灯台:「働く女はかっこいいでしょ?」
午後になると、空はかなり曇ってきた。
「予報によれば14時か15時頃から雨」
玲蘭は助手席で頷く。
「雨の前に、灯台のヴァーチャルエラーだけ片付けちゃう」
「オーケー。昼ごはんまだだけど」
「朝が遅かったし、あたしお腹空いてない」
ヴァーチャルエラー修復の仕事は灯台で5件目。さすがに空腹にならないわけはない。
それでも、雨が降る前に駆け足で仕事をしてしまいたいということなのだろう。
たどり着いた灯台のエラーもかなり大規模だった。
玲蘭は駆け寄るみたいにしてエラーの端を捕らえ、詠唱を始める。灯台の手前には資料館のような建物があるから、バグ避けに使えるだろう。バグを警戒しつつ、様子を見守ることにした。
腕にぽたりと水滴が落ちてくる。
「ああ……降り出した」
地面に、灯台に、そしてヴァーチャルエラーの上に、水滴がぽつりぽつりと降り始める。真咲の上にも、そして仕事中の玲蘭の上にも。
降り出した雨はサァッと強くなっていく。ヴァーチャルエラーは水の刺激と玲蘭の詠唱の刺激に抗い、ビチャビチャと無秩序に跳ね回っている。
暴れるエラーの勢いが予測を超えている。跳ね回るエラーは、いまにも玲蘭の身体に飛びかかりそうだ。
仕事を中断させるべきかもしれない。何かトラブルがあってからでは遅い。
だけど、あのお嬢様は真咲が声をかけたとして、はたして素直に聞いてくれるだろうか。
建物の陰から玲蘭の様子を窺う。玲蘭は雨なんて気にならないとでも言わんばかりに、一心不乱に詠唱を続けている。
たっぷり10秒考えて結論を出した。
ここは玲蘭を止めるべきじゃない。
あのヴァーチャルエラー修復士は腕がいい。おそらく、多少のトラブルを食らっても修復をやり切るだろう。
逆にここで仕事を止めたら、邪魔をするなと怒られるに違いない。
今、真咲にできることは何もない。事故が起きないようにと心から願うことを除いて。
ヴァーチャルエラーの修復には、雨が降り出してからたっぷり15分ほどもかかった。それでも、ほかの修復士と比較すれば玲蘭の仕事は格段に早いに違いない。
極彩色のエラーが除去され、玲蘭が錫杖を真一文字に掲げたタイミングで駆け寄った。傘をパッと開いて差しかける。
錫杖を虚空に消し去って、玲蘭がへらっと笑う。その頭にタオルをバサリと被せた。
「降ってきちゃったねえ。お疲れ様」
***
「それにしても、今日はいっぱい働いた」
ゴツゴツとした岩に囲まれた野趣豊かな露天風呂で、玲蘭が「んー!」と伸びをする。
「限られた時間の中でエラー除去5件は凄い。ホント、よく働いたわ」
真咲も、とろとろと柔らかいお湯の中で首を軽く傾け、筋を伸ばす。旅の疲れがゆるゆるとほどけていく感じがする。
玲蘭がヴァーチャルエラーを除去する待ち時間で予約しておいた宿は、かなり綺麗で広かった。真咲としては、またウダウダしているうちにラブホテルに連れ込まれてはたまらないと、結構真剣に宿を探したのだ。
海の近くに建つその旅館は全室オーシャンビュー。しかも、最上階の部屋をアサインしてもらったから、雨模様とはいえ景色は抜群。
こんなに泉質のいい温泉もあるし、魚介のお食事も出るようだし、とにかく期待以上だ。
雨を避けるようにして宿に着いたのは14時50分頃。だけど、フロント係の若い男は嫌な顔をすることもなく、10分前のチェックインに応じてくれた。
雨で玲蘭の髪が濡れてしまったから、お部屋でのんびりする前にさっさとお風呂に入ってしまうことにした。
「今日はシゴデキな秘書さんがついてたから、仕事しやすかったね」
玲蘭はご機嫌みたいだ。
「お役に立てたのなら嬉しいわ」
正直、今日の仕事ぶりにはそれなりの手応えがあった。状況に応じて適宜判断する、ベターなサポートができたと思う。久々に、ちゃんと働いたという感じがする。……逆に言えば、昨日とおとといは、ほとんど役に立っていなかったということなのだろうけど。
「あたしってさ、仕事しなくても生きていけるわけ」
玲蘭が無邪気に言う。まだ早い時間で、温泉には誰もいないから少しホッとした。この不景気下、そんなセリフを一般の人に聞かせたら顰蹙を買うところだ。
「そうね」
それ自体は認めざるを得ない。
社長令嬢に生まれた玲蘭には、豊かな暮らしが保障されている。生まれてから今まで、そして今からこの先も、ずっと。
玲蘭の兄たちは父親の会社に入社したけれど、女性である玲蘭がそれを強制されることもないだろう。
もちろん、いつかのパーティーみたいに公の場に出席する必要はあるだろうし、会社関係や親類関係とのコミュニケーションも求められる。将来的には、結婚の話なんかも出るに違いないから、仕事をしなくても生きていけるとはいえ、決してお気楽な身分ではないはずだけど。
「それでもレーラが働くのは……」
ヴァーチャルエラー修復士。それが玲蘭の仕事だ。
ヴァーチャルエラー修復の人材は少ないから、玲蘭が望めばいくらでも仕事はある。
一方で、その専門スキルを持つからといって、必ずヴァーチャルエラー修復に携わらなければならないということもない。実際、この仕事には危険が伴うし、身体への負荷も激しいから、スキルはあるけれどあえて修復業務に携わらないという人もいる。
だけど玲蘭はこの仕事に積極的に志願した。それどころか、ほかの修復士が行かないような僻地にあえて赴くなんてハードな働き方をしている。
「働く女はかっこいいでしょ?」
「うん」
同意できると思ったから、即答した。
なるほど、それが玲蘭のモチベーションなのか。そう納得しかけたところに、玲蘭の憮然とした声が飛んできた。
「うん、じゃないわよ。あたしはあるとき、働くかっこいい女に出逢って心動かされたわけ。マサキがかっこよく働いてんの見たから、あたしもお仕事しようって思ったの」
「……ん。そう、なのね」
今日は玲蘭に、嬉しすぎることを何度も言われているような気がする。
「だから今日は、有能な女が2人って感じで、シゴデキで最高だった。あたし達はかっこいい」
「それはそう。私達はかっこいいわね」
***
宿のベッドで玲蘭がすぅすぅと寝息を立てている。やっぱり疲れていたのだな、と思った。
とにもかくにも雨で濡れた体をなんとかしようと先に温泉に入ったから、昼食が抜ける形になってしまった。おそらくこのあたりは真咲のマネジメント不足なのだろう。
18時になれば食事を出してもらえるということだったから、変なタイミングで昼食を食べるのは得策ではない。
客室には、地元のお土産品を試食させたいのだろう、地域の名前を冠したお饅頭とクランチチョコレートが2つずつ用意されていた。ひとまずお茶を淹れ、おやつ代わりにそれを食べることにした。
ほわほわとリラックスした様子でお菓子を食べた玲蘭は、そのままふわりとベッドに横になる。
「そうね。少し休んでるといい」
「ん」
そんな言葉を交わして、しばらくののち。
玲蘭の寝息が聞こえてきた。天使みたいな寝顔だ。
一緒に休むというわけにはいかない。真咲には、溜まった洗濯を片付けるという仕事がある。2人分の洗濯物を抱え、静かに部屋を出た。
ランドリーで洗剤を注ぎつつ、考える。それにしても、どうにも今日は普通すぎる。
玲蘭はずっとご機嫌だし、仕事もおおむねうまくいった。ちょっかいをかけられることもないし、なんなら手をつなぐくらいで、キスの1つもしなかった。昨日大変なことになってしまった入浴タイムすら、女友達同士の旅行といった和やかな雰囲気のまま済んでしまった。
昨夜の濃密すぎる触れ合いのことを思い返すと少し妙だなと思ってしまうほどに、今日の一日はあまりにも普通。普通すぎる。
「……普通なら普通で、いいんだけどね」
ゴウンゴウンと音を立てて回る洗濯機を眺めつつ、独り言を漏らした。




