヴァーチャルエラーの区域は多いみたいだけど……」
「都内は別のヴァーチャルエラー修復士が担当するから。あたしは北」
「分かった」
ヴァーチャルエラー修復を担える人材は希少だ。その多くが東京都下にいるから、地方エリアのヴァーチャルエラー修復はどうしても後回しになってしまう。玲蘭はそういう現状を鑑みて、北エリアの修復に名乗りを上げたらしい。
「ところで」
せっかく車を停めたからと、道沿いのコンビニを指さした。
「ハイウェイは多分パーキングが少ないから、一気に抜けなきゃいけない。飲み物とか、食べたいものとかあったら先に……」
「んー」
玲蘭は少し考えたあと、黙って車を降りた。
バン、とドアが荒々しく閉じられたあと、1人になった。
「ええと。う、し……」
その隙にハンドルの前に手をかざす。空間に現れたヴァーチャルモニターに文字を放り込む。
ややあって、ルートが表示された。
「首都高から常磐自動車道……」
ルートをチェックしながら頭に叩き込む。
そうしてから、ヴァーチャルモニターの別ウインドウに国内地図を投影した。ひと思いにズームアウトしてから、一番北のポイントをトントンと示してやる。ウィンドウのリストから『ここへのルート』を選ぶ。
モニターの表面に、検索中を示す円がぐーるぐると回り始めた。どうやら、あまりの遠さにモニターの方も困っているらしい。
それでも、とにかく北へ向かえという司令が出ている以上、北の最果てがどれくらい遠いのかを把握しておきたい。
しばらく待たされたあと表示された所要時間に、息を呑んだ。
「1,500km、約22時間ね……ん、途中フェリー使用だって」
休憩無しで車を走らせたとしても、最果てまで行くには丸一日かかる、ということか。とんでもない旅程だ。
もちろん、まっすぐに最果てへ向かうわけにはいかない。そうなってくると、この旅はかなり長丁場になるのだろう。
そうこうしているうちに、玲蘭が戻ってきた。
「あ、ごめん。支払い……」
うっかりしていた。買い物の支払いは、サポート係であるところの真咲がやるべきだった。
「パパからカードもらってるから」
しかしどうやら、社長は玲蘭にも支払い用のカードを持たせたらしい。どのみちすべての費用は社長がもつのだから、真咲と玲蘭のどちらが支払っても同じことだろう。
「あげる」
「へ?」
助手席に乗り込んだ玲蘭が小さな黒い缶を差し出してきたから、気の抜けた返事をしてしまった。
ブラックコーヒーだった。
「飲めるでしょ?」
「はい。あ、うん」
正直言ってありがたい。なにしろ真咲はカフェインジャンキーと言ってしまってもいいほどのコーヒー好きなのである。それも、頑としてブラック派だ。
よもや、真咲の好みが分かったのではないだろうけど、欲しいものをちょうど差し入れてもらえたのは嬉しい。
「ありがとうございます」
「敬語ダルい」
ああ、油断したらまた間違えた。フイとそっぽを向かれてしまった。
「……ごめん。ありがと」
慌てて言い直す。
「マサキってごめんばっかりでおもしろくない」
「……はぁい」
ついに怒られてしまった。
「ねえ。口開けなさい」
コーヒーを開けようとした瞬間に飛んできたのは、妙な司令。
「どうして?」
「質問は認めない」
つい聞き返してしまったから、また怒られた。きっと、従順さが足りないのだろう。ドリンクホルダーに未開封の缶コーヒーをひょいと放り込みながら、黙って口を開けた。
「舌出して」
なんで、と尋ねるわけにはいかなかった。質問をすればまた叱られる。それ以前に、口を開けっ放しにしているからもうしゃべれない。仕方なく、舌をおずおずと突き出した。
「……う」
玲蘭がこっちに体を近づけてきた瞬間、舌の上に変な物体が当たった。至近距離に玲蘭の指が見える。その指先に、白い棒みたいなものも見えた。
「ん」
「口閉じていいよ。さて、これは何でしょう」
状況から察するに、ロリポップを口に突っ込まれたのだろう。しかし、口を閉じろと言われたのに答えていいのだろうか。
「……はい時間切れ。お仕置きね」
「ん、ぅ?」
玲蘭はロリポップを突っ込んだ棒をぐりぐりと動かす。真咲の口の中で飴が勝手に暴れる。
「ん……ふ……」
思わず息が漏れてしまう。苦しいというほどではないけれど。
口腔内に、甘ったるい唾液がだらだらと溜まっていくから、慌ててゴクリと飲み込んだ。
「第2問。何味でしょう」
口を開ければ怒られるし、答えなければまたお仕置きなのだろう。どちらでも同じなら玲蘭が望みそうな方を選ぼうと思い、飴を舐めながら声を発した。
「みかん……」
「ハズレ。ブラッドオレンジでした」
「アタリじゃない」
思わず反論した瞬間、玲蘭は真咲の口からサッとロリポップを引っ張り出す。口腔に、べたべたした甘さの余韻だけが残った。
「なあに? 反論?」
言いながら玲蘭は、べたべたの飴をためらいもなく自身の口に放り込む。
「……?」
理解が追いつかなかった。
社長令嬢がどうして、人に食べさせた飴なんかを口に入れるのだろう。
「ん、もう出発していいよ」
なんだか分からないけれど、気が済んだらしい。
モタモタしていてまた変ないたずらをされては困る。唇をぺろりと舐めながらコーヒーを開封し、口に流し込んだ。口腔の甘ったるさが緩和された気がする。
「ブラッドオレンジは、みかんだと思うけど……」
やめておけばいいのに、つい言ってしまった。玲蘭は、口にロリポップの棒を突っ込んだままこっちを向いた。
「マサキってホント、生意気。そんなにお仕置きがよかったんだ?」
妙な言い方をされたから、なんとなくハラハラしてしまった。かといって、そんな言葉を肯定することも、否定することもできないし、ごめんと言えば怒られるに違いない。
「もう1回、お口開ける?」
「や、先を急ごうよ……」
「まあ、いいけど」
苦し紛れに言ったけど、玲蘭が意外と素直に従ってくれたから助かった。
気を取り直して、目的地に向かうことにしよう。
旅費の初期費用は社長持ちだし、ETCカードも突っ込んでもらっている。玲蘭がエラーを駆除するたびに報酬も入るらしいから費用面の心配は全くいらない。真咲はとにかく、彼女の求めに応じて運転するだけだ。
さっそくポルシェのタイカンを起動し、ヴァーチャルエラーから脱したばかりの富ヶ谷インターに踏み込んだ。




