第100話:人の深淵(不信の檻と、孤独な灯火)
「魔法の器」がどれだけヒットしようと、店を支えるのは結局のところ「人」だった。そして、その「人」こそが、経営者ケニーの精神を最も鋭く削り取る刃となる。
1. 善意の限界
「……またか」
深夜の司令室で、ケニーは魔導記録機(防犯カメラ)の映像を止めた。
そこには、新しく雇った従業員が、客のいない隙を見て商品を隠し、あからさまに手を抜く姿が映っていた。
犯罪とまでは言えない、些細なサボり。報告書の小さな嘘。だが、それが積み重なれば、店という「聖域」の空気は一気に淀んでいく。
2. 疑うという「呪い」
人を雇うのは、これほどまでに過酷なことだったか。
「……ソラリス。あいつは今日、何回裏口へ行った? 在庫の数は合っているか?」
気づけば、ケニーの口から出るのは疑いの言葉ばかりだった。
従業員の中には、ケニーが少しでも弱みを見せれば、あるいは精神的に沈んでいるのを察知すれば、その隙を突いてくる者がいる。狡猾に、そして平然と。
人を疑い続ける。それは、精神を内側から腐らせる毒のようなものだ。ずっと監視し続けるしんどさは、実際にレジの裏側に立ち、身銭を切って店を守る者にしか分からない「地獄」だった。
3. 良貨は悪貨に駆逐される
「オーナー、またベテランの……あの真面目だったスタッフが辞めたいと言ってきました。周囲の不真面目な振る舞いに、耐えられないそうです」
ソラリスの報告が、ケニーの胸を刺す。
良い人間を雇いたい。けれど、悪い人間が一人混ざるだけで、良い人間から先に絶望して去っていく。
今の王国の慣習では、一度雇った者を簡単に解雇することはできない。不良在庫よりも質の悪い「腐った林檎」を抱えたまま、店を良くしていかなければならないという矛盾。
ケニーの肩に、言いようのない重圧がのしかかる。
4. 49歳の「しんどさ」
「……しんどいな、ソラリス」
ケニーは思わず、独り言を漏らした。
世界を変える新製品を作ることより、目の前の一人の従業員と誠実に向き合い、裏切られ、それでも店を回し続けることの方が、遥かにエネルギーを必要とした。
ふと、この世界では決して流れることのない、あの懐かしいメロディが脳裏をよぎる。
ケニーは唇を微かに動かし、自分にしか聞こえない音量で、サ◯ンの『愛は◯ローにちょっと◯つ』の旋律をなぞった。
この歌を口ずさんでいる間だけは、人を疑う自分を忘れられる気がした。
ケニーは重い腰を上げ、深夜の店舗へと向かった。
誰を信じていいか分からない。それでも、この店を「安全な場所」として守り抜くためには、オーナーである自分が、このしんどさを抱えたまま立ち続けるしかないのだ。
それは、経営者という孤独な生き物が、「人」という底知れない深淵と向き合い続ける、果てなき日常の記録だった。




