第7話:臆病者の境界線
第7話:臆病者の境界線
鋼の町『ガルネリ』の夜明けは、希望の色をしていない。
地下から噴き上がるプラズマの余剰熱が、どんよりとした曇天を赤黒く染め上げ、空気中に舞う金属粉が肺を苛める。それは、呼吸をするたびに「生存のコスト」を突きつけられるような、重苦しい朝だった。
「――来たか。世界を最適化する、鉄の葬列が」
ガルド・バルクが、その重厚な《雷槌ミョルニル》を肩に担ぎ、町の広場へと歩み出る。
その視線の先。町の中心部から、地響きを立てて巨影が姿を現した。
それは、町の『再構築の番人』。
女神がこの地に定めた、物理法則の執行官だ。
人型を模してはいるが、その四肢は複数の油圧シリンダーと歯車が剥き出しになった、無機質な殺戮機構。この町で「価値なし」と判定された廃棄物を、物理的な質量ごと粉砕し、再資源化するための掃除屋。
「認識番号:第十三区画・ジャンク・ヘヴン。……当該エリアを『不要データ』と定義。消去、および再構築を開始する」
番人の発した合成音声は、感情の一切を排した神の宣告だった。
巨大な鉄の腕が振り上げられ、空気を圧縮する。
「フン……俺の聖域を『不要』だと? 笑わせるな。この宇宙が数式で書かれているなら、俺はその数式を書き換える『特異点』だ。……絶望せよ、鉄クズ! 貴様の存在は今この瞬間、俺の雷鳴によって、永遠の忘却へとパッチを当てられるのだ!」
ガルドの咆哮と共に、《ミョルニル》が青白いスパークを撒き散らす。
だが、その手が、微かに震えているのをレオンは見逃さなかった。
かつて、彼は逃げた。
炎に包まれる故郷。自分を呼ぶ仲間の声。
その全てを振り切り、泥を啜って生き延びた「臆病者」の記憶。
彼が纏う尊大な言葉は、その記憶という名の深淵から、自分を遠ざけるための唯一の盾だ。
「兄貴、いいのかい? 彼一人じゃ、あの番人の『処理速度』には追いつけないよ」
隣で、フィンが欠伸を噛み殺しながら呟く。
レオンは《アストライオス》の柄に手をかけたまま、動かなかった。
「……待て。彼の『虚勢』が、本物の『覚悟』に書き換わる瞬間が必要だ」
「厳しいねぇ、兄貴は。……あ、でも。一人、我慢ができない子がいたみたいだよ」
フィンの視線の先。
番人の鉄拳がガルドへ振り下ろされる直前。
視界が、鮮烈な「紅」に染まった。
「――そこまでだ、鋼の巨像!」
爆発的な熱風と共に、ユリウス・ユリシーズが《紅蓮剣ティルフィング》を振り抜き、番人の腕を弾き飛ばした。
立ち昇る白煙。ユリウスはガルドの前に立ち、真っ直ぐな瞳を敵に向けた。
「貴様! 何を勝手に割り込んでいる! これは俺と、この鉄クズとの聖戦だと言ったはずだ!」
「ごめんよ、ガルド。でも、君の背中が……少しだけ寂しそうに見えたんだ。父上が言っていた。『背中が寂しい奴は、一人で死ぬ準備をしている。そんな奴は、無理矢理にでも並んで立ってやれ』ってね!」
ユリウスの言葉には、毒がない。
それは、世界を疑うことを知らない、純粋すぎる正義の光。
嘘を塗り重ねて自分を保っているガルドにとって、それは最も眩しく、最も腹立たしい「正解」だった。
「……おめでたい奴だ。貴様のような光の中にいる男には、俺の深淵は理解できん」
「理解なんてできなくてもいい! ただ、君が『守りたい』と思ったものを、僕も一緒に守りたい。……それじゃ、ダメかな?」
ユリウスは、ガルドの方を向き、いたずらっぽく微笑んだ。
その瞬間、ガルドの胸の奥で、何かがパリンと音を立てて割れた。
虚勢ではない。嫉妬でもない。
名付けるならば、それは――「救い」に近い、何かのバグ。
「……チッ。勝手にしろ、紅蓮の小僧。だが、俺の足元を掬うような真似をすれば、その首、俺の雷槌で叩き折るぞ」
「ああ、期待してるよ!」
二人の少年が、息を合わせる。
英雄の息子。そして、逃げ出した臆病者。
決して交わるはずのなかった二つの「正義」が、この煤煙の町で、一つの鼓動となった。
番人の第二撃が来る。
今度は、物理的な破壊ではない。《物理パラメータ固定》――周囲の重力を数倍に跳ね上げる、管理権限の行使。
「グッ……重い……!」
ユリウスの膝が折れそうになる。
だが、その重圧を、ガルドの雷が強引に引き裂いた。
「ハハハ! 重力か! 概念の束縛など、俺の魂の『自由度』を縛るには値せん! ユリウス、道を開けろ! 俺がその鉄クズの『中心核』に、消えない刻印を刻んでやる!」
「わかった! ガルド、炎を……僕の熱を、君の雷に乗せてくれ!」
ユリウスが《ティルフィング》を大振りに払い、周囲に猛烈な炎の旋風を巻き起こす。
その炎を、ガルドは避けない。
「――《ミョルニル》、緊急オーバークロック! 雷火併燃、全神経パッチ完了!」
炎が雷を増幅させ、雷が炎を加速させる。
理論的には成立しない、二つのエルディアの強制同期。
それは、「相手を信頼する」という極めて非合理な行動が引き起こした、世界のシステムの誤動作。
二人は同時に、地を蹴った。
重力に抗い、理不尽を突き抜け、ただ一撃を叩き込むために。
「「――うおおおおおおおお!」」
紅い閃光と青い雷鳴が交差し、番人の胸部装甲を貫いた。
内部の演算回路がショートし、無数の火花が舞い踊る。
番人は、最後まで無機質な音を立てながら、ゆっくりとその巨体を崩壊させていった。
静寂が、広場を包み込む。
白煙の中で、肩で息をしながら立ち尽くす二人の背中を、レオンは静かに見つめていた。
「……なかなかやるな」
短く、レオンが呟く。
「ふふん。兄貴、また『理想のリーダー』っぽい顔をしてるね。本当は、あの二人の熱にあてられて、ちょっと感動してるくせに」
「……黙れ、フィン」
レオンは歩み出し、まだ座り込んでいる二人の元へ向かった。
「ガルド。……お前の『嘘』は、今、この瞬間だけは『真実』だった」
レオンから差し出された手。
ガルドはそれを、忌々しそうに見上げた後、不器用な動作で掴んだ。
「……勘違いするな。これは、一時的な休戦だ。俺の覇業を成し遂げるために、貴様らの『運命の重力』を少しだけ借りることにしただけだ。……フン、光の中にいるだけの連中に、俺の『漆黒』を預けるのは不安だがな」
「ははは! ガルド、それって『一緒に行こう』って意味だよね?」
ユリウスが無邪気に笑う。
「うるさいと言っただろうが! この、天然の権化め!」
こうして、勇者一行に新たな足音が加わった。
不完全な魂を抱えたまま、それでも明日を騙し続ける五人の旅路。
セイルが、そっとガルドの肩に溜まった煤を払う。
「ガルドさん。これからよろしくね。……あ、でも、その決め台詞のノート、後で添削させてね? 論理的に矛盾がある箇所がいくつかあったから」
「……っ!? ……貴様、なぜそれを……! あれは魔導書の……構成案で……!」
ガルドの顔が、この日一番の赤色に染まる。
「平和だねぇ、兄貴。……でも、これでまた少し楽しくなりそうだ」
フィンが、空を見上げた。
煤煙の隙間から、ほんの少しだけ、本当の星空が覗いていた。
それは、世界を救うにはあまりに小さく、しかし一人の少年の震えを止めるには、十分な光だった。




