また出た的な
大樹内部に侵入してきた男の服装は特に奇抜なものではない――体中に巻き付く妙な紋様が刻まれた帯以外は。
恐らく一繋ぎなのであろうその帯が体中に巻きついているその様は、それだけでそれを纏う者を異質に見せる。
何者なのか?
それは、精霊という存在が封じられているこの場所で、超自然的な力の残滓を身に纏わせているだけで明らかだ。
常識が通用しない存在。
ルクルーシェは信じられないが、目の前の現実がそれを許してくれないという風に愕然とその男を見つめている。他の者も似たようなものだ。
ショックが少ないのは、この男と同じ存在を見るのが今回で四人目になるリイルとクラウだけだった。
とはいえこの場に彼をどうこう出来る者が存在しないのは変わらない上に、今にでも空けられた大穴から銃を持った敵がなだれ込んで来てもおかしくないのだ。要は、絶対絶命という事に変わりは無い。
にも拘わらず、目の前の男は中を一瞥すると興味なさげに鼻を鳴らした。
「中ならもしやと思ったけど、やっぱりいねえな、清浄の奴」
向けられる警戒の視線をものともせずに呑気に独り言を言い放つ。
そこで、大穴を開けられた大樹の幹が生きているように蠢きだし、傷口を補填するように樹が集まってくる。
「おっと」
突如、男の体から黄色い光のようなものが溢れ出した。
それはユラユラと揺れ、まるで炎のようにも見える。
炎の光、あるいは光の炎、そう形容したくなるそれは、蠢く大樹に接触するとジュっと小さな音を立てて跡形もなく燃やし尽くした、というよりは消滅させた。一体何が起こっているのかは不明だが、銃弾や爆弾をものともしない王霊の大樹を易々と退けるあれが単なる炎の類でないことは確実だろう。
男は玩具を見つけた子供のように笑う。
「ははっ、やっぱ同類が作り出した大樹ってか。すんげぇ生命力。けどまあ……」
ユーリに目を向け、
「肝心の本人はオネンネか――」
「おおっ! よくぞやってくれた! お主は帝国の者か?」
恐れ多いとはこのこと、いや、この場合は命知らずだろうか。
男の声を遮ったのは勿論ジャギル伯爵である。
外から反応が無いと思っていたら、彼らは彼らで固まっていたらしい。
ジャギル伯爵は褒美がどうだの、自分の(達ではない)活躍がどうだっただの、相手の様子を伺いもせずに一人で喋っている。
「とまあ、詳しい話は置いておこう。今は先にやることがあるのでな。さあ、皆今度こそ王女達を抹殺するのだ! この忌まわしい大樹の守りさえなければ――」
「うっせえ、黙ってろよ人間」
ジャギル伯爵の顔のすぐ横を圧倒的暴力が通り抜ける。
何が起こったか分からずに「へ……?」と素っ頓狂な声を上げるジャギル伯爵。
それを放った男は、全身から光とも炎ともとれない物質をまるで力を見せつけるように勢いよく噴出させて感情の一切を削ぎ落とした瞳でジャギル伯爵に殺気を向ける。
怒りや煩わしさといった類の感情すら宿っていない。完全に目に映る人間をゴミ屑のように何とも思ってない冷めた視線。
実際に殺そうと思えばそれこそゴミ屑のように簡単に目の前にいる人間を殺せるだろう。
ジャギル伯爵は目の前の男は自分達のではないのか、一体何のつもりだとか考える前に反射的に口を結んだ。今口を開けば殺される、本能がそれを理解していた。
それを見届けた男は興味なさげに一瞥すると、先程までの飄々とした態度で大樹の中へと視線を戻す。
「俺は光と火を司る焔の王、『カーディナル』だ。ここには清浄の王を……殺しに来た」
気負い無く発せられたからこそ、その言葉には本気が感じられる。
自分達を殺すと言ったわけでもない、そもそも彼の言う清浄の王セフィラは契約者であるウルスラ教皇と共にとっくに聖国へと帰還している。
それなのに、直前のジャギルに向けられた殺気がどうしても脳裏を掠める。
「そうそう構えんなよ、俺はお前らをどうこうするつもりは無えしよ。目的の奴もいなかったしな」
やれやれと肩をすくめるカーディナル。
「流石に別の同類がいたのは予想外だけどな」
興味無さげだった視線に好奇を宿してユーリを見やる。
敵意は含まれていないのだが、無防備なユーリを守るようにリイルが間に入る。
カーディナルの口端が面白そうに釣り上がる。
「へ〜、愛されてるのか慕われてるのか知らねえけど、馬鹿なことしたもんだ」
「なっ!?」
「俺たち王霊はな、人間と深く関わればその先に良い結末は絶対に待っていない」
それは前に別の王霊、鋼の王イシルディンことアスカにも言われた事だった。
あの時は無事に事なきを得たものの、彼女も王霊が人間と親しくすることを肯定することは無かった。
「人間と関わるにしても互いに相手を利用する程度の関係でいた方が利口ってもんだ。もしかしてそいつ王霊としては生まれたばかりか? だったら納得だ、こんな愚かしいことする馬鹿な王霊なんてそれ以外に考えられねえし」
家族の愛情というものと無縁にして育ったリイルにとって、いつも自分と一緒にいてくれるユーリ達こそが家族のようなものだ。
――その家族が、侮辱されている。
「馬鹿馬鹿と……いい加減にして!」
リイルは大声を出さない人間ではない。
しかし、彼女の怒鳴り声は誰も聞いた事がない。
本人だって記憶の中に自分がこんな怒鳴り声を出している姿など一つもありはしない。
しかし受け身で自分から何かをすることをしなかった彼女は、今は前を向いて自分にできることを精一杯やろうとしている。
そんな彼女が、自分の家族を馬鹿にされてこれ以上黙っていることは無理だった。
「あなたにユーリの何が分かるの!? 凄い力を持ってるってだけで普通の男の子と何も変わらないのにいつも自分以外の人の為に頑張って、頑張って、今だってわたし達を助ける為に倒れるまで無茶をして……っ! ユーリの事をよく知りもしないあなたに、これ以上ユーリを馬鹿にされる筋合いは無いよ!」
一息でまくし立てたリイルはキッとカーディナルを睨みつける。王霊を相手に一歩も引くことなく。
ただ自分の家族のような人が侮辱されるのが許せないから。
「く……ははっ」
王霊にとっては取るに足らない人間の小娘の視線、なのにそれを向けられたカーディナルは楽しそうで、
「いいねえその視線。そんなの今まで同類くらいしか向けてこなかったってのに。命知らずというかなんというか。目的とは大分違うけどこれはこれで悪くねえな」
まるで面白い物を見つけたかのように、カーディナルは笑う。
満足気に鼻を鳴らしたカーディナルは「今日はもういいや、帰るか」と、踵を返して軽い足取りで大樹から出ていき、そこで棒立ちになっているジャギル伯爵に一応という風に声をかける。
「というわけで俺帰るわ。清浄の奴がいないなら帝国にこれ以上立てる義理も無えし。帝国の騎士達を相手にしてた精霊師を適当にぶっ飛ばしたからそれで取引は成立だって言っといてくれ。これ以上は手助けもしねえが邪魔もしない、好きにやれや」
「なにっ!? おい、一体我が国の精霊師達に何をした!?」
サラリと放たれた報告にルクルーシェが詰問するも聞く耳持たず。
カーディナルに急に話しかけられたあたふたするジャギル伯爵だが、彼が放っていた焔が消滅したことで再び穴を塞ごうと蠢く大樹を見て慌てたように、
「と、突入ーー!」
号令に合わせて彼の部下の精霊師達が一斉に大樹に空いた穴へと殺到する。
しかし、大樹の修復速度は早い。抑えていた焔が消えて数秒なのに、もう既にある程度穴を塞いでいる。
その隙間を精霊師達は必死に押し広げようとするも、大樹の方が強い。段々と空いた穴が小さくなっている。
徐々に塞がれていく穴と精霊師達が奮戦する先、リイル達からはもう見えない位置にいるカーディナルが言った。
「俺がさっき言った事は間違っているわけじゃあない。だから忠告っていう形でそいつが起きたら俺の言った事をしっかり伝えとけ」
それは目の前で大樹を相手に悪戦苦闘して騒がしい精霊師達の騒ぎよりもよく聞こえた。
だからこそリイルはべーっと舌を出した。それこそ子供の反抗のように。
向こうには見えていないだろうが、彼は口調を変えて付け足した。
「とまあこんな感じで次が最後だ。……俺に啖呵切って見せたんだ、生き残って見せてみろよ、人間」
それを最後に、再び大樹は元の形を取り戻した。
◆
再び大樹の中に降りる沈黙。
重苦しくはあったが、不安や恐怖、絶望の念を全く抱いていない様子で王霊とのやり取りを見せたリイルに引っ張られてか、どうやってこの場を脱しようかと前向きな顔で思案する者もちらほらと見受けられる。
しかしこの危機的な状況を打破する手段などそうそう簡単に浮かぶはずもない。それはルクルーシェも同じだ。
「せめて精霊が呼び出せれば……」
と思ったその瞬間、その場の雰囲気が変わった。
具体的に何が変わったかと言われれば、今までまとわりついていた重しが無くなったような。
まさかと思い念じる。いつも自分と一緒にいた相棒を。
「ジャガーノート!」
正直上手くいくかは半分半分だったが、空いた場所に出現したのは黒い鱗に覆われた体躯を雄々しく見せつける竜だった。
それを見て歓声を上げ、精霊師達も自分の契約精霊を呼び出す。
結果全ての者が呼び出せなくなっていた精霊を呼び出すことに成功した。
装置に何かあったのだろうか? 故障? それとも外的要員か? 機巧の事をよく知らない彼女達には分かりようもなかった。
力が戻れば、やりようはある。
そして、王家に忠誠を誓っている忠臣ならこのような提案をするのもある意味当たり前だ。
「姫殿下、これで憎き裏切り者共を討ち滅ぼすことが出来ますな!」
精霊師の一人が意気揚々と確認をするように問いかけた。
確かにこの場にいる王女や師団長を含めた精霊師が全員本気で戦えば、あの場にいた精霊師は駆逐できるかもしれない。
しかし、
「いや、それは出来ない」
王女の消極的な意見に何人かが絶句し、そして疑問を向けてくる。心なしか幾ばくかの非難を込めて。
彼らからしてみれば、主君が裏切り者を前にして尻尾を巻いて背を向けようとしているように見えるのかもしれない。
それを察した上で彼女は説明を始めた。
「今のままならこちらが勝つだろう。だが、相手にがはすぐに増員がやって来る筈なのだぞ」
ハッと顔を見合わせる。先程カーディナルが言っていた、精霊師をぶっ飛ばしたと。
あまりに軽く、しかも乱暴な表現だったのでサラリと流してしまったが、それはつまり当初の敵であった帝国の兵が何に阻まれることなく王都へとやってくるということだ。
しかも、これだけ時間が経っているのに救援がやってこないのはいくら何でもおかしい。
帝国軍が連絡も無しで急に王都の傍に現れたことも含めて、もはやこの国が一体どうなっているのか分からないのだ。
だから、一旦この場を離れる。離れて、一体何が起こったのかを調べる。
ルクルーシェの覚悟を持った視線と共に語られたその言葉に意を唱える者はいなかった。
◆
その日、リーンヘイル王国首都は帝国に占領された。
国王と第一王子は死体が晒されたが、第一王女及び第二王女は行方不明にして生死不明。
しかし、その日王都にいた者の何人かが黒竜と数体の飛行生物が大樹から飛び立ったのを目撃したという。




