日常的な
ほぼ普通に日常です
お嬢様とユリアさん、そして僕三人一緒の昼食の後、僕は庭のお嬢様の部屋に面したあたりに来ていた。
部屋の掃除が思ったよりも早く進んで結構余裕が出てきたのでせっかくだから雑草だけでも今日の内に抜いておこうと思った次第だ(まあ今日中に全部は無理だろうけど)。
で、この屋敷の花壇は屋敷を囲むように配置されている。当然お嬢様の部屋から見える位置にも花壇はある。その区画を優先して整備しようと思うのは当然の帰結だろう。
当のお嬢様はというと、読書を中断して僕の作業をつぶさに眺めている。
「……草むしりしてるだけですけど見てて楽しいですか?」
「うん、楽しいよっ」
お嬢様がそう言うのならこれ以上僕から言うことは無い。変化の無い光景が続く中だと人が働いているだけでも新鮮に映るのかもしれないな。
……でもこれからは色とりどりの草花でもっと新鮮な景色を見せてあげますよ、お嬢様。
コンコン。
「はーい、どうぞー」
「失礼します。お嬢様、食後の紅茶が入りましたよ」
「うーん、別に紅茶はなくてもいいんだけどなー。紅茶にもお金かかるし」
「最低限の貴族としての嗜みです」
「ぶー。それよりも本が欲しいところだよまったく」
言いながらもお嬢様はカップを受け取ってゆっくりと味わう。そのたおやかな仕草はお嬢様がれっきとした貴族だということを改めて思い知らされる。
「それでやることがある筈のユーリさんはこんなところで何をやっているのでしょうか。今日中に全ての部屋の掃除を終わらせると言っておられたように記憶してますが」
「そ、そこまで釘を刺されなくてもわかってますよ。思ったより早く終わりそうなので今の内に雑草だけでも抜いておこうと思いまして」
「そうですか。ならばわたしから文句はありません」
まあ時間が空いた時にやりなさいって言ってたし、余裕があるのなら今やったって問題ないと判断してくれたんだろう。
「ユリアはお堅いねー。そんなんだからモテないし音痴だしサラマンダーも苦労するんだよ?」
突然のお嬢様の爆弾投下にユリアさんに同様が走る。
「わ、わたしの身の回りに男がいたことは今まで数える程しかありませんでしたし性格が堅いからって音痴とは関係ありませんしサラマンダーだって苦労なんか……サラマンダー、わたしといると苦労しますか?」
心当たりあったんかい! そしてここで本人|(本トカゲ?)に訊くとは残酷な。虚空から急に出てきたサラマンダーもどうしていいか困ってるじゃないか。……今だけは君に同情するよ。
「って音痴?」
「うん、前に歌ってもらったんだけどそれはもう酷くて酷くて――」
「お、お嬢様紅茶のおかわりをどうぞ」
ユリアさんが慌ててお嬢様のカップにおかわりを注ぐ。しかしそんな弱い遮り方でお嬢様による暴露話は止まらなかった。
「わたしと同じ歌を歌ってもらったんだけど何度やっても音程外しっぱなし。あれはもはや笑うしかないレベルだったね。そうだ、ユリア歌ってみてよ。実際に聴いてもらったほうが早いし」
「お嬢様お願いでございます、ひらにご容赦を」
どんっだけ嫌なんだ。あのユリアさんが涙目でいやいやと懇願するほど酷い音痴なんだろうか。そこまで嫌がられるとむしろ一度聴いてみたいような気もする。
「そうですっ、ユーリさんの歌唱力はどれほどのものなのでしょうかっ。お嬢様、聴いたことのあるわたしの歌よりもユーリさんの歌の方が興味は湧きませんかっ?」
「おっ、それはいい提案。ねえユーリ――」
「お嬢様はユリアさんの歌を聴いたことあるかもしれないですけど僕は聴いたことがないので是非ユリアさんに歌ってもらいたいです」
ギリギリと歯ぎしりの音がここまで聞こえてきそうだ。
けど仕方ないじゃないか、気分の問題だけど僕だってカラオケじゃない場所で誰かに歌を聴かれるというのは微妙に恥ずかしいんだから。
あーだこーだ言い合う僕とユリアさん。そのやりとりがしばらく続くと突然間にいたお嬢様がいいことを思いついたように両手を合わせて提案してきた。
「二人の言いたいことはわかったよ、要は二人共自分が歌うのが嫌だと。それなら間をとってわたしが歌おうじゃーありませんか!」
「「…………」」
何故に?
この時の僕とユリアさんの心の声が完全にはもったように感じた。
とにもかくにもお嬢様の提案は渡りに船だ。大人しく草むしりでもしながらお嬢様の歌を清聴していよう。
お嬢様が息を吸い込む気配、そして高らかに歌声を上げた。
「――――――――♪」
歌詞の意味はわからない。けれどその歌にはお嬢様の想いが――聴く側に対する思いやりが、温かみが、確かに込められていた。
歌っているお嬢様自信も笑顔で、歌う事を心の底から楽しんでいた。
そんなお嬢様の歌は聴くだけで気持ちを持ち上げて力が沸き上がってくるように感じる。
まるでこの辺りだけが別の空間になったみたいだ。歌手はお嬢様、観衆は僕と目を閉じて静かに聴き入っているユリアさん、そして歌に誘われるように窓辺に飛び降りてきた小鳥。それ以外は何もないと錯覚させてしまう歌だった。
やがて歌はサビに入って終わりに向かい、世界に溶け込むようにして歌の終わりは締めくくられた。
「……凄かったです」
「さすがはお嬢様です」
こんな表現しかできない自分のボキャブラリーが嫌になる。だけど、どんなに綺麗な言葉で飾っても、この気持ちを表現するのは無理じゃないかとも思う。ユリアさんも感極まるという表情とは裏腹に感想は簡潔だ。
「ふふ、やっぱり自分の歌が褒められるのは嬉しいかな。わたしも歌ってる時はすごく楽しいから二人も楽しんでくれたなら嬉しいよ」
「わたくしにとってはこれ以上ない程の至福の時です」
「僕もあんな歌なら何度でも聴きたいくらいです」
「ふふ、ありがと。じゃあ二人共、楽しんで元気一杯になって、お仕事も力一杯頑張ってね」
「「かしこまりました」」
よし、この調子ならいくらでも仕事出来そうだ。お嬢様の部屋から見える範囲はあらかた雑草も抜き終わったし、そろそろ掃除に戻ろうかな。
出入り口経由で屋敷の中に戻ろうと立ち上がってその場を離れ……ようとした足が自然に止まった。
振り買って自分の仕事の跡を凝視してみる。
雑草がなくなって茶色の肥沃そうな花壇が広がっている。次は種なり苗なりを手に入れて植える段階だからひとまずこれ以上やることはない……筈だ。
だというのに頭のどこかの部分がまだやることがあると主張している。その感覚に意識を集中すると花壇から今まで感じた事のない不思議な感覚を感じる。
「お嬢様、ジョウロと水場ってどこにあるかわかります?」
「ごめん、それはユリアに訊かないとわからないけど……種や苗なんか屋敷にないと思うよ?」
「それは多分そうじゃないかと思ってました。ただ……なんとなく? そうするといいような気がするんです」
お嬢様はよくわからないといった顔をしていた。そりゃあそうだ、僕だってよくわからないんだから。
その後ユリアさんにジョウロと水場の場所を訊いてまた花壇まで戻ってきた。案の定ユリアさんにも怪訝な顔をされてしまった。そして楽しそうですねと皮肉で返されてしまった。色んな意味で早めに終わらせたほうがよさそうだ。
感覚が強いところを重点的にして土だけの花壇に水を与えていく。
馬鹿なことをしている自覚はある、それなのに同時に頭のどこかにこれでいいとも思っている部分もある。そんなどっちつかずのモヤモヤとした思考もそこそこに水やりは終了してしまった。元々ちょっとした範囲しか草むしりはしなかったのでさもありなん。
「終わった?」
「自分でも何でこんなことしてるのかわからないですけどね」
「あはは、わたしそういうの好きだよ。お伽話とかに出てくる不思議な現象みたいで」
「じゃあ僕は今まさにお伽話を体験してる訳ですね」
「羨ましいぞこのやろー」
おどけた口調で拳を突き上げるお嬢様の仕草はやんちゃな子供のようで愛嬌を誘い、その微笑ましさについ吹き出してしまった。
「こらこら、主を笑うなんて執事としてあるまじき事態だよユーリ」
「ぷっ、すみません、ぐはっ、あはっ」
「ユリアにサラマンダー出してもらおっと」
「申し訳ありませんでした、サー!」
掛け値のない土下座。ユリアさんとサラマンダーの名前が出てからその間零コンマ二秒、順調に体に恐怖を刻み込まれている模様。……このままだと取り返しのつかないことになりそうで恐い。
「ほらほら、いつまでそうしてるの。早くしないと真面目にユリアが怒るよ」
「そうですね、なんだかんだで結構時間経ってますからそろそろ戻らないと目標が達成出来なくなるかもしれませんし。花壇にかまけて本来やることを疎かにしたなんて日には……」
「火炙りかな? 万力噛み付きかな?」
「……両方経験済みです」
「骨は拾うからね」
「すぐに掃除に戻ります」
その後の掃除はまさに脇目もふらずといったやつだった。花壇に思っていたよりも時間がかかったのが原因だ。自分で豪語しておきながら結局遅れてしまって深夜まで掃除なんてやってたらユリアさんは本気でさっき言ったようなお仕置きをするだろうから。
結局夕食の後少しの時間まで食い込んだけれど、なんとか全部屋の掃除を終わらせることが出来た。もうしばらくは埃なんて見たくもない。
ただ、ユリアさんに報告にいったときに掛け値なしで褒めてもらえたのは何気に嬉しかった。これで少しは認めてくれないかな?
◆
次の日の朝、僕は昨日とは比べるまでもない程に早い内から執事服に着替えて扉のノブを握ってスタンばっていた。
勿論僕を起こしにきたユリアさんを驚かす為だ。
ユリアさんのことだ、昨日の今日で僕が早起きをするようになっているとは思うまい(昨日は昨日である意味究極の早起きとも言えるかもしれないけど)。昨日そのことを散々言われたから見返してやりたいのと、僕がやれば出来るということを示したいのと、そして単純に驚かしてやりたいという想いが混ざって現在のスタンバイに繋がる。ちなみに割合は一:二:八だ。結局からかいたいのが大半だ、我ながら懲りないと思う。
そのまましばらく耳を澄ませて廊下の様子を伺っていると、カツカツという足音、近づいてくるに連れてゴロゴロとカートを押す音も聞こえてきた。ユリアさんが履いている靴は見た感じブーツみたいな感じで静かな朝の屋敷にその足音はよく響く。
計画は特に無い。ただユリアさんがノックをすると同時に一気にドアを一気に開くだけ、大声を出すなんて小細工は一切無しだ。それにドアを開くだけなら驚かすつもりは無かったなどと言えばいくらでも言い訳出来る。
ユリアさんの足音が扉の前でとまる。
いつノックされても動けるようにドアノブに力を入れる。さあ、いつでも来い!
バンっ!
「げふぁっ!」
「おやっ?」
突然の衝撃と鼻先に感じる痛み、そしてしばしの浮遊……というか吹っ飛んでいる感覚。壁にぶつかって二度目の衝撃と共に体が止まるまで何が起きたか理解出来なかった。
扉の方に目を向けて見るとキョトンとした表情のユリアさんが廊下側のノブを握った状態で立ち尽くしていた。
そして、何でこんな状況になってしまったのかも理解した。
「ノックは!?」
「すいません、忘れておりました」
「そんなあっさりと!?」
「時にユーリさん、扉に張り付いて何を?」
「…………すいませんでした」
被害に遭ったのは僕なのになんで僕が謝ってるの? 理不尽だ……。
朝から酷い目にあったけどそれで仕事を休むわけもなく、昨日と同じようにユリアさんに付いてお嬢様の部屋に向かう。
躊躇いがちにユリアさんが口を開いたのはその道すがらだった。
「……ユーリさん」
「はい? どうかしましたか?」
お嬢様の境遇に関する事を話したときの暗く沈んだ声とは違う、どちらかといえば言いたくないけれど仕方がなくという苦渋を含んだ声色だ。
「あなたは料理の心得はありますか?」
「……? はい、ある程度なら」
「ある程度の腕しかないあなたに任せるのは仕方がないとはいえ大変遺憾でありあなたに任せないといけないこと事態が恥であり本音を言えばあなたに任せるなんて不安で不安でいても立ってもいられないくらいなのですがあなたに頼みがあります」
「ユリアさん、そんな罵詈雑言の後の頼み事を素直に聞いたらその人は聖人君子か何かですよ絶対」
「ではサラマンダーのこの可愛らしい容姿に免じて」
「今まで自分を直接的に酷い目に合わせたトカゲを相手に何を免じろと」
「では仕事として命じます」
「理不尽ですね!?」
とはいえあのユリアさんがあんな嫌そうな顔をしながらもしてくる頼み事だ、本当に大事な仕事なんだろう。それならその仕事を引き受ける事に特に躊躇いはない。
溜息一つで直前の罵詈雑言を水に流して気持ちを入れ替える。
「はぁ~。それで、仕事っていうのは?」
「実は今日の昼食の用意をあなたに変わって欲しいのです」
「昼食の担当を……僕が?」
感じたのは驚きとちょっとした歓喜。
貴族の食事を作るというのは重要な仕事の筈だ、いつか手伝い程度ならやらせてもらえるように頑張ろうとは思っていたけれど、まさかこんなに早く、そして完全に任せられることになるとは思わなかった。
同時に止むにやまれない事情があるんだとしてもそんな仕事を任せてもらえる程に認めてもらえていたという事実が正直嬉しかった。
「はい、今日の昼食の用意全てです。火はサラマンダーを置いていきますのであの子に頼めば大丈夫です」
「それはいいですけど、ユリアさんは何か用事が?」
「朝食の後に洗濯などだけ澄ませて食材などの買い出しに行こうと思いまして。そろそろ備蓄が切れそうなのです」
「買い出しって……近くに街でもあるんですか?」
「当たり前でしょう。あなたはこの屋敷の食材を自給自足しているとでも思っていたのですか?」
そりゃごもっとも。
「今までだと昼食の後に出かけていたのですが、あなたが代行してくれれば早めに出かけることも出来るんです。朝の方が市場には安くていい物が多いですからね」
「あれ? じゃあ僕が来る前からそうしてればよかったんじゃ?」
「そうなるとお嬢様の昼食がかなり遅れるんです。この屋敷から町までは近いとは言えないので。昼食の準備にもある程度の時間がかかりますし、買い出しの他にも仕事はたくさんあるので。だからいつも昼食の後の融通が効く時間帯買い出しに出ていたんです、昼過ぎだとあまりいい物も多くは残っていませんが」
「なるほど、そういうことでしたか」
そこでお互いの話は途切れた、それこそ不自然なほどに。
今の話、ある部分が抜けていた。
それはユリアさんが買い出しに行っている間、お嬢様はこの屋敷で一人になっているという事実だ。
足の動かせないお嬢様を一人で残すことがどんなに危険かはユリアさんもわかっているはずだ。だからといって買い出しに行かなければ食べ物が無くなる。本人にしてみればジレンマはかなりのものだったと思う。
だけど今は自分以外の従者がいる。自分の留守の間にお嬢様の傍にいられる同僚が。
「……僕は……お嬢様とユリアさんの役に立ってますか?」
つい口をついて出た言葉にユリアさんの反応は無視だった。
ただ、しばらく歩いた後にポツリと、聞き逃しそうな小さい声で、
「助かっていますよ、お嬢様も、わたしも」
今日はいいことがありそうだ。
次もほぼ日常です。ちょいと設定の追加とフラグがありますが。