第6話:雷槌ミョルニル
第6話:雷槌ミョルニル
鋼の町『ガルネリ』の夜は、眠らない。
地響きのような重低音が、絶えず建物の骨組みを震わせている。地下のプラズマ炉から供給される過剰なエネルギーが、街の至る所で青白いスパークを撒き散らしていた。
広場での一戦から数時間後。レオンたちは、ガルドが「根城」と称する廃棄物処理区画の一角にいた。
「――いいか、クソ凡俗ども。ここが俺の漆黒の聖域、第十三ジャンク・ヘヴンだ。無暗に触れるなよ。その貧弱な指先が、凝縮された魔導ノイズに焼かれて消滅しても、俺は責任を持たん」
ガルドは、山積みになった錆びた歯車や剥き出しの基板を指し示し、仰々しく腕を広げた。
その言葉とは裏腹に、用意された「客席」は、丁寧に煤を払われた革のソファだった。
「……セイル、見て。あのお兄さん、椅子だけはすごい綺麗にしてる」
「ええ。美意識の欠落したゴミ溜めの中で、唯一保たれた『礼節』という名のバグね。意外と几帳面なのかしら」
フィンとセイルの小声での囁きに、ガルドの耳が微かに赤く染まる。
彼はそれを誤魔化すように、巨大な槌――《雷槌ミョルニル》を無造作に作業台へ置いた。
ガクン、と。
鉄の台が悲鳴を上げる。
レオンはその「質量」に眼を細めた。先刻の立ち合いで感じた違和感。あれは単なる重量ではない。
「ガルド。……そのエルディア、損傷しているな?」
レオンの言葉に、ガルドの肩がピクリと跳ねた。
「……フン、貴様の曇った眼に何が見えたか知らんが、これは《ミョルニル》が真の覚醒を前にして放つ、虚無の産声だ。欠損ではない。これは『進化への余白』なのだよ」
「いや、基板が焦げてるよ。あと、ここ。ネジが一本足りない」
いつの間にか作業台の横まで移動していたフィンが、デリケートな電子回路の隙間を指差した。
「ちょっ……貴様! 触るなと言っただろうが! その汚い手で俺の……俺の相棒の……」
「これ、放っておくと次の起動で暴走するよ。ほら、ここ。雷のバイパスが逆流して、持ち主の腕を炭にしちゃうパターンだ。あーあ、最強の裁断者が『最強の消し炭』になっちゃうね」
フィンの気の抜けた指摘は、ガルドが必死に築き上げてきた「最強」という名の防壁を、あっさりと踏み越えていく。
ガルドは口をパクパクとさせ、やがて視線を落とした。
「……わかっている。そんなことは、わかっているんだ」
震える声。それは広場で聞いた咆哮とは似ても似つかない、ただの「逃げ遅れた子供」の呟きだった。
「この町には、まともな部品なんて流れてこない。女神の聖都から捨てられたゴミを、食い繋ぐために叩き直して……。俺がどれだけ叫んでも、この槌はもう、あの日のように鳴いてはくれないんだ」
ガルドの手が、《ミョルニル》の冷えた金属を撫でる。
その時、彼の脳裏を過ったのは、煤煙に包まれたかつての故郷。炎の中で、仲間を見捨てて走り出した自分の無様な足音。
最強という嘘を重ねなければ、彼は自分自身の卑怯さに押し潰されてしまう。
虚勢。それは、彼にとって唯一の「酸素」だった。
「貸せ」
短く、レオンが言った。
「断る! 貴様のような、最初から光の中にいる男に、この泥臭い鉄の痛みがわかるはずが――」
「俺も、役割を演じている」
レオンの静かな、しかし確かな告白が、工房の空気を凍りつかせた。
ユリウスが驚いたようにレオンを見る。しかし、レオンはガルドの瞳だけを真っ直ぐに見つめ返していた。
「正義の象徴。完璧な勇者。……俺は、それを演じるために、毎日鏡の前で笑顔を練習し、血を吐くような努力を『才能』という言葉で塗りつぶしている。……お前と俺に、本質的な違いはない。……ただ、背負っている嘘の種類が違うだけだ」
レオンは、ガルドの手から強引に槌を引き寄せた。
そして、傍らに立っていたフィンに視線を送る。
「フィン。……直せるか」
「兄貴の頼みじゃ、しょうがないなぁ。……あ、そこのガルド兄さん、ちょっとそこの『不法投棄されてたレーザー溶接機』取ってくれる? あと、古いバッテリー。……よし、手術を始めようか」
そこからの時間は、静かな狂気と、奇妙な熱気に包まれていた。
フィンがジャンク品を魔法のように組み替え、回路をバイパスさせ、最適化していく。
レオンは、その作業の合間に、自らの属性――『闇』を微量に槌へと流し込み、暴走する雷の残滓を「中和」し、鎮めていった。
光(演技)と闇(本音)を操るレオンだからこそできる、極めて精密な調律。
ガルドは、ただそれを見ていた。
自分が「最強」を演じるために、必死で隠してきたボロを、彼らは当然のように受け入れ、泥を払ってくれている。
「――よし、できた。とりあえず、自爆はしないはずだよ」
数時間が過ぎ、フィンが汗を拭って手を離した。
作業台の上で、《ミョルニル》がかつてないほどに澄んだ、瑠璃色の火花を散らしている。
「……ふん。……当然だ。俺の覇気が、ようやくこの槌に認められたということだ。……貴様ら、少しは役に立ったようだな」
再び、いつもの尊大な口調に戻るガルド。
だが、その手でしっかりと握られた《ミョルニル》は、もう恐怖で震えてはいなかった。
「さて。……夜明けと共に、この町を支配する『再構築の番人』を叩き潰しに行く。……レオン。貴様は、俺の伝説の証人となれ」
「ああ。……見届けさせてもらうよ、ガルド」
レオンは、小さく口角を上げた。
それは鏡の前で練習した「勇者の笑顔」ではなく、同じ地獄を歩む者へと向けられた、不器用な友愛の形だった。
――鋼の町の夜が明ける。
煤煙の向こう側から差し込む光は、まだ鈍く、重苦しい。
けれど、広場に響く足音は、昨日よりも少しだけ力強く、重なり合っていた。
それは、世界が定めた「正解」を外れ、間違い続けることを選んだ者たちの、最初の行進曲。




