第84話:利権の香り(御用達の罠と、自由な棚)
ケニーの自社工場で作られる「混じり気のない調味料」の噂は、ついに王宮の奥深くまで届いた。
1. 貴族からの「招待状」
「オーナー、王立食糧管理局の伯爵から直々に書状が届きましたわ。我が社の調味料を、王宮および軍の専売品として登録したいとのことです。……これは、破格の利益になりますわよ」
ソラリスの瞳が期待に揺れる。王宮御用達になれば、ブランド価値は跳ね上がり、競合他社は二度と太刀打ちできなくなる。
だが、ケニーは届けられた金縁の書状を、事務作業の邪魔だと言わんばかりに脇へ退けた。
2. 「専売」という名の枷
「……ソラリス、お前は気づいていないのか。彼らが求めているのは、味じゃない。『独占』だ」
ケニーは、自社店舗の棚を思い浮かべた。
王宮の専売品になれば、製造工程から流通ルートまで、すべて王国の役人の監視下に置かれることになる。それは、ケニーが心血を注いで築いた「一滴単位のトレーサビリティ」を、他人の手に渡すことを意味していた。
「スーパーやドラッグストアの連中なら、泣いて喜んで飛びつくだろう。だが、俺たちの商売は、誰に指図されることもなく、現場が必要なものを必要なだけ提供することで成り立っている」
3. 49歳の「交渉」
ケニーは伯爵の使者に対し、贅を尽くした応接室ではなく、あえて工場の搬入口で面会した。
「ケニー殿、これは王国からの名誉ある誘いだ。なぜ渋る?」
「名誉だけでは、明日の弁当の鮮度は守れません。伯爵。……我々が調味料まで自社で作るのは、誰かの権威を飾るためではなく、深夜三時にやってくる漁師や、五時に出発する農家が、毎日安心して口にできる『日常』を守るためです」
ケニーは、最新のロット管理表を使者の前に突きつけた。
「このデータを王宮の役人に管理させるなど、時間の無駄だ。現場のスピードについてこれない者に、この一滴を扱う資格はない」
4. 自由な味の守護者
使者は顔を真っ赤にして去っていった。巨額の利益と名誉を棒に振ったケニーを、王都の商売人たちは「狂っている」と嘲笑うだろう。
だが、ケニーは満足げに、いつものように自店舗の惣菜コーナーをチェックしていた。
「……名誉なんてものは、喉を通れば消える。だが、このソースを信じて買ってくれる客の信頼は、一生消えないからな」
49歳。彼は「権力」という最大の誘惑すらも、現場の「一滴の誇り」を守るためのノイズとして切り捨てた。




