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第92話:三分の壁(乾燥の魔法と、現場の執念)

ケニーが「カップラーメン」の構想をぶち上げてから、開発室の明かりが消えることはなかった。だが、前世で当たり前だった「三分」の壁は、この異世界において絶望的なまでに高かった。

1. 崩壊する理想

「……駄目だ! お湯をかけても芯が残るか、逆にドロドロに溶けるかだ。こんなものを商品とは呼べない!」

コストナーの怒号が響く。

魔導乾燥機で無理やり水分を抜いた麺は、湯を注いでもゴムのような食感にしかならない。さらに、粉末スープは湿気で固まり、具材の乾燥野菜は色を失う。前世の安藤◯福氏が辿った苦難の道を、コストナーたちもまた、暗闇の中で手探りで進んでいた。

2. 差し入れと「現実」

深夜、ケニーは自ら選んだ工場のまかない(おにぎりと漬物)を抱えて開発室に現れた。

疲れ果てて床に座り込むコストナーたちに、ケニーは穏やかに声をかけた。

「……食え。腹が減っていては、いいアイデアも逃げていくぞ」

コストナーは、悔しそうにケニーを見上げた。

「オーナー、申し訳ありません。あなたの言う『魔法の麺』は、今の我々の技術では……。何より、あの『器』の中で麺を宙に浮かせるような構造、どうやって量産すればいいのか見当もつきません」

3. 49歳の「ヒント」

ケニーは、コストナーが投げ出した試作の麺を手に取り、じっと見つめた。

「コストナー。お前は『完璧な乾燥』を目指しすぎている。……前世の偉大な発明家は、麺を油で揚げて、一瞬で水分を飛ばす方法を見つけたんだ。そうすることで麺に無数の小さな穴が開き、そこからお湯が入り込む」

「油で……揚げる……?」

「そうだ。それと、器の底まで麺を詰めようとするな。麺を器の中ほどで固定するんだ。輸送中に崩れず、お湯が下から効率よく循環するように。……現場の棚で、商品がどう扱われるかを想像してみろ」

4. 愛はスローに、ちょっとずつ

「現場の……想像……」

コストナーの目が、再び光を取り戻し始めた。魔導理論だけで解決しようとしていた彼らにとって、ケニーが提示した「揚げる」と「中間保持構造」という泥臭い工夫は、天啓だった。

「……オーナー。もう一度、いや、あと百回やらせてください。今度は理論を捨てて、油の匂いに塗れてみます」

コストナーが再び研究室の奥へ消え、再び油と魔導の入り混じった熱気が戻ったのを見届け、ケニーは静かにテラスへと出た。


安藤百福は、世界を平和に変えた食べものを簡単に作れるわけない。しかし、挑戦するしかない…。


冷たい夜風が、仕事で火照った頭を静めていく。

ふと、胸の奥から溢れ出したのは、あの優しく、心に染み入るスローバラードだった。

ケニーは独り、遠い日本の空に思いを馳せながら、◯◯ンオールスターズの『愛はスロ◯にちょっ◯ずつ』を小さく口ずさんだ。

「……幸せになれる……そんな気がする……」

一気にすべてを変えることはできない。けれど、この一杯の開発と同じように、愛も、商売も、一歩ずつ、スローに進んでいくしかないのだ。

49歳。彼は、その切ない旋律を噛み締めながら、再び戦場へと戻る覚悟を静かに固めた。

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