松濤:「敬語やめて。ダルい」
「……なんか困ったら、言ってください」
助手席に向かって一応声をかけておくことにする。彼女に困ったことがないのなら、構わず放っておこうと思っていた。
だけど助手席からは、さっそくご意見が飛んできた。
「じゃあさっそくだけど、そんなノリで何日も旅をするの?」
どうも、初手からダメ出しを食らってしまったらしい。
「あたし、せっかくあなたを指名したのに。つまんない」
「あー……すみません」
波風を立てたくないから無難な言葉を返したが、無駄だった。
「そういうところが、つまんないんだってば」
助手席に座ったお嬢様は長い脚を投げ出し、自身のロングヘアの毛先を指先でもて遊びながら、いかにもつまらないといった口調でそう言った。
どうやら、何かを改めなければダメ出しは永遠に続きそうだ。
「ええと……」
「だからー。あたしは、せっかくあなたを指名したのだから、つまんないのは嫌だって言っているの」
とりあえず車を走らせたものの、大通りで一旦停止。急ブレーキにならないように気をつけながら停まった。
操作感の良好な車だけど、慣れないうちは警戒するに越したことはない。交通違反も怖いけれど、そもそもこんな超高級車で事故に遭ったら一巻の終わりだ。
「レーラ」
助手席のお姫様はシートに体を預け、腕を組みながら言う。
「はい?」
「レーラって呼んで」
「レーラさん、じゃいけませんか」
本当は、レイラお嬢様とでも呼ぶつもりだったのに。
「だめ。レーラ。あたしもマサキって呼ぶから」
(私の方が8つも上なんだけど……)
そう思ったけれど、彼女に逆らうすべはない。
「社長のお嬢さんを呼び捨てなんて……」
「パパに気を遣うってこと? 半分首切られてるような会社に何の義理があるの? だいたい、あたしがいいって言ってるんだから、いいに決まってるの」
お嬢様は遠慮がない。
半分首を切られている。その指摘は真咲の心をグサッと突き刺した。
萌蘖玲蘭。
やたらイカツい名前をもつその少女こそが、社長の愛娘だ。年齢は18歳。誰もが知る都内有名お嬢様高校の3年生だと聞いている。
社長のお嬢様を徹底サポートし、要望を全て叶えること。それが、『断る』という選択肢を完全に封じられた真咲に言い渡された、謎の特命だった。
ちらりと助手席を見やる。いかにも質がいいといった風合いのブラウスに、小花柄の上品なひざ丈スカート。一目で “いいとこのお嬢様” だと分かるようなコーディネートだった。
絹のようなストレートロングヘアはお手入れが行き届いていてツヤツヤ。メリハリのある身体にすらりとした手足、大きな瞳に長いまつ毛、ツンと高い鼻、ぷっくりした唇。
お綺麗なお嬢様は完全にヒロインの風格を備えている。
正直、やりにくいことこの上ないのだけど……。
信号が青に変わったから、アクセルを踏む。少し踏み込んだだけでタイカンはふわりと加速した。これまで運転したことのあるどんな車よりも加速がなめらかだったから驚いた。
「レーラね。分かりました」
「敬語やめて。ダルい」
ダルいと言われてしまった。最近の女子高生はみんなこんな感じなんだろうか。それとも、このお嬢様のアタリが特別にキツいだけだろうか。
タメ語、タメ語と自分に言い聞かす。
「分かったわよ……」
***
首都東京のド真ん中、渋谷区の松濤と呼ばれる高級住宅街からその旅は始まった。
東京都内の一等地と名高いその街には、ドでかいピッカピカの邸宅が建ち並んでいる。泣く子も黙るキラキラ、ギラギラの高級住宅街だ。
社長秘書の役割を与えられて初めて松濤を訪れた日のことを思い出す。
あまりにも上品な街。バカでかい高級住宅。目眩で倒れそうだった。三流の女が見ていいような世界とは到底思えない。言葉通り、世界が違うのだ。もはや目の毒。
本来であれば松濤など、真咲が立ち入っていいような場所ですらない。
ところが今、真咲はその松濤育ちのお嬢様とともに旅に出ることになってしまった。さらに、あてがわれた車は真っ赤っ赤な高級スポーツカーなのだから、ぐうの音も出ない。
昨日、ヴァーチャルストーム社の社長室で。
社長令嬢が抱える特殊任務への帯同を命じられたときにはひっくり返るほど驚いた。
しかし、拒否するという道は封じられている。
言われた通り旅行カバンにたっぷりの荷物を放り込み、トランクと後部座席にすべて積み込んだ。そうしてから、自分が昨日まで身を粉にして仕えた相手――社長に対し、深々と頭を下げた。
***
さて。彼女の指示通り富ヶ谷インター手前の路上にポルシェのタイカンを寄せ、停めた。
「ホントだ、見事にエラーにやられてるわ……」
そのエラーは街なかにあって、あまりにも異質だ。
周囲には、都心の整然とした街並みが広がっている。けれどインターの入口付近だけは、どうにも不自然な色相。
コンピュータ画面に表示されるみたいな赤や青、黄色や緑のドットが、宝石をばらまいたみたいに雑然と広がっている。そのカラフルなドットが、かつて深夜のテレビ画面に表示されていたザラザラの砂嵐みたいにこすれ合わさって、ガチャガチャと無闇に動き回っている。
ビビッドな色はときどき混ざり合わさって、縦に横に引っ張られるようなおかしなノイズを形成する。かと思えば幽霊みたいにグニャリと大仰に曲がったり、色彩を失って白黒のノイズに変化したりする。
世界のあちこちに、こういったデジタルエラーが出現するようになったのは、つい1年ほど前のこと。この富ヶ谷インター付近にできてしまっているエラーの範囲は横幅10メートルほどだからそれほど大きくはないけれど、世界にはかなり巨大なエラーに覆われてしまった地帯もある。
「マサキはここにいて」
玲蘭が車を降りながら、こっちを見ずに言う。ややあって、バンと扉を閉める強い音。
下がっていろと言われたけれど、真咲の役割は玲蘭のサポートのはずだ。車内で待つというわけにもいかないだろう。そう思い、車のドアを開けた。
︎︎しかし。
「話聞いてた? 外出るなって言ったのよ」
振り向いた玲蘭に睨まれてしまった。渋々、車から降りるのを断念し、ドアを閉める。仕方ない。運転席から玲蘭の勇姿を見守ることにしよう。
玲蘭はヴァーチャルデジタルエラーの前に仁王立ちになると、右手を下から上へと軽く振った。その手に、玲蘭の身長をゆうに超える長さの錫杖のようなものが出現する。
大きな鍵のようなデザインのステッキを、彼女はエラーの端にトンと突き立てた。
刺激を受けたデジタルエラーが、生き物みたいにビチャビチャと跳ねている。それには構わず、玲蘭は口の中で詠唱する。車内にいる真咲には、詠唱の内容はまったく聞き取れない。
それの処理にかかった時間は、たった2分ほどだった。
ぐちゃぐちゃとしたカラフルなデジタルエラーは、玲蘭の詠唱を嫌がるかのように無秩序に色合いを変える。しかし抵抗も虚しく、デジタルエラーは玲蘭にどんどん駆除されていく。
道路をふさぐように広がっていたエラーは玲蘭の杖に吸い込まれるみたいにどんどん縮小し、やがてスルリと消え失せた。
玲蘭は最後に、ステッキを横一文字に掲げ、何かを唱える。そうしてからフッと腕を振る。たったそれだけの動作で、あの長いステッキがきれいさっぱり消えてしまった。
……なるほど、見事なものだ。
ヴァーチャルエラー修復士。
ヴァーチャルデジタルエラー類の消去を行える人材は、そう呼ばれる。
玲蘭は修復士のスキルをもつ貴重な人材として、今から北エリアをめぐって仕事をすることになっている。
玲蘭が助手席に戻ってきたから、軽く頭を下げて出迎えた。
「お疲れ様です」
「敬語ウザい」
ああ、しまった。ねぎらったつもりだったけれど、ワードチョイスが不正解だったらしい。




