本音的な
今僕はどうなっている? 空が見えたと思ったら地面、次の瞬間にはまた空が見えていて、それ以外はこの目が何を見ているのかも分からない。
上下感覚が滅茶苦茶になるほど身体が振り回され、何が何だか分からない内にいつの間にか体は地面に投げ出されていた。
なんとかゆっくりと視線を動かしてみると、周りは悲惨な有様だった。
崖は完全に崩れて単なる斜面と化し、見渡せる範囲には草木一つ見当たらない、もはや数分前の面影は完全に無くなっていた。
だけど……。
自分の体を確認する。
そこには傷だらけ&血だらけながらも、なんとか五体満足で手足が繋がっている自分の体が確認できた。
あれはまともに喰らえば即死物で、僕にはあれを避ける気力はもう残っていなかった。
それなのに僕が生き残っていて、あまつさえ致命的な傷も負っていない理由は一つしかない。
「あ……う……あ……」
ドサリと崩れ落ちるような音がした方を見る。
そこには……両膝をつき、涙を流れるに任せて呆然としているアスカさんがいた。
「…………」
「ほら……やっぱり生き残った。僕は避けてません、アスカさんが自分で外したんですよ?」
「ち、違……! わたしはあなたを殺そうと……!」
ムキになって否定しようとして顔を上げるも、すぐにまた俯き、そして頭を抱えて「あれ……?」とブツブツと何かを呟きだした。
「ユーリは殺したら駄目? でもわたしはユーリを本気で殺さないと……? あれ? あれ? わたし……何がしたかったの……? あれ? あれ……っ?」
内容が段々と支離滅裂になっていき、表情から正気が失われているのを感じて少々焦る。
「ほら、アスカさんこっち……!」
「ユー……リ……?」
錯乱一歩手前の精神状態に対して蚊の鳴くような小さな声での呼び掛けだったけれど、それでも僕の声は彼女に届いた。
彼女の言っている内容はよく分からないけれど、思考の迷路に迷い込みそうな時はとにかく意識に方向性を持たせればいいんだ。今はその対象が僕というわけだ。
そのまま四つん這いで一心不乱に僕に寄ってくるその姿は、まるで迷子になっている時に見つけた光を目指す子供みたいだった。
そのまま横たわっている僕の隣に来ると、不安気にしていた表情が一転、安心したように顔を綻ばせる。
――そして、そのまま僕の首筋へと大剣の刃を当てる。
「……どうするんです? それでさっくりと殺っちゃいますか?」
「……あなた、恐くないの? わたしが後少しでも動かせばあなたは死ぬのよ?」
「いや、めっちゃ怖いですって。本来なら体震わせて泣き出してると思いますよ。不本意ながらヘタレなので。ただもうそれをする気力も無いだけで。どの道、僕の生殺与奪権は完全にアスカさんが握ってますよ」
「そ、そうよね……なら今すぐにあなたを殺すわ。わたしはあなたを……殺さないといけないんだからっ!」
大剣の柄を持つ手に力が込められる。流石にこの時は叫びたくなる程恐かったけど、意地でも声を喉の奥へと引っ込めた。
僕の顔を映す大剣が命を狩るためにその刃で首を切り裂く――寸前でもう片方の腕がそれを阻むように、アスカさんの柄を握る手を掴んだ。
そのまませめぎ合うように震えながら手は行ったり来たりする。ちなみに握っている大剣も行ったり来たしいるので心臓に悪い。
見ている限り、大剣を持つ手もそれを防ぐ手も両方とも本気で力が入っている。少なくともアスカさんがそれを演じているようには見えない。
必死な表情で恐らく僕を殺さないようにしているアスカさんは、震える声で言う。
「ごめんね……ごめんね……ユーリ……」
ポツポツと、顔に何か暖かい物が落ちてくる。
「もう……わたしの感情が制御出来ないの……わたしはあなたを殺したくないのに……殺そうとする意思が止まらないの……」
「どういう――」
疑問を言い切るのを待たずして異変が起こる。
アスカさんの持つ大剣の鏡のような光沢が、その身に纏うドレスの粒子のような輝きが、消えていく。
正確には大剣に錆が浮かび、ドレスには濁りのような汚れが現れた。
それは瞬く間に広がっていく。
錆た剣、汚れたドレス。
鋼の王霊イシルディンという存在はもう目の前にはいなかった。
「それは一体……」
「……魔よ」
「魔って……あの魔霊の原因になっているっていう? でもなんでアスカさんがそんなものに?」
「それはわたしが弱かったから。……侵蝕はもう取り返しのつかないところまで進行してしまったの。見て、これが今のわたしの本来の姿。哀れで惨めなのはわたしの方なのよ……」
笑っている。
だけどそれは浮かべていい類の笑顔じゃない。
自虐と諦観。それが今の彼女の心を占める感情だ。
嫌な予感が背筋を這い上がる。
「最後の最後で優しいあなたに甘えちゃって御免なさい。もうあなたにこれ以上迷惑はかけないから。弱いわたしの命は――」
まさに力尽くという風に無理やり剣先を僕からそらして、
「自分で終わらせるから……っ!」
自らの喉元へと向け、そのまま自分で命を絶つ。
――そんな事を、僕が指を咥えて見ているわけが無いよね?
バキンと何かが砕けるような音。
アスカさんは確かに大剣を自分の首へ突き刺した。
ただし、突き刺さるべき大剣は半ばからその身を折られ、完全に剣としての機能を失っていた。
「僕はね……そんなバッドエンドは絶対にお断りです……!」
身体が動かない僕が今自由にできるのは、自分の王霊としての力だけ。
原理や原因はいまいちよく分からなくとも、錆だらけになった大剣は全力じゃない樹の攻撃で砕け散る程に脆くなっていた。
「そんなの……優しさでも何でもないわよ……」
自刃を寸前で止められ、武器も無くしたアスカさんに出来るのは、力なく両手を投げ出すことだけだった。
「僕は自分が優しいだなんて思ったことは無いですよ。いつだって自分勝手に周りを振り回して……それでもその態度を改めようとしない、とんだ自己中心者です」
「でも、あなたの周りには笑顔が沢山あったわ。あの小娘達やイルも相変わらず、まるで明るいひだまりの中にいるみたいだった」
「一応僕だって迷惑はかけられてますから。互いに自己中心や迷惑を押し付け合って、結果的に上手くいってるだけです」
僕のその自己分析に、弱々しいながらも軽く吹き出すアスカさん。
「あなたって以外とリアリストなのね」
「半端者ってだけですよ」
子供でもなく大人でもない。大学生だった向こうでは言うに及ばず、こっちでの僕だってそう変わってないと思う。
とはいえ今は僕の持論を変えるつもりもなく、心に何かを抱えた目の前の女性に自己中心をこれでもかというくらい押し付けてやる。
「さあ、もうこれ以上余計な事はしないで、キリキリと貴方が抱えている事を話してください」
「女に対してアレコレ聞き出そうとするなんて無粋よ?」
「生い立ちとか話したくない事は話さなくていいですよ。ただ、悪者ぶってまで僕と戦おうとした理由だけでも教えてください」
そうやって当たり前の事を言ったつもりだったけれど、アスカさんは少しの間キョトンとするとクスクスと笑い出す。
「ふふ……やっぱりあなたは優しいわ。少なくともわたしにとってはそう。そうじゃないと聞きたい事がある筈なのにそれを後回しにして我が儘を聞いたり、殺されそうになってまで相手の事を気遣ったりしないもの」
「光栄ですね」
「……あなたと一緒に街を回ったのは楽しかったわ。少しの間だけでも嫌な事を忘れられた」
――ドクン。
武器を砕いたことで消えたと思っていた嫌な予感は、まだ消えていなかった。むしろ思い出を思い返すような穏やかな口調が不安を更に助長する。
「わたしが人間を殺そうとした時、止めてくれてありがとう。あなたが言った通り、不安定な感情のまま人を殺めていたら絶対に後悔していたと思うから」
ねえ、僕は抱えている事を話して欲しいって言ったんだよ? 新しく出来た思い出なんかその内いつでも聞けるんだよ?
「あなたに酷い事をしたのに、それでもわたしの事を気遣ってくれてありがとう。おかげで今こうしてあなたとちゃんと話せているわ」
まるで今を逃したら一生この話が出来なくなるみたいじゃないか。
「この首飾り、あなたにとってはわたしのご機嫌を取る為の物程度でしかなかったかもしれないけれど、わたしは凄く嬉しかったわ」
僕が聞きたいのはそんなんじゃない。
「魔に侵されて、狂った思考のままに同類に戦いを挑んで、心を暗い淵の底に沈ませたまま絶望の中で死ぬはずだったわたしの時間に光を与えてくれてありがとう」
――それはいきなりの事だった。
何か強大な力を持った気配をすぐ傍から感じ取ったのと同時に、アスカさんの背後に大きな鎌の刃が現れた。それはどう見ても、目の前にいる彼女に切り掛ろうとしているようにしか見えない。
「…………!」
その事を伝えたいのに、こんな時に限って混乱で口がパクパクとしか動かない。
しかし、僕がただならぬ様子であることは分かるはずなのに、アスカさんは構わずに続ける。
――早く逃げて!
――その先は聞きたくない!
迎撃の樹は間に合わず、耳を防ぎたくても体は動かない。
そして、アスカさんは満面の笑みを浮かべ、涙を流しながら言った。
「最期に……わたしに優しくしてくれてありがとう――さようなら、ユーリ」
次の瞬間、大鎌がアスカさんへと振るわれた。




