女は怖いよ的な
行きたい場所があると言うアスカさんの行き先は街の外だった。
想定していた内の一つだったのでそれは平気なんだけれど、そこから先は少々じゃあ済まない程の道程だった。
アスカさんの手を離さないというのはもはや意地になっていたので、彼女が少し先を歩いて僕は引っ張ってくる腕に追従する――つまりは最初と同じ形だったんだけれど、途中から行程速度がおかしくなった。
歩きから早足、段々と駆け足に変わっていき、最後には馬すら上回る高速度での強行軍になってしまった。お互いに王霊の人外な脚力を持っているから可能な事だ。
体力もトンデモないことになっているので、そこから延々と二時間は走らされたんじゃないだろうか。
障害物は跳躍でひとっ飛び、殆ど真っ直ぐに走ってきた僕達は山や谷なんて五つ以上は超えた。多分ジュレリア領からも完全に出てしまったと思う。時間的にはともかく、距離的にはちょっとした遠出じゃ済まないレベルだ。
やがて辿りついたのは、植物が少なくて殺風景な渓谷のとある崖下だった。
流石に全力で二時間も走らされたら少し息が切れる。息を整えたいところだけど、全く疲れた様子の無いアスカさんがゆっくりと足を動かし出したのでそれは叶わない。
どうにも話せそうな雰囲気じゃないので仕方なく周りを見渡すと、目に映った異様な光景にギョッとした。
目立つものが無い地面に、まるで何かの目印のように不自然に置かれた大きめの石。
――それが何十個も、周囲には散らばっていた。
不気味な所だ、というのがこの場所に抱いた感想だった。
しばらくしてアスカさんが足を止めたのは、そんな不自然に配置された石の一つだった。
僕には他の物との区別はつかないけれど、彼女にはしっかりと違いが分かっているみたいだ。
「それ……いや、ここは一体何なんですか? こんな人里離れた場所なのに明らかに人為的に置かれた石なんて違和感が凄いですよ」
今まで僕の質問はのらりくらりと躱して答えようとしなかった(というか質問をさせてもらえなかった)アスカさんは、どこか夢見心地だと感じさせるような不思議な声色で答えた。
「ここは墓地、命を落とした者達の標よ」
「墓地ですか……」
言われてみれば石は墓標に見えなくもない。表面の劣化具合を考えれば相当に年月が経っているということも伺える。むしろそんなに長い間こんなにはっきりと分かる形で残っていることが驚きに値するくらいだ。
「でもなんでこんなに辺鄙な場所に墓地なんてあるんですか?」
「百年以上前ならここから近い場所に街があったわ」
百年という言葉で唾を飲み込む。
軽く語られたその単語には、彼女が生きて来た年月の長さが込められているような気がした。
「じゃあそのお墓はアスカさんの百年以上前の友達か誰かですか?」
「友達か……縁深い人物であることは間違いないかしら」
ふっと自嘲気味な笑みを浮かべながら彼女は語る。
そして、僕はその内容に自分の耳を疑うことになる。
「墓標に文字を刻むとしたら……そうね、『咎人アスカ・デイル・トリトニス、ここに眠る』というところかしら」
「え……?」
ファミリネームやミドルネームに聞き覚えはない、だけど名前は知ってるなんてものじゃない。いや、そもそもそれはおかしい。
「な、何言ってるんですか? アスカって……ここにいるじゃないですか。も、もしかして同じ名前の別人ですか? それなら――」
「正真正銘、これはわたしの墓よ。死体は埋まっていないけれどね」
驚かすつもりもなく、ただ淡々とした口調がかえって信憑性を持たせて耳へと入ってくる。
彼女が言っている事が本当なら、それはつまり……。
「自分だけだと思った? けど違うわ。わたし達王霊は――全員が元は人間よ」
「な……っ!?」
「人間だった頃のわたしは大罪人としてその一生を終えたわ。そして王霊として生まれ変わった」
「いやいやいや、ちょっと待ってくださいよっ。僕以外の王霊も皆元人間で? それに、アスカさんが咎人や大罪人って……」
「言った通りよ。わたしは当時の世間を騒がせた悪党、この上ない性悪な女というわけよ」
急に衝撃の事実を叩き込まれて頭がぐちゃぐちゃだ。
それでも、彼女が「だから――」と続けた時に背中を走り抜けた悪寒だけは確かに感じとった。
「純粋な男の子を騙して、不意を打つことだって良心の呵責もなくやってのける」
言いながらアスカさんの腕がぶれる。
その時、僕の体は本能に全力で従った。気づいてからはもう遅く、僕の手の中から彼女の手のひらの感覚が消えた。
しまったと思うと同時に、その判断が間違ってはいなかったことも確信する。
何故なら、僕が直前までたっていた場所に人の背丈はありそうな大剣が構えられていたからだ。あのまま動かないでいたら間違いなくあの刃に体を貫かれることになっただろう。
「……何のつもりですか」
「わたしが言った事が聞こえなかったの? それとも信じたくないだけ? おめでたくて哀れな子。わたしは火と地を、あなたは水と地を司る王霊。わたしが地を司っている王霊を狙うなんて当たり前のことでしょう?」
「だったら今までチャンスはあったでしょう。何で今になって僕を狙うんですかっ!」
「そんな事今から死ぬあなたには関係ないわよ」
言うやいなや、浅い踏み込みからの刺突。
首筋を狙ったその一撃を体を僅かに横にずらすことで躱す。最小限の動きを実践したというわけじゃなく、意識がついて行けずにギリギリで体が動いてくれたに過ぎない。
「本気ですか……!」
「本気も何も、わたしは最初からこうするつもりであなたに優しくしたのよ」
更に一閃二閃とその刃が僕の体を切り刻もうとしてくるのを紙一重で躱していく。
言葉で真偽を問うまでもなく、動かなければ確実に命を持っていかれるその攻撃が彼女が本気で僕を殺そうとしている事を理解させてしまう。
「避けるだけなの!? このまま続けてもいずれあなたが負けて死ぬだけよ!」
「く……っ!」
上段からの振り下ろし。
ここで初めて彼女の連撃が止まる。
桜花――大剣の霊器を受け止めた扇の霊器を確認してアスカさんは口の端を吊り上げる。
「それでいいのよ、流石に無抵抗の相手を殺してもやり甲斐がないから。でも、それでも全然足りないわよ?」
そう言って一歩下がると、彼女は剣を構え、あの言葉を紡ぐ。
「全てを弾き、全てを切り裂く刃。火と地を司りし鋼の王。名を――『イシルディン』」
瞬間、脳内で警鐘が鳴り響く。
――あれをまともに受けたらいけない!
避けるじゃない、もはや退避という表現が正しいくらいに全力でその場から逃げる。
直後、背後から轟音が響いてきた。
恐る恐ると後ろを向いて音の源を確認してみると、
「マジですか……」
パックリと、地面が割れていた。
いや、それが割れ目でないことは一目見た瞬間に分かる。
崖下であるこの辺りの地面は草木もなく、かなり硬い。それがまるで刃でも通り抜けたかのようにピシリとした鋭角の切れ目を形作っている。
切れ目の先を追うと、僕がいた場所よりも後方にアスカさんがいた。
谷風で大きくはためき、激しく揺れ動くその身が光を撒き散らしているように錯覚してしまうような銀一色のドレス。
同じく純粋な銀色である髪と剣に合わせたかのようなそのドレスは彼女の王霊としての霊装であり、不完全であった鋼の王イシルディンの姿をここに完成させている。
日は完全沈み、代わりに顔を出した月からの光を乱反射させるその姿はこの上なく幻想的で、この光景を額縁に入れたらそれだけで至高の芸術として評価されること間違いなしと断言できる程に美しい。
これで彼女の殺意が僕に向けられているのでなければ、そして、彼女の前方数十メートルに渡って走った斬撃の跡が目に入らなければ、素直に見惚れていたことだろう。
アスカさんが剣を振り抜いた体制から此方へ向き直る。
「やれるだけの抵抗をしてみなさい。死なない為に、自分の持てる全ての力を振り絞って立ち向かってみなさい。わたしはそれを全部粉々にして――あなたを殺してあげる」
視線と切っ先にブレは無い。真っ直ぐに僕を向いている。
……仕方ないかな。
「……そこまで言うのなら良いですよ。やってやろうじゃないですか」
勿論本気で彼女を傷つけるつもりは無い。ただ、あれにまともに対抗するにはこっちも本気を出さないと話や説得云々以前に僕がお陀仏だ。
だから……
「世界を支え、命を育む豊穣の大樹。水と地を司りし草花の王。名を――『ユグドラシル』!」
唱え終わった瞬間に来たスイッチが入って意識が変わったような感覚、同時に体に纏っている衣服がいつもの執事服から(ほぼ)真っ黒な和装束の霊装へと変化する。霊装の方はともかく、意識の変化は何だかんだでまだ三回目だから未だに慣れない。
それでも、思考が目の前の相手と戦うための手段を冷静に模索していく。
「その霊装……やっぱり何かあなたを大きく変える出来事があったみたいね」
「霊装を見ただけでそんな事分かるんですか」
「当たり前よ、王霊の力は本人が持つ心が属性に合わせて様々な形で作用するもの。よっぽどのことが無い限り霊装に変化なんて起こらない……わっ!」
言い終わると同時にまた高速の踏み込みを見せてくるアスカさん。
けれど、冷静に彼女を動きを観察し、戦う為の本気を出した今ならなんとか目で追うことが出来る。
横に振り払われた大剣を上に跳ぶことで躱し、扇のひと振りで発生した大量の桜で取り囲む。
アスカさんはそれが肌に触れて切り裂く前にすぐにその場から飛び退き、初めてまともに攻撃らしい攻撃をした僕を警戒しながらも、どことなく喜んだような表情で此方を見据える。
「そうよ、それよ! 攻撃出来ないなんて甘ったるい姿勢なんかじゃ死ぬだけ! わたしを返り討ちにするつもりで死ぬその時まで抗って見せなさい!」
「あっはっはー、何を言ってるんですか」
「……?」
「僕は人に何でもかんでも決められるのは好きじゃないんですよ。流されるままに望まない事をするのもね。だから取り敢えず、話はアスカさんが動けなくなってからにしましょう。聞いてくれないのはそっちなんですから、痛いのは我慢してくださいね?」
ニッコリと笑みを浮かべて言ってやった。
事実上今僕が言った事は勝利予告だ。しかも余計な挑発まで入っている。
けれども後悔はしていない。ここまで言われたい放題されて流石に僕も我慢の限界が来たんだ。
今の僕は多分これ以上ないくらいの「ドヤ!」っていう表情を浮かべていると思う。
啖呵を切った僕に対して、アスカさんは顔を俯かせて表情を隠す。
「ふ……ふふふ……」
漏れ聞こえてきたのは、まるで感情の篭っていない、けれど地の底から聞こえてくるような底冷えする笑い声だった。
「ふふふふふ……そう、そんなに死にたいのね。こんな状況なのにわたしを舐め腐って。……オネーサンを本気で怒らせたいのね?」
僕のドヤ顔が引き攣った。もしかして早まってしまったかも? と今更後悔してみたり。
思わず距離を取る。怖いからという理由も残念ながら入ってるけど、僕の霊器は主に中~遠距離に適しているのに対して、彼女の霊器は明らかに近接戦闘用だ。この間合いは割と理にかなっているのだ。
「ふふふ、甘いわよユーリ! そんな小手先の手が通用すると思うの!?」
まさかまた瞬足か!?
回避、迎撃、先制、警戒して取るべき行動を思索する僕の眼前で、彼女は手に持つ大剣を……あれ? 大剣じゃない?
いつの間にかその手に握られていた大剣が無くなっている。
代わりにその手にあるのは、流線型で細身のフォルム、両の先をつなぐ弦、それにつがえられた一本の矢――
「弓矢ぁっ!?」
驚いたのも束の間、有無を言わずにその矢が放たれる。
それは僕の顔面の数センチ横を通過して背後の崖に命中し、
――まるで大砲でもぶつかったかのようにその岸壁を粉々にした。
……冷や汗がこめかみから一筋流れる。
「ユーリ、泣いて謝っても許してあげないわよ」
穏やかな声色ながらも激情を隠しきれていないアスカさんがそう告げた。




